國母和宏
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1.来歴
1.1.選手として
2003年、世界最大規模のスノーボード大会バートン・グローバル・オープンの一つ全米オープンにて14歳ながら2位となり、注目を浴びた。この頃からスタンダードフィルムの撮影クルーに参加。

2004年、エクストリームスポーツ世界最大の大会であるX Gamesに初出場し、4位入賞を果たす。また、日本オープンで史上最年少王者となった。

2006年トリノオリンピックハーフパイプスノーボード競技の一種目)日本代表として17歳で初出場するも、実力を発揮することができず予選敗退(最終順位23位)に終わった。翌年も精力的に国際大会に出場しスノーボード世界選手権で日本人初メダルとなる銀メダル、アジア冬季競技大会男子ハーフパイプ優勝[2]など順調に経験を重ねながら、スタンダード・フィルム等のスノーボードムービーの為の映像を撮影し多数出演。2007年6月21日にスポーツ振興基金からの助成金を原資に月額20万円が活動費用として支払われるエリートA指定を辞退し、A指定の選手として活動していくことが全日本スキー連盟より発表された。

2008年、ニュージーランドオープン制覇を達成した。しかしその後故障し、出場予定であった翌2009年のX Gamesや世界選手権への出場はならなかった。

2009年、復帰戦となった冬季ユニバーシアードで骨折明けながら男子ハーフパイプおよび男子ビッグエアーの2種目で優勝。[3]。8月に行われたニュージーランドオープンではショーン・ホワイトらに次ぐ3位入賞を果たし、11月のW杯スイス大会では4シーズン振り3度目のW杯優勝を達成。8月に行われいたW杯ニュージーランド大会で優勝した青野令に続き2010年バンクーバーオリンピック代表入りに内定した。

2010年1月、X Gamesで銅メダルを獲得[4]

トリノに続く形でバンクーバーでもハーフパイプ日本代表に選抜された。しかしこの時、國母はスノーボーダーとしての着こなしや謝罪会見での不用意な発言などから強いバッシングと批判報道を受けた。一時は代表出場も危ぶまれたが、日本代表選手団の橋本聖子団長の判断で開会式欠席のみとなった。競技では予選二組目を2位で突破し直接決勝に進んだが、決勝では1回目は最後の技で転倒し流血、2回目でも最後のダブルコーク1080の着地が乱れたものの最終順位8位の記録を残して入賞となった[5]。同年5月10日皇居で開かれた五輪入賞者を労う茶会にも招待を受けたが、國母はアメリカ滞在中であったことから出席を辞退している[6]

アメリカ滞在中にはバンクーバー五輪における銀メダリストのピートゥ・ピロイネン、銅メダリストのスコット・ラゴ、4位のユーリ・ポドラドチコフ、5位のルイ・ヴィトら強豪が出場する中、97.17点という圧倒的な点数を記録し全米オープンを日本人で初制覇する。

2011年には全米オープンを連覇し、主催企業であるスノーボード用具のトップメーカー・バートン社の広報映像に起用された[1]。撮影ではオープニング映像のためにカナダの山岳地帯で雪山の崖からジャンプなどの技を披露し、海外の専門誌の表紙を飾るなど話題を集めた[1]。連覇を記念したインタビューで國母は2014年ソチオリンピックについて「特定の大会に拘りはなく、スノーボード活動の一環として捉えている」と返答した上で「2年前の五輪は楽しかったです」、「自分の気持ちが向いていたら出たいですね」と返答している[1]

2012年の全米オープンでは、ショーン・ホワイトに次ぐ史上二人目の男子ハーフパイプでの三連覇が期待されたが決勝前の練習中に腰を強打し、その影響や疲労からトリックは見せず、合掌しながらハーフパイプを滑り降りビブズを観客に投げ渡して棄権した。それまで所属していたバートン・スノーボードからアディダス・スノーボード及びキャピタに移籍した。

2013年X Games、にて採点や國母自身の演技への不服から中指を立て波紋を呼んだ。また、アディダス・スノーボードから自身のドキュメントムービー『Welcome:Kazu Kokubo』が公開された。他、オークリーのチームムービーに出演。同年12月、デュー・ツアーに出場、以降大会には出場せずバックカントリースノーボードのスノーボードムービーの撮影などに専念。

2014年、前述のドキュメンタリームービーの完成度が評価され、Riders Pollのオンライン・ビデオ・シリーズ・オブ・ザ・イヤーを受賞する。キャピタの映像作品『Defenders of Awesome 2 ? STAY BAD ASS』、アディダススノーボードの映像作品『adidas Snowboarding : Nomad』シリーズ、オークリーのスノーボードムービー『Snowboarding: For Me』等に出演。その影響で翌2015年にかけて日本・アメリカ・スペイン・韓国等のスノーボード雑誌10誌の表紙を飾り、トランスワールド・スノーボード誌によるSnow Exposure-Meterでスノーボーダーの全米雑誌露出で総合10位、広告ページを除いた順位では4位にランクインした。

2015年、Riders Pollのメンズ・ビデオパート・オブ・ザ・イヤー、メンズ・ライダー・オブ・ザ・イヤー、スタンドアウト・パフォーマンス・オブ・ザ・イヤーの三部門にノミネートされた。トランスワールドの映像作品「Origins」に出演した他、サマーキャンプの「キャンプ・オブ・チャンピオンズ」でジェイミー・アンダーソンらと共演。また、自身が率いていたSTONPチームの最終作品をリリースした。

X Gamesのリアルスノー部門に初出場し同部門日本人初のメダルとなる銀メダル及びウェブによる投票のファン・フェイバリット賞を過半数以上の支持を得て獲得する。

2016年、國母はアメリカのスノーボーダー・マガジンのライダー・オブ・ザ・イヤーの10人の内の一人に選ばれ、ダニー・デイヴィスらから賛辞が送られた。また、トランスワールド・スノーボード誌主催のRIDRES POLL 18において、ユニオン社が制作した「STORONGER」でメンズ・ビデオ・パート・オブ・ザ・イヤー(年間最優秀ビデオパート賞)を受賞した(同賞の受賞は日本人初)[7]

前年に公開された「Origins」の映像がアディダス・スノーボードのチーム・ムービーに使用された他、G-SHOCKの広告映像「Never Enough Time」に出演した。CAPiTAからは自身のシグネイチャー・モデルのスノーボード板が発売された。

2018年12月16日放送『消えた天才3時間SP』では、オフシーズンの2〜3ヵ月間は北海道で家族と過ごしている事を明かしている。

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出典:Wikipedia
2019/11/14 06:31
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