柳家小さん (4代目)
▼人気記事ランキング
概要
4代目 柳家 小さん(やなぎや こさん、1888年4月18日 - 1947年9月30日)は、東京の落語家。本名、大野 菊松(後に平山に改姓)。

経歴・人物[編集]

東京の麹町の生まれ、小学校から暁星中学に合格したが体を壊し入学を断念。洗濯屋などに奉公に出る。1906年に2代目柳家つばめの紹介でつばめの師匠の3代目柳家小さんに入門。本名の一字をつけて柳家小菊と名乗る。

1908年12月二つ目昇進し3代目柳家小きんに改名。若手勉強会『胆力養成会』に出演し実力をつけ将来を嘱望される。

1913年4月小さん一門の出世名であり師匠小さんの前名5代目柳家小三治に改名する。

1916年2月真打昇進。1918年3月4代目蝶花楼馬楽襲名。1928年4月、師匠小さん引退に伴い4代目柳家小さんを襲名。自分の名跡である蝶花楼馬楽は弟子3代目三遊亭圓楽(後の林家彦六)が5代目を襲名した。

落語協会に所属していたが1934年に脱退、東宝専属となり東宝名人会に出演した。

得意ネタは『かぼちゃ屋』『二十四孝』『ろくろ首』『三軒長屋』『青菜』『おばけ長屋』『雑俳』『三人旅』『芋俵』など滑稽噺が多い。といってけっして受けを狙わず淡々とした口調で、時折鋭い警句を交えるなど格調の高い芸風であった。一方で新作落語の創作にも力を入れ、『創作力のない者は、噺家ではない』という言葉を残している[1]

無口かつ温厚な性格ながらも、『曲がりたる心あるものは落語を止めるべし』と主張して落語の有り方に意見を持つ人物であった。一方では人のあだ名をつけるのが巧く、5代目小さんの前座名「栗之助」などにその卓抜なセンスが窺われる、ほかにも小さんが付けたとされるあだ名に西村楽天に「西洋の羅漢様」、柳家小半治に「面子の頼朝」、8代目春風亭柳枝に「ホワイト小僧」、5代目古今亭志ん生に「蟒蛇うわばみの吐き出され」などがある。また俳句をよくし、「皐月庵祥喜」という俳名を持っていた。

終戦後は落語協会に復帰して会長に就任、話芸も円熟期に入ろうかという矢先に、上野鈴本演芸場で新作落語「鬼娘」口演後、楽屋に下がり、前座が茶を出し、飲み終わり、湯のみを置いたところで前に倒れ、そのまま死去した(3代目三遊亭圓歌談)。

1947年9月30日、逝去。59歳没 。墓所は台東区本寿寺。

孫は画家の大島誠。

一門弟子[編集]

2代目柳家小満ん(息子4代目柳家小せんは5代目柳家小さんの総領弟子である)
8代目金原亭馬生(元は8代目桂文楽の弟子だが、後に小さん一門に移籍、太平洋戦争中に死去)
林家彦六(元は師匠小さんの弟子だが、師匠小さん引退、1927年に小さん一門に移籍)
4代目鈴々舎馬風(元は4代目古今亭志ん生の弟子だが、師匠志ん生死去に伴い、小さん一門に移籍)
3代目柳家小団治(後に落語協会事務員に転職)
初代昔々亭桃太郎
6代目蝶花楼馬楽(師匠小さん没後は彦六一門の客分格となった)
5代目柳家小さん(師匠小さん没後は8代目桂文楽一門の預かり弟子になる)
4代目桂小団治(最初は4代目小さん一門で小とよ、後に2代目桂小文治一門で小団治に改名した)

出典[編集]

出典:Wikipedia
2019/09/11 02:30
ソ人気記事ランキング
2019/11/19 更新
 1位日本
 2位沢尻エリカ
 3位元千葉ロッテマリーンズ投手強盗殺人事件
 4位伊藤綾子
 5位メチレンジオキシメタンフェタミン
▲上に戻る
[9]Wikipediaトップ
[0]gooトップ
免責事項
(C)NTT Resonant