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北足立郡
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2.歴史
2.1.郡発足までの沿革
旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での、後の当郡域の支配は以下の通り。●は村内に寺社領が、は村内に寺社除地(領主から年貢免除の特権を与えられた土地)が存在。天領は大竹左馬太郎支配所、佐々井半十郎支配所、松村忠四郎支配所、福田所左衛門支配所が管轄。詳細不明は村数に含めない。(2町9宿356村)
慶応4年
6月19日1868年8月7日) - 忍藩士の山田政則が武蔵知県事に就任。下記を除く幕府領・旗本領を管轄。
7月10日(1868年8月27日) - 旧幕府代官の桑山効が武蔵知県事に就任。元郷村、領家村(現川口市領家)、前田村、二軒在家村、樋爪村、中居村、小淵村、上新田村、染谷村、赤井村、前野宿村、吉蔵新田、安行村、藤八新田、江戸袋村、浦寺村、苗塚村、新堀村、峯村、領家村(現川口市安行領家)、長蔵新田、榛松村、久左衛門新田、藤兵衛新田、新兵衛新田、蓮沼村、新井新田、貝塚村(現川口市)、原村、小山村、遊馬村(現草加市)、戸塚村、慈林村、赤芝新田、本郷村(現川口市)、清右衛門新田、長右衛門新田、北谷村、善兵衛新田、花栗村、大竹村および石神村、赤山村の一部を管轄。
明治元年
12月23日1869年2月4日) - 桑山効知県事が河瀬秀治に交代。
側海斗村が側ヶ谷戸村に改称。
明治初年
2ヶ所存在した町谷村のうち、町谷村(現桶川市)が大谷領町谷村に改称。町谷村(現さいたま市)は存続したが与野領大谷村を通称。以下本項でも通称を記す。
4ヶ所存在した別所村のうち、別所村(現さいたま市北区)が大谷別所村に改称。残り3ヶ所は存続。
原市村が原市町に改称。(3町9宿355村)
明治2年
1月10日(1869年2月20日) - 山田政則知県事が宮原忠英に交代。
1月13日(1869年2月23日) - 武蔵知県事・宮原忠英、河瀬秀治の管轄区域にそれぞれ大宮県(県庁は東京府日本橋馬喰町)、小菅県を設置。
9月29日(1869年11月2日) - 県庁が浦和に置かれ浦和県に改称。
明治3年 - このころ大門宿が大門町に改称。(4町8宿355村)
明治4年
7月14日1871年8月29日) - 廃藩置県により、藩領が忍県岩槻県となる。
11月14日(1871年12月25日) - 第1次府県統合により、全域が埼玉県の管轄となる。
1874年(明治7年)(5町7宿339村)
2ヶ所ずつ存在した在家村・根岸村のうち、在家村(現川口市)・根岸村(現川口市)がそれぞれ安行領在家村、安行領根岸村に改称。在家村(現さいたま市)・根岸村(現さいたま市)は存続。うち在家村(現さいたま市)は植田谷村在家村を通称。以下本項でも通称を記す。
安行領道合村・浦和領道合村・新道合村が合併して道合村となる。
柄山村・小見戸村・小室宿村・柴村・中荻村・別所村(現伊奈町)・本村・丸山村が合併して小室村となる。
上平塚村・中平塚村・下平塚村が合併して平塚村となる。
岸村が浦和宿に、東山村新田が山村に、八木崎村が柳崎村に、庄五郎新田が木曽呂村に、新井新田が新井村(現さいたま市見沼区)にそれぞれ編入。
川口宿が川口町に改称。
1875年(明治8年) - 上中丸村・下中丸村が合併して中丸村(現北本市)となる。(5町7宿338村)
1877年(明治10年)(5町7宿334村)
西蓮寺村・千駄村が合併して栄和村となる。
芝村東組・芝村西組が合併して芝村となる。
中居村・小淵村・上新田村が合併して三ツ和村となる。
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(1.郡域)
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(2.2.郡発足後の沿革)
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出典:Wikipedia
2019/08/02 01:00
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