UFC
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2.歴史
2.2.ズッファによる買収
2001年1月、財政状況の悪化でUFCの運営がままならなくなっていたSEGは、ラスベガスでカジノホテル「ステーション・カジノ」を経営するロレンゾ・フェティータとフランク・フェティータ、そしてロレンゾのビジネスパートナーでボクシングプロモーターのダナ・ホワイトにUFCを200万ドルで売却した。フェティータ兄弟はUFCを管理・運営するための親会社としてズッファを設立する。

ロレンゾ・フェティータがネバダ州アスレチック・コミッションの元コミッション委員だったことで、ほどなくしてネバダ州は総合格闘技を認可、これにより世界の格闘技の中心地であるラスベガスで総合格闘技の大会を開催出来るようになった。

2001年9月28日、初めてネバダ州アスレチック・コミッションに認可を受けた大会となったUFC 33を開催。

ズッファの運営により、ケーブルテレビでのペイ・パー・ビュー放送の再開、スポンサー獲得、MGMグランド・ガーデン・アリーナなどのラスベガスのホテル会場での大会開催、2002年6月にはFOXスポーツネットとテレビ放送契約を交わすなど業績を上げていくが、ズッファの投資は3400万ドルにも膨らんでいった。

ジ・アルティメット・ファイター[編集]


投資が膨らみ運営危機に直面していたズッファはペイ・パー・ビュー以外の新たな事業を模索し始め、フェティータ自身達が以前リアリティ番組に出演した際にプロモーション効果を実感した経験があったことで、新人UFCファイターの発掘・育成をテーマとするリアリティ番組「ジ・アルティメット・ファイター」の開始を決める。しかし、ジ・アルティメット・ファイターの企画はことごとくテレビ局に却下されてしまい、最終的に番組制作費の1000万ドルをズッファが自己負担する条件でSpike TVで放送することが決定した。

2005年1月から放送を開始したジ・アルティメット・ファイターはすぐに人気を集め、後にUFCで活躍するスター選手を発掘しただけでなく、決勝戦で行われたフォレスト・グリフィンステファン・ボナーの試合は、ダナ・ホワイトが「UFCを救った試合」と称える激闘となるなど、社運をかけたジ・アルティメット・ファイターは大成功を収めた。人気を博したジ・アルティメット・ファイターはシリーズ化されることになり、UFCがFOXへ移籍をする2012年までの間に14回のシーズンがSpike TVで放送された。また、ジ・アルティメット・ファイターの成功を受けて、Spike TVは、UFCの過去の大会からピックアップした試合を放送する番組「UFCアンリーシュド」とペイ・パー・ビュー大会のプロモーション番組「カウントダウン」の放送を開始、2005年8月6日からは試合生中継番組「UFCファイトナイト」の放送を開始した[4]

これらの番組が原動力となり、2006年5月27日のマット・ヒューズホイス・グレイシーをメインにしたUFC 60ではペイ・パー・ビューの販売件数が62万件を記録、2006年7月8日のジ・アルティメット・ファイター・シーズン3のコーチ対決ティト・オーティズケン・シャムロックを組んだUFC 61では77万5千件を記録、2006年12月30日のチャック・リデルティト・オーティズをメインにしたUFC 66ではUFCで初めてペイ・パー・ビューの販売件数が100万件超えを記録するなど盛り上がりを見せて、ペイ・パー・ビューの年間販売件数で初めてボクシングとWWEを超え、UFCが急躍進した年となった。

2006年3月、ネバダ州アスレチック・コミッションの元エグゼクティブ・ディレクターのマーク・ラトナーがズッファの副社長に就任。ラトナーは過去にジョン・マケインと共にノー・ホールズ・バード・バッシングキャンペーンを繰り広げた人物であったが、アスレチック・コミッションで長く働いた経験と繋がりを活かし、まだ総合格闘技を禁止していた州のアスレチック・コミッションや議員に総合格闘技を認可するよう働きかける仕事も担当した。

2006年12月、活動停止した総合格闘技団体WFAを買収、クイントン・"ランペイジ"・ジャクソンリョート・マチダヒース・ヒーリングマルティン・カンプマンらWFAの主力選手を獲得した[5]。さらに、総合格闘技団体WECを、放送していたテレビ局Versusのテレビ放送契約とまとめて買収した。WECは、UFCに統合されたWFAとは異なり、バンタム級とフェザー級を中心とした軽量級の大会としてUFCとは別に独立した運営で存続された[6]

2007年5月、総合格闘技の選手として史上初めて、ロジャー・ウエルタがメジャー・スポーツ誌「スポーツ・イラストレイテッド」の表紙を飾る。同じ月に、同様にチャック・リデルがメジャー・スポーツ誌「ESPNマガジン」の表紙を飾った。

PRIDEの買収[編集]


2007年3月27日、ロレンゾ・フェティータが日本の総合格闘技団体PRIDEを買収し、運営会社として新会社「PRIDE FC WORLDWIDE」を設立した。PRIDEはPFWによって活動継続される方針だったが、5月に開催予定だったライト級グランプリは延期の末中止となった。

2007年10月4日、旧DSEの日本人運営スタッフを解雇し、PRIDE FC WORLDWIDE日本事務所を解散[7]、これにより、アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラマウリシオ・ショーグンヴァンダレイ・シウバダン・ヘンダーソンミルコ・クロコップファブリシオ・ヴェウドゥムらPRIDEの主力選手を獲得した。

2008年6月18日、ロレンゾ・フェティータが、UFCの国際的な発展戦略に集中するため、ステーション・カジノの代表を辞任してUFCの運営に専念することを発表した。

2009年7月11日、UFC 100を開催。ブロック・レスナーフランク・ミアジョルジュ・サンピエールの出場、ジ・アルティメット・ファイター・シーズン9のコーチ対決ダン・ヘンダーソンマイケル・ビスピンなど豪華対戦カードが組まれた。

WECの統合[編集]


2010年10月28日、独立運営していたWECをUFCに統合。WEC世界フェザー級王者ジョゼ・アルドと同バンタム級王者ドミニク・クルーズを、それぞれの階級の初代UFC世界王者に認定すると同時に、ユライア・フェイバーアンソニー・ペティスドナルド・セラーニカーロス・コンディットベン・ヘンダーソンミゲール・トーレスらWECの主力選手を獲得した。
これにより、2011年1月1日のUFC 125以降、UFCはフェザー級・バンタム級を加えた7階級の体制になる[8][9]

Strikeforceの買収[編集]


2011年3月12日、UFCに次ぐ全米第二規模の総合格闘技団体Strikeforceを買収。以前のWECと同様にUFCとは別で独立して運営することを発表し、ニック・ディアスアリスター・オーフレイムカン・リーらStrikeforceの主力選手の一部はUFCへ移籍させ、12月にはStrikeforceのヘビー級を廃止してUFCに統合した。

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(2.1.黎明期)
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(2.3.FOXと契約)
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出典:Wikipedia
2019/08/18 19:30
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