X JAPAN
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2.来歴
2.1.1977-88年: 結成、インディーズ時代
幼稚園(すみれ組=Violet)の頃からの幼馴染だったYOSHIKIとToshlは、小学校高学年でアメリカのハードロックバンド「KISS」の話をする間柄であり、共にバンドを組む約束をしていた。
小学6年の時にDYNAMITE(ダイナマイト)(1977年 - 1978年)[4]、中学校に進学後NOISE(ノイズ)(1978年 - 1982年)を結成。主にレッド・ツェッペリンUFOレインボーなどのコピー曲を中心に演奏[5]、中学校の予餞会が初ライブだった。その後、通っていた中学校が生徒増加に伴う分割によりボーカルが別の中学に編入されたため、当初ギターだったToshlがボーカルに転向。地元の安房高校に進学した2人はその後もバンドを続けていたが、進学問題で他のメンバーが脱退。他校のメンバーを加えて1982年夏、高校2年生の時に始めたのがX[6]だった。高校時代の文化祭では「We are X」、当時は未完成だった「I'LL KILL YOU」などを演奏していた[7]
高校卒業後の進路として音楽大学の推薦入試を受験する予定だったYOSHIKIが、入試1週間前に進学を取り止めロックバンドとして成功する道を選び、1984年にToshlと共に活動拠点を東京に移した。
上京後の2人は、何のツテもない状態でメンバーやライブハウスを探し、1年後の1985年にはバンドとしての体裁を何とか整えられた。同年6月、1作目のシングル「I'LL KILL YOU」をDada Recordsからリリース。1986年にYOSHIKIが自身のレーベル「エクスタシーレコード」を設立し、2作目のシングル「オルガスム」をリリースする。この頃になるとファンもある程度定着したが、メンバーは常に流動的だった。
その後、一時期Xに加入していたTAIJIが1986年の年末に再び加入。1987年ビクターから発売されたオムニバス・アルバム『SKULL THRASH ZONE Vol.1』のレコーディングでPATAがヘルプで参加。その後、1987年初めには、SAVER TIGERを解散させ美容師になる決心をしたHIDEをYOSHIKIが説得し、Xに加入させた。交通事故を起こしたメンバーの脱退後にPATAも正式にメンバーとなり、メジャーデビュー時のメンバーが揃った。
ライブ・ハウスでは、メンバーが暴れて火を吹いたりYOSHIKIがシンバルにガソリンを注いで燃やすなどのパフォーマンスを敢行し、数々のライブハウスから出入り禁止となった。打ち上げでも喧嘩が絶えず店がメチャメチャに壊れるなどトラブル続きだったため、ロックミュージシャンが居酒屋へ入る際にはYOSHIKIがいないか店にチェックされた程であり、当時のインディーズロック事情に詳しい漫画家の喜国雅彦によると当時の渋谷の居酒屋はミュージシャン同士の喧嘩が多かった事から「ギターお断り、ミュージシャンお断り、バンドマンお断り」極めつけは名指しで「Xお断り」と貼り出された店もあったという[8]。その特異な行動から、HIDE率いるSAVER TIGERTAIJIが在籍したディメンシアと共に「関東三大粗大ゴミバンド」とバッシングの対象になった。
「いくら良い曲を作っていても聴いてもらえなければ意味が無い」という考えから「知名度が必要」と判断し、日本テレビ天才・たけしの元気が出るテレビ!!』の「ヘビメタコーナー」に出演していた[10]。「早朝シリーズ」(就寝中の芸能人の部屋に侵入してバズーカなどの爆音で起こす名物コーナー)の一つである「早朝ヘビメタ」や、ステージ衣装のままで競技を行う「ヘビメタ運動会」などで話題となる。狭い食堂で「オルガスム」を演奏する同番組の企画「やしろ食堂ライブ」は、HIDEのX加入後の初仕事となった。しかしその世界観を硬派なイメージで保とうとする当時の音楽業界、特にロック界の風潮の中で「(音楽番組以外の)テレビ出演」はタブー視されていたため、業界関係者や他のバンドから「ヘヴィメタルをお笑いネタにされた」として厄介者のレッテルを貼られていた。
テレビ出演をきっかけに知名度が全国区へと広まったXは、当時デモテープの配布すら滅多に無かった時代にミュージック・ビデオを客に配布した。この時、他にも配布するものとして、冷蔵庫電子レンジトラックなどのアイデアが出ていた。他のバンドよりプロモーションを積極的に行っていたため、他のバンドからは金持ちバンドとしてみられていた。
1988年4月、1作目のアルバム『Vanishing Vision』をリリース。発売1週間で、当時としては異例の初回プレス分1万枚を完売した。『Vanishing Vision』は、メジャー・レーベルから発売される可能性もあったが、YOSHIKIは「インディーズでまだ何も残していない」として、敢えてエクスタシーレコードからリリースした。並行して数社とのメジャーレーベルとの契約交渉を進め、Xを巡ってレコード会社の間で争奪戦となったが、最終的にCBSソニーと契約。XがCBSソニーと契約した理由は、交渉にあたったCBSソニーのディレクター達があまりに横柄な態度をとっていたためである。これにメンバーが怒りを覚えたため、交渉は冷静に対応できるYOSHIKIが担当したといわれる。契約金や契約期間などの条件が最も低かったことも、「絶対に売れてこいつらを見返してやる」という反骨心が生まれ、契約を決めた一因となった。
契約したCBSソニーも交渉当初は積極的ではなかったが、当時スカウト・育成部門所属だった津田直士が新規プロジェクトチームに配属となった事から、津田直士自らがディレクターとなりXと会社を説得。マネジメントまで引き受けることとなった。同時にX専用のプライベート・レーベル「SIREN SONG」が設立された。
[4]前ページ
(1.バンド名の由来)
[6]次ページ
(2.2.1989-93年: メジャー・デビュー)

4. 小松成美『YOSHIKI / 佳樹』(角川書店、2009年)p. 87
5. ロッキンf』2000年11月号 15p
6. 当時の表記は主にカタカナの「エックス」。1986年までX-RAYというバンドが存在していたため混同を防ぐ目的で、あえてカタカナ表記にしていた。
7. ロッキンf』2000年11月号 16p
8. BURRN! 2014年1月号(シンコーミュージック・エンタテイメント)37p
10. 増田勇一によると、番組の担当者がBURRN!編集部に電話をかけ、電話に出た増田に「いちばん派手で過激な“ヘビメタ”バンドを紹介して欲しい」と伝えた為、XのYOSHIKIを勧めたとのことである[8]

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出典:Wikipedia
2018/01/20 12:30
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