朴槿恵
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1.経歴
1.6.大統領として
2013年2月25日に第18代大統領に就任した。国会議事堂で開催された就任式の演説で「経済復興」,「国民幸福」,「文化隆盛」を通じて新しい希望の時代を切り開いていき、父・朴正煕の業績にあやかって「第2の漢江の奇跡をつくる偉大な挑戦に出る」[38]と宣言した。特に北朝鮮が核を放棄し、平和と共同発展の道に進むことを願いながら、「韓半島信頼プロセス」を通して韓民族がより豊かに、そして自由に暮らし、自身の夢を成し遂げられる幸福な統一時代の基盤をつくると語った。(2012.2.25、ニュース1コリア) 。このように彼女の原則に基づいた対応は、数多い韓国民はもちろん、アメリカ中国ロシアからも支持を受け、国連安保理の新たな北朝鮮制裁決議(2094号)を全会一致で採択(2013.3.7)することに貢献した。

大統領就任後、初の外交・首脳会談としてアメリカ合衆国を4泊6日の旅程で2013年5月5日に訪問した。米韓首脳会談でバラク・オバマ米大統領が、北朝鮮の核・ミサイル問題解決のため日米韓の3ヶ国の結束の重要性を強調すると、朴大統領は「北朝鮮が正しい方向に向かうよう、韓国と米国が連帯して取り組む。」とした[39]。この訪米中に、朴大統領のスポークスマンである尹昶重(ユン・チャンジュン)の性的スキャンダルが発覚し、本格外交デビューに汚点を刻んだ[40]。また、5年ぶりに経済副首相を復活させ、韓国の国策シンクタンク「韓国開発研究院」の玄?錫(ヒョン・オソク)院長を起用した。玄副首相は主要国首脳会議などの国際会議に積極的に参加してアベノミクス批判を行い、円高ウォン安の維持を目論んだが賛同を得られなかった。また、効果的な経済浮揚策も打ち出すことができないため、厳しい批判を受けている[41]

2013年11月2日から8日までフランスイギリスベルギーを訪問し各国要人と会見した[42]

朴槿恵大統領の強固な対応と国際社会の一致した圧迫の結果、北朝鮮は韓国に対する挑発と威嚇を中断し、開城工業団地再稼働の問題を協議するよう韓国に提案(2013.6.6)して来た。朴槿恵大統領の国政運営に対する国民の支持率は63%(KOREAGallup,2013.7.1-4調査)に達し、この数値は、彼女の大統領選挙の得票率(51.6%)より 遥かに高い。これについて韓国メディアは、朴大統領が高い支持を得ているのは、原則に基づいた対北朝鮮政策、アメリカや中国訪問の成果、国内における政治的な論争から一定の距離を置いたこと等が要因であると説明する。(2013.7.11、朝鮮日報)

内政[編集]


朴槿恵大統領は、国政運営のビジョンを「国民が幸せな希望の新時代」と提示した。つまり、韓国が堅持してきた国家中心の発展モデルから脱却し、国政の中心を国家から個々人に転換することによって国民個々人が幸せになり、結果的に国家も発展する相生の構造をつくると明らかにした。(韓国大統領府)

また、成長と福祉の関係についても、成長の上に福祉ありという単線的かつ因果論的な認識から脱却し、成長と福祉が好循環するように努力し、全ての人が共同体の中で信頼し合い、経済?社会的な不平等も補正される社会を建設すると約束した。特に朴槿恵大統領は、自身の構想する「新しい韓国」は、全ての南北住民が 幸せな「幸せな韓半島」を実現することに資し、延いては世界と人類の発展にも資する、信頼される模範国家になると説明した。

朴槿恵大統領は、大統領選挙期間であった2012年11月18日、自身が執権した場合、推進する対内政策の主要内容を「国民幸福10大公約」と題して発表した。

国民幸福10大公約とは、△国民の心配事を半分に減らす△雇用の「ヌルジオ (増やし、守り、質を高めるの頭文字の略語)」△共に進める安全な共同体づくりで集約され、具体的には、国民の負債?教育費?育児負担の軽減、ライフサイクルに合わせた福祉実施、4大疾患の治療支援、IT?文化?サービス分野の投資拡大、創意教育?創造経済を通じた市場と雇用創出、労働者の暮らしの質の改善、4大社会悪(性暴力?学校暴力?家庭破壊犯?不良食品)の根絶、大企業?中小 企業の相生と原則が正しく確立された経済民主化の実現、社会統合?地域均衡 発展などを提示した。(仁川日報 2012.11.18)

こうした朴槿恵大統領の対内政策の構想は、大統領就任後に発表した国政ビジョン(国民が幸せな希望の新時代)と4大国政基調(経済復興、国民幸福、文化隆盛、平和統一の基盤構築)にも反映されている。特に、朴大統領は、「国民一人一人の夢が叶い、国民が自分の暮らしの主人公になれる国を作っていく」と強調し、「経済を建て直し、国民の暮らしを豊かにする?確固たる福祉と、夢と才能を見いだし活かす教育で国民の暮らしを安らかで幸せにする?文化と精神的資産を隆盛させる」と誓った。(韓国大統領府)

朴槿恵大統領の政策構想は、経済民主化立法、経済部署合同の創造経済実践 戦略樹立、国民幸福年金委員会(2012.3.20発足)活動などを通じて段々具体化されている。

韓国では、ソウル市の職員が北朝鮮に脱北者の個人情報を渡していたとしてスパイ罪で逮捕される事件があったが、2014年1月、この職員が中朝国境を移動していたとする証拠が偽造であることが判明した。国家情報院の指示で、中国国籍の脱北者がこの証拠を偽造、情報院から報酬を貰う約束だったという。民主党などの野党勢力は、朴槿恵の内政を、父の朴正煕と同様の公安統治と批判している[43][44]。証拠を偽造した脱北者は、自殺未遂を犯している[45]。国家情報院の院長南在俊は、検察に告発されている[43]。この事件では国情院の職員4人が起訴され、起訴猶予となった職員の1人が自殺未遂を犯した[46]。2014年4月15日、朴槿恵と南在俊は、謝罪に追い込まれた[47]

朴槿恵はその出自と手法から「独裁者の娘[48][49]と国内外から批判されたこともあり、父の朴正熙と同様の権威主義体制との指摘もされている。大統領選では、父の体制を支えた旧KCIAの後身である韓国の諜報機関が、ソーシャルメディアで朴の対立候補を誹謗中傷していた事が暴露されている(大韓民国国家情報院の大統領選挙介入事態)。この事件を告発した検察官は、不倫疑惑で辞任したが、大統領府の高官がこの検察官の私生活を違法に紹介していたことが明らかとなっている。公安通の黄教安を起用したため、「強権的」「公安統治の復活」とも非難された[50][51]。2013年12月には、北朝鮮を支持する国家反逆的な声明を出したという理由で、統合進歩党の解散請求を行っている。国家保安法に基づく立件は、2008年には31件であったが、2013年には102件へ増えた[52]。また、朴槿恵は、朴正熙を事実上の終身大統領にした非民主的な「維新憲法」の草案を作成して法務部長官や検事総長も務めた旧KCIAの元幹部である金淇春を大統領府秘書室長として重用し、朴槿恵政権に批判的な文化人をリストアップするなどその影響力から金秘書室長は「王室長」と呼ばれた[53][54]。また、朴槿恵体制では弾劾デモが起きた際は軍は戦車と装甲車をソウルに展開して戒厳令を敷くことを計画していた[55]

外交、対北朝鮮政策[編集]


朴槿恵大統領の外交政策は、彼女の国政哲学を反映している。韓国の外交部は、「国民幸福?韓半島の幸福?地球村の幸福の具現」を外交ビジョンとして提示し、外交活動の3大目標として「韓半島と東北アジアの平和と共同発展」,「人類の発展に貢献する信頼される韓国」,「国民幸福の増進と魅力的な韓国 実現」を提示した。

一方、朴槿恵政府の対北朝鮮政策は、彼女が提示した4大国政基調のうちの 一つである‘平和統一の基盤構築’の実現に重点を置いている。具体的には、南北間の信頼形成を通じ、対北朝鮮関係を正常化させ、平和統一 のための基盤とそれに備えた韓国の力量を強化することに力を注いでいる。(韓国統一部)

韓半島信頼プロセス[編集]
堅固な安保を通じ、北朝鮮の核を許さない。北朝鮮の挑発には断固として対応する一方、南北間の対話と交流?協力を通じて信頼を築くことによって、韓半島に持続可能な平和を定着させ、平和統一の基盤を構築することである。

朴槿恵大統領は訪中(2013.6.27-30)の際に、中国メディアとのインタビューでも自身の構想について説明した。朴大統領は、「韓半島信頼プロセスは、北朝鮮が非核化を選択した場合を想定している。具体的には、北朝鮮に対する人道支援と低いレベルの経済協力、延いては交通?通信の大規模インフラ投資まで含まれた非常にマクロ的な対北朝鮮政策である。もし北朝鮮が核を放棄し、国際社会の要求に前向きに応えれば、韓国は北朝鮮を積極的に支援し、南北共同発展を実現していく計画だ」と説明した。

東北アジア平和協力のための「ソウルプロセス」[編集]
朴槿恵大統領は、「東北アジア地域には、経済的力量と相互依存が増大しつつあるにもかかわらず、過去の歴史から始まった葛藤はより深刻化され、政治?安保面の協力は後退する“アジア?パラドックス”が現れている。このような状況を克服するためのビジョンとして東北アジア平和協力構想を推進する」と断言した。

つまり、東北アジア平和協力構想は、東北アジアの重要性が増大する世界史的な転換期を迎え、域内国家との多国間の協力メカニズムを構築し、東北アジアの平和と協力を保障することである。

北東アジア列車フェリー構想[編集]
2007年の大統領候補予備選において、朴槿恵は李明博の「朝鮮半島大運河計画」に対抗して「北東アジア列車フェリー構想」を唱えた。これは鉄道船舶を用い、韓国と日本中国を結び、国家間の協力や交流を強化することを目的とする。

具体的には、東京貨物旅客を載せた列車博多まで移動させ、博多湾から列車を船に載せて釜山に輸送する。釜山から韓国の鉄道を経由し仁川平沢に移動し、今度は中国へ向かう船に列車を載せ、煙台大連へと物資や人を輸送する、というものであった。最終的にはロシア中央アジア欧州まで列車で輸送できるようにするとした[56]。この構想の実現により物資を船に積み替える作業が不要になる他、輸送費を34%削減でき輸送距離も64%縮められるというメリットがあるとされた[56]

北朝鮮[編集]
朴槿恵大統領の北朝鮮?統一問題に関する政策ビジョンと構想は、彼女の韓半島信頼プロセスに細かく盛り込まれている。
朴槿恵大統領は統一問題に対し、「統一は必ず実現すべきだ。統一の究極的目標は、南北ともに国民の生活の質を高めることで、それを実現するためには国際社会の協力と共助が必要だ」と言及した。(2013.5.15、連合ニュース)

また、朴槿恵大統領は、「南北統一は、信頼構築と平和定着?経済共同体建設?政治統合の3段階を通じて成し遂げていく。そのために、対北朝鮮人道支援、離散家族再会の定例化、開城工業団地の国際化、地下資源の共同開発、北朝鮮の電力?交通?通信などのインフラ拡充を進める」と明らかにした。(2013.7.12、東亜日報)朴槿恵大統領が原則に基づいて対応した結果、北朝鮮は韓国に対する挑発?威嚇を中断し、2013年6月6日、祖国平和統一委員会の報道官特別談話を通じて開城工業団地の正常化と金剛山観光の再開の問題を協議するよう韓国に提案した。2013年7月3日には、板門店連絡官を通じて開城工業団地に入居した韓国企業らと団地管理委員会職員らの開城工業団地への訪問を認めた。

朴槿恵は、韓国のアジア第4位の資本と技術力が北朝鮮の人的資源や天然資源と結びつけば、飛躍と活力の源泉になると主張しており、南北統一に意欲を見せている[57]

しかし、北朝鮮は2014年2月下旬より、短距離ミサイルやロケット弾の発射を繰り返し、3月3日、3月26日には弾道ミサイルノドンを発射した[58]。3月27日、国際連合安全保障理事会は緊急会合を開き、ノドン発射を安保理決議違反として非難する談話を発表した[59]。3月31日には、北朝鮮が北方限界線近くの黄海で射撃訓練を実施、計約500発を発射し、うち約100発が韓国側の海域に着弾した[60]。これに対し、韓国側も応射した[61]。この一連の動きは、日米韓の連携を牽制するとともに、北朝鮮との交流を主張しながらも、韓国主導の「吸収統一」構想や非核化に言及し、韓国独自の制裁の緩和・解除には言及しない朴槿恵に対する不満や失望の現れとも指摘されている[62]。また、2014年4月12日、北朝鮮の国防委員会は、朴槿恵がドイツで行った南北統一に向け交流の拡大を訴えた演説について「民族反逆者のたわ言」と批判した[63]、2016年に韓国政府は開城工業団地を運用停止した。また、政権後半にはかつて朴槿恵の父である朴正煕と北朝鮮の最高指導者金正恩の祖父である金日成が文世光事件や青瓦台襲撃未遂事件空軍2325戦隊209派遣隊で互いに暗殺を試みたように朴槿恵と金正恩の双方が双方を殺害する作戦を計画する[64][65]など南北関係は極度な緊張状態となった。金正日の長男である金正男マレーシアで暗殺された事件でも「南朝鮮の朴槿恵逆徒」の陰謀であると北朝鮮は非難した[66][67]。北朝鮮は金正恩暗殺計画を理由に朴槿恵と、李炳浩(同じく金正恩の暗殺作戦を米国のCIAとともに計画したとしてる前国家情報院院長[68])を極刑に処すための引き渡しも韓国に要求した[69]

アメリカ[編集]
朴槿恵大統領は、韓半島での戦争防止と北朝鮮の核問題解決はもちろん、自身の推進する‘韓半島信頼プロセス’と‘東北アジア平和協力構想’を実現 するためには、アメリカの協力が極めて大切であると認識し、韓米関係の増進に関心を傾けている。

朴槿恵大統領は、大統領就任の慶祝使節で訪韓した米国のドニロン国家安保 補佐官に「北朝鮮の核武装は決して容認できず、北朝鮮の挑発に対して韓米共助に基づいて国際社会が断固として対応する」と強調した。(2013.2.28、ニューシース)朴槿恵大統領は、就任後初の海外訪問先としてアメリカを選択し、2013年5月5日から9日までワシントンDC、ニューヨーク、ロサンゼルスを訪問した。

朴槿恵大統領は訪米中、オバマ大統領との首脳会談と米議会上?下両院合同会議での演説等を通し、過去60年間維持された韓米同盟関係をより強固にし、未来志向的に発展していくことに合意した。一方、彼女は、自身の韓半島信頼プロセスと東北アジア平和協力構想に対するアメリカの支持を得た。(2013.5.8、韓国大統領府報道資料)

2014年10月に朴槿恵大統領は戦時作戦統制権の韓国への移譲を無期限延期して有事の際の金正恩ら北朝鮮要人を殺害する斬首作戦を訓練計画に盛り込み、2016年3月に実施した史上最大規模の米韓合同軍事演習の中に斬首作戦もあったことから北朝鮮の猛反発を招いた[70]。また、2016年10月には北朝鮮の核の脅威に対抗するため、1991年に撤去された戦術核兵器の再配備を米国に要請していた[71]

中国[編集]
韓国国内における朴槿恵は「親中派」の政治家として知られ、父・朴正煕から「三国志」を贈られて以来中国の文化に親しみ[72]初恋相手は趙雲とも語ってる[72]。大学時代には中国語を専攻し、台湾の大学に学位も持つことから親華派親台派ともされ[7]、大統領就任式には台湾から王金平立法院長らも出席した[73]。大統領に就任する前[15]や大統領選挙当選の直後でも中国重視の姿勢を明確にしてきており[74]、その結果、朴槿恵政権における中国の重要性は、日本を上回るだけではなく、同盟国であるはずのアメリカ合衆国に匹敵するほどである[74]

朴槿恵政権の韓国では中華人民共和国とのFTAが締結され[75]、中国が米国を抜いて韓国国債の最大保有国となっている[76]。中国は韓国の最大貿易国(2012年、2,151億ドル)であり、最大投資相手国でもある。韓中間には、毎週800便以上の航空便が運行されており、6万人の韓国留学生が中国で、そして6万8千人の中国留学生が韓国で勉強している[77]

朴槿恵政権の対中外交努力は、2013年6月27日から30日にかけての中国国賓訪問ではっきりと表れた。朴大統領は、自身の訪中スローガンを「心と信頼関係を築く旅」(心信之旅)と定めた。その際には流暢な中国語を披露し[78]、中国のネット世論からも高く評価されていた[79]中国共産党政府も中国語に堪能な朴大統領との関係発展に期待し[80]、訪中した朴大統領は歴代の韓国大統領とは比較にならないほどの大歓迎を受けた[74]習近平国家主席との首脳会談及び「韓中未来ビジョン共同声明」の採択などにより、韓中間「戦略的協力パートナー関係」を充実させ、習国家主席の提唱したアジアインフラ投資銀行(AIIB)にも参加し、両国間の経済協力と文化交流を深めた。また、政治と安保面での協力の幅を広げ、中国人民抗日戦争・世界反ファシズム戦争勝利70周年記念式典に主賓クラスの待遇で招待され、パレードで金日成の所属した東北抗日連軍の模範部隊も参観したことも韓国メディアに注目された[81][82]。パレード後は中国政府が改修費用を全額負担[83]した大韓民国上海臨時政府庁舎の再開館式にも出席した[84]。日本だけでなく、中華圏との経済交流にも必要な漢字教育を重視し[85]、朴槿恵政権が小学校教育での漢字併記を決定した際は「漢江」「漢城」など中国由来の文字を批判[86]してきた韓国の民族主義者やハングル関連団体などの猛反発で脚注での表記への修正を余儀なくされた[87]。朴大統領は、中国訪問期間中に今までタブー視された朝鮮統一問題について議論を始めた。尹炳世外務長官は、「韓中が統一問題に対する議論の口火を切った。両国の指導者が意見を交したため、統一問題について本格的に議論できるだろう」と言及した(2013.7.12、東亜日報)。朴槿恵政権が、冷え切った日韓関係の修復に必ずしも積極的に動き出さない理由は、彼女が中国との密接な関係を何よりも重視し、それを歓迎する保守派の世論動向にあるとの分析がある[74]。また、友好の証として2013年に朴槿恵の提案した朝鮮戦争で韓国軍と戦った中国人民志願軍の遺骨返還は2014年に始まった[88][89]

北朝鮮の問題でも北朝鮮が核爆弾及び長距離弾道ミサイルの開発を継続して朝鮮半島の安定と平和に対する挑発が続いている状況から、北朝鮮に大きな影響力を持ち、6か国協議主催国の中国に働きかけを行った。しかし、2016年1月の北朝鮮の核実験後、韓国が中国に対北朝鮮制裁で協力を求めたが、中国側は対話を通じて解決することを強調した。また、2015年12月には父親の朴正煕がかつて開設を目指した[90][91]中韓のホットラインを設置することに成功するも[92]、ホットラインによる協議を北朝鮮の核実験後に韓国側が要請したが、中国からの回答待ちで機能しなかった。これについて、朝鮮日報は朴槿恵政権の対中外交に成果がなかったと批判した[93]。その後、2月末に中国側が対北朝鮮制裁決議を全面的に履行するとの立場を明らかにした。これは米国によるTHAADの韓国配備について、米韓両国が公式協議の開始を決めたことがある程度の影響を及ぼしたと見なされている[94]。中国とロシアはTHAAD配備の動きに反発して中露初のミサイル防衛合同演習を実施した[95]

2016年7月8日韓国国防省在韓米軍THAADミサイルを在韓米軍に配備することを最終的に決定したと発表したことに対し[96]、中国側は「強烈な不満と断固とした反対」を示した[97]。中国とロシアは中露安全保障会議を開いて米韓のTHAAD配備決定に対して報復措置を実施することを表明した[98]。その後、韓中関係が急速に冷え込み、中国で「禁韓令」「限韓令」と呼ばれる反韓政策も起きた[99][100]

日本[編集]
大統領就任前は、竹島問題慰安婦問題における韓国政府の立場を堅持しながらも、歴史教科書問題では親日あるいは知日派的な保守の政治家とされ、教科書国定化の際は植民地時代に肯定的なニューライト系の学者を重用している[101]。大統領罷免後に収監されたソウル拘置所で日本の山岡荘八の歴史小説を耽読してることが注目された際は韓国世論から「やっぱり親日」「日本で政界復帰すればよい」と非難する声が上がった[102]

父親同士が親密だった安倍晋三とも官房長官時代に神戸ビーフを贈られ、手紙をやりとりするなど交流が深かった[103]。2012年に両者が内閣総理大臣と大統領にそれぞれ就任した際は同年に中国共産党中央委員会総書記に就いた太子党の習近平と並べて「日中韓は世襲政治家の時代を同時に迎えた」と評された[104]

「日本の正しい歴史認識を基にして、両国関係が未来志向的に発展することを望む」とし、日韓FTA締結などに積極的な姿勢を見せていた[105]。日本も韓国に配慮して「竹島の日」政府式典を見送り[106]日韓議員連盟会長の額賀福志郎を特使として、2013年1月5日に派遣した。しかしこの際、朴は額賀の訪問を歓迎せず、会談でも日本の歴史認識に厳しい姿勢を示した[107]。ただし、同年2月にソウルで開催された討論会で、韓国に対して謝罪を行った元衆議院議長河野洋平は歓迎され、朴と会談している[108]

2012年5月に李明博大統領と野田佳彦首相による、日韓首脳会談が北京市で行われて以降、一度も会談は開催されていなかった。

2013年3月1日三・一独立運動記念式典では、「(日本と韓国の)加害者と被害者という歴史的立場は、1000年の歴史が流れても変わることはない」と演説した[109]。その後、韓国内では「千年恨」という言葉がブームとなり、韓国・北朝鮮連合軍による対馬「奪還」作戦を描いた小説『千年恨、対馬』がベストセラーとなった[110]

初の外遊となった2013年5月の訪米では、バラク・オバマ大統領との会談において、北朝鮮問題に関して中国やロシアの役割への期待を表明する一方、日本を連携国としては言及せず、「北東アジアの平和のために日本は正しい歴史認識を持たねばならない」と批判した[39]。2013年9月30日には、訪韓したチャック・ヘーゲル米国防長官に対して「歴史や領土問題で後ろ向きの発言ばかりする日本指導部のせいで信頼関係を築けない」と発言した[111]

2013年11月に行った欧州歴訪においても、要人との会談において日本批判を繰り返した。11月2日のフィガロ紙に掲載された記事では「(日本の政治家が歴史問題に関して)不適切な言動を繰り返している」「欧州統合は、ドイツが過去の過ちを改める態度を示したからこそ可能になったと思う。日本も、欧州統合の過程をよく調べる必要がある」と答えた[112]

同年11月4日のBBCとのインタビューでは、北朝鮮に関して、「必要なら、いつでも会うことができるという立場だ」と会談に前向きな姿勢を示す一方で[113]、日韓首脳会談においては「首脳会談をしても得るものはない」[112]、「日本の一部指導者は謝罪する気もなく、元慰安婦を侮辱し続けている」と述べた[111]

同年11月7日に行われたベルギーのエリオ・ディルポ首相との会談では、「北東アジアでの政治、安保の対立が拡大している」と日本を暗に批判した[114]。同年11月8日には欧州連合ヘルマン・ファン・ロンパウ欧州理事会議長との会談後の記者会見で、慰安婦問題に関して「日本には後ろ向きの政治家がいる」、「(安倍首相との会談は)逆効果」、「日本の指導者は考え方を変えるべきだ」と述べた[115]

大統領就任から日韓首脳会談を拒否してきた朴槿恵だが、2014年3月21日、日米韓の三カ国による首脳会談を発表[116]。仲介に乗り出したアメリカ合衆国と日本に押し切られ、事実上の外交敗北との評価もある[117]

日本時間26日未明、オランダハーグで会談。冒頭発言で、安倍首相がほほ笑みながら韓国語で挨拶するも、朴は硬い表情のまま目を合わせることもなかった。カメラマンが3氏による握手を求めても朴が応じないなど、冷え込んだ日韓関係を象徴する異様な首脳会談となった[118][119][120]

2014年10月6日に「(世界的に不透明感が強まっているため)株式市場を含む国内の市場ではボラティリティが高まっており、(韓国の)輸出企業の利益が円安のせいで悪化する恐れがある」と日本の為替相場に異例の言及をした[121]

2015年11月2日には、李明博竹島上陸韓国による天皇謝罪要求などでの中断から3年ぶりに開催される日中韓首脳会談出席のための安倍首相の訪韓に備えて韓国側は朴主催の昼食会などを交換条件に、慰安婦問題での「譲歩」を要求したが、日本側は拒否した[122]。日中韓首脳会談では2018年平昌オリンピック2020年東京オリンピック2022年北京オリンピックに向けた3カ国のスポーツ交流強化と日中韓FTAの交渉加速や北朝鮮核問題での連携などを掲げた共同宣言が採択され[123]、主催国の面子を保つために中国の李克強国務院総理と安倍首相の双方と手を携える一方、中国と対照的に日本の安倍首相とは夕食会を行わなかった[124]

2015年12月28日には日本政府と慰安婦問題日韓合意を成立させ、2016年3月には日米韓が対北朝鮮ではあらゆる協力をすることで一致し[125]、同年6月には北朝鮮への対策で日米韓は初のミサイル防衛共同演習を行った[126][127]。また、職務停止直前の同年11月には再び日米韓で合同訓練を行い[128]、野党の反対を押し切って日韓の初の防衛協力協定[129]である日韓秘密軍事情報保護協定(GSOMIA)も北朝鮮に対抗するために締結した。

ロシア[編集]
朴槿恵大統領は自らの「ユーラシア・イニシアチブ」構想に基づき[130]、ロシアが韓国の重要な「協力パートナー」であるとの認識の下、東方政策(ロシア)と新北方政策(韓国)の接点を通じた両国の関係発展に大きな期待を寄せている。露韓首脳会談でも、朴槿恵大統領はロシア連邦大統領ウラジミール・プーチンユーラシア経済連合と韓国のFTA締結を推進することで一致[131]している。特に「韓半島信頼プロセス」と「東北アジア平和協力構想」などの国政課題を実現するためにもロシアの積極的な参与を重視しているとされる。

また、朴槿恵大統領は、就任式出席のために訪韓したイシャエフロシア極東 開発部長官と接見し、極東?東北アジア地域での協力など、両国の関心事及び 関係強化方案について意見を交した。朴槿恵大統領は、「ロシアは韓国の重要な戦略的協力対象国だ。最近の羅老科学衛星発射成功は、両国の互恵的協力の産物であり、今後関係発展の前向きな手がかりとなる」と言及し、6カ国協議に対するロシアの積極的な参加が韓半島の緊張緩和に寄与すると期待感を示した[132]

イギリス[編集]
イギリスは、朝鮮戦争に対し、アメリカに次ぐ最大の兵力を派遣した友好国である。朴槿恵大統領は、2013年7月12日、ロンドンで開催された‘韓国戦争参戦イギリス老兵たちの6.25停戦60周年を記念する街頭行進行事’に感謝メッセージを寄せた。また、イギリスの6.25参戦の功を称え、6.25参戦碑の 設立を推進している。

朴槿恵大統領は、2013年の十一月、イギリスを国賓訪問した。韓国の大統領が国賓の肩書きでイギリスを訪問したのは、盧武鉉元大統領以降今回が2回目で、9年ぶりのことである。これは、両国間の緊密な友好関係を反映するものであり、朴槿恵大統領は、王室が招待したVIPとしてバッキンガム宮殿に滞在するなど、最高の儀典と礼遇を受けた。

フランス[編集]
朴槿恵大統領は、自叙伝をはじめ、各種演説でフランス留学経験について言及するなど、フランスに対し、格別な関心を示している。
朴槿恵大統領は、フランスの対北朝鮮政策について「フランス政府は、北朝鮮の核問題の解決?北朝鮮の人権改善や非政府機構(NGO)の活動保障を、対北朝鮮関係改善の先決条件として提示してきた。これは、韓国の対北朝鮮政策の方向とも一致しており、こうしたフランスの立場が韓国にも大きな力になっている」と評価した。(2013.7.12発刊フランス‘Politique Internationale誌’夏号)

ベトナム[編集]
朴槿恵大統領は、2013年9月訪越したが、ベトナム戦争時に韓国軍が犯した強姦及び虐殺への謝罪が一切なかった。朴槿恵大統領は、日本に対しては「過去を直視せよ」と迫る一方で、韓国軍に暴行されたベトナム人婦女子、虐殺されたベトナム人住民へ、「過去を直視する勇気、相手の痛みに対しての配慮」を示すことがなかった[133]

2015年にはベトナムとのFTAを締結した[134]

弾劾・罷免[編集]


2016年10月末に発覚した友人崔順実の国政介入問題、いわゆる「崔順実ゲート事件」により、支持率が急落。11月初頭には5%までに下落し、伝統的な左派地盤である全羅南道では0%になった[135]。朴槿恵はこの問題に対して数度の国民向け談話を発表し、2回目の談話にて「夜も眠れず、こんなことをするために大統領に就任したのかと思うほど、辛い思いばかりしている」と悔恨の念を示した[136]。そして11月29日には3回目となる談話で大統領任期の短縮を含む自らの進退をすべて国会に委ねる意向を表明した[137]

12月9日、国会で弾劾訴追案が可決され、弾劾訴追議決書の送達を受けた同日19時3分から大統領としての職務が停止された[138][139]。しかし、その7日後の、12月16日には弾劾訴追案の審議を行う憲法裁判所に対して、国会による弾劾訴追を棄却するよう求める答弁書を提出した[140]。職務停止以降、大統領代行として黄教安が職務に就く。翌2017年2月28日には特別検察官が国政介入疑惑における収賄を認定[141]3月10日午後、憲法裁判所により、罷免を裁判官8人全員の一致で決定した。これにより、1987年の民主化の際に大統領の弾劾制度が導入されて以降、史上初めて弾劾で罷免されたことにより失職した大統領となり、その治政は4年と14日で幕を閉じた[142][2]

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出典:Wikipedia
2019/05/12 18:30
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