尼港事件
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1.事件の背景
1.1.シベリア出兵の混迷
1918年(大正7年)8月に始まった日本のシベリア出兵は、アメリカ合衆国の呼びかけによる共同出兵であり、当初はアメリカの提議に従って「チェコ軍団救援」を目的とし、「ロシア内政不干渉」を謳ったものだった。しかし、チェコ軍団は赤軍と戦闘状態にあり、ボリシェヴィキ政権とは敵対していたので、ロシア内戦への干渉なくして救援は不可能であり、そもそもアメリカの提議自体に大きな矛盾があった。(注1)
つまりシベリア出兵の前提は、対独戦の一環としてのものであったが、1918年末には、ドイツ軍と連合国軍との間に休戦協定が成立し、チェコスロバキアも独立を果たして、前提が崩れた。そのため、連合国側、主に英仏は、反ボリシェヴィキを鮮明にし、日本もそれに同調して、反革命派によるロシア統一をめざしていたが、反革命派のコルチャーク政権(オムスク政権とも)は一年ほどしか続かず、1919年末に崩壊した。(注2)
1920年1月9日、アメリカが単独撤兵を通告してきたが、これは日本の出兵にとって大きな転換点となった(注3)。この1月から2月にかけ、革命派の勢力はニコリスクウラジオストクブラゴヴェシチェンスクハバロフスクの反革命勢力を倒し、それぞれに地方政権を掌握した(注4)。1月17日付、陸軍大臣の指示により、日本軍は中立姿勢をとることになったが、不穏な情勢の中、それまで反革命側に肩入れしてきた現地日本軍は困惑した(注5)

1.『初期シベリア出兵の研究』pp. 22-30
2.『初期シベリア出兵の研究』p. 192
3.『尼港事件と日本社会、一九二〇年』
4.『総力戦とデモクラシー』p. 259
5.『シベリア出兵 : 革命と干渉1917-1922』p. 513

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(1.2.尼港住人と白軍)
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出典:Wikipedia
2017/02/21 08:13
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