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有道出人
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1.来歴および活動履歴
生誕名はDavid Christopher Schofillデイヴィッド・クリストファー・スコーフィル)。カリフォルニア州に生まれ、ニューヨーク州に育つ。両親の離婚により1971年頃に養子となり、Aldwinckleに改姓。7代前の祖先にはチェロキー族がいる[2]
コーネル大学在学中、1986年に文通相手の菅原文子(あやこ、のち南幌町議会議員)の招きで初めて日本を訪問し、数週間滞在。以後、日本語の習得に専念し、1987年6月にコーネル大学教養部政治学科を卒業。1987年8月から1988年8月まで、札幌市の株式会社インターナショナルアカデミー(IAY)で英語を教えた後、米国へ戻り、カリフォルニア大学サンディエゴ校国際関係論大学院に入学するが休学。1989年10月から1990年8月まで、新潟県長岡市の株式会社日本マネジメントアカデミィ総務部に1年間勤務。1989年、菅原文子と結婚。妻との間には2人の娘がいるが、1人は一見日本人風、もう1人は一見外国人風であるため、湯の花温泉では外国人風の娘だけが入浴を拒まれる差別を受けたという。
1990年、カリフォルニア大学サンディエゴ校国際関係論大学院に復学。1991年6月、修士号(商学、日米貿易専攻)取得。1991年9月、札幌市の株式会社島田産業に入社し、アジアからの建材木材の輸入を担当したが、外国人ハラスメントを受けたと申し立てて[3]1993年1月に退社し、同年4月から北海道情報大学経営情報学部経営ネットワーク学科講師としてビジネス英語と欧米式討論を教え始める。2007年から同校の准教授を務める。
1996年に日本の永住権を取得。
2000年10月に日本国籍取得。これにより法律上の氏名は菅原 有道出人となる。
2001年に小樽の入浴施設を提訴(主任弁護人伊東秀子)。
2002年在札幌米国総領事館から警告を受けて米国市民権を放棄。
2002年NTTドコモに抗議[4]
2004年2月、稚内市紋別市に対し人種差別撤廃条例を強要[5]
2005年の3月から4月にかけてピースボートに参加[6]
2005年6月より、本人のサイトにてパロディー絵「Little Yellow Jap」掲載を開始[7]
2005年マンダムに抗議[8]
2006年1月、2ちゃんねるを相手取って起こした名誉毀損訴訟で勝訴(2ちゃんねるの歴史参照)。
2006年4月H.I.Sに抗議[9]
2006年9月、菅原文子と協議離婚[10]。その理由について、有道は「離婚は2004年2月に自分から申し出た」「自分の人権活動が離婚の原因になったわけではない」[11]と説明している。
2006年国歌斉唱は多文化共生に反すると非難[12]
2006年11月戸籍にある菅原姓の削除を札幌家庭裁判所に申し立て[13]、これにより法律上も有道 出人となる。
2007年2月ファミリーマートボイコット運動[14]
2007年9月ホリデースポーツクラブに抗議[15]
2007年10月北海道情報大学を非難[16]
2007年12月東横インボイコット運動[17]
2008年1月北國新聞に抗議[18]
2008年1月豪で武者小路公秀と共に日本語能力テストを批判[19]
2008年6月、洞爺湖サミットのための警備の一環で新千歳空港で職務質問されたことに対し腹を立て北海道警察に抗議文を提出。この際、録音装置をあらかじめオンにして[20]職務質問されるまで警察の周りをうろついていたことについて「彼はやり過ぎの警官に捕まった無辜の歩行者ではない、トラブルを誘っていたのだ」との批判がある[21]
2011年6月北海道情報大学を退職。同年に再婚。
2014年明治学院大学で博士号取得
[6]次ページ
(2.小樽温泉入浴拒否問題)
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出典:Wikipedia
2019/12/04 12:30
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