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野村沙知代
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1.経歴
1.3.南海球団との争い
1973年7月23日には、克也との間に克則が誕生したが、克也は当初、克則を認知しなかったため、沙知代は克則を実父・巳之吉の養子にしようとしたという[11](翌1974年6月に克也は克則を認知)。この頃から沙知代は、南海のチーム運営に口を出すなどの行為が目立つようになり、選手たちの不満が渦巻くようになった[12]門田博光には「野村の方針に文句を言うな。文句を言うなら試合で使わないわよ」と電話を掛けたという[13]

1975年秋、ついに我慢の限界に達した選手たちは沙知代の排除を計画し、中百舌鳥球場で行われた秋季キャンプで克也が選手に意見を求めた際に、門田博光、西岡三四郎江本孟紀の3人が「"カゲ"の監督がいるせいで選手が気持ちよくプレーできない雰囲気になっている」という旨の発言をして現状の是正を求め[14]、11月には西岡、江本、藤原満の3人がチームを代表して大阪市内のホテルで克也に「公私混同を止めてください」と直訴した[15]

一方、球団フロント・職員の間にも沙知代に対する不快感が広がっており、長嶋茂雄監督の初年度が最下位に終わった読売ジャイアンツが投手補強のため南海にトレードを申し込んで来た際に、南海の球団幹部が「野村が巨人へ行きたがっている」という情報を流した。巨人のフロントはこの情報に興味を示し、佐伯文雄常務と張江五広報が窓口となって克也の獲得交渉を進め、選手兼任ヘッドコーチとして克也を巨人に移籍させることで条件がまとまり、克也本人も巨人への移籍を喜んで承諾していたが、結局不成立に終わった。長嶋が反対したためであるという[16][17]

留任が決まった克也は反沙知代派の粛清に乗り出し、首謀者と見なされた西岡は12月に中日ドラゴンズへ、江本は翌年1月に島野育夫らと共に阪神タイガースへと、それぞれ交換トレードで放出された。沙知代はこの時、門田も他球団へ放出させようと画策したが、川勝オーナーが克也に「門田だけは出すこと相成らん」と釘を刺したため、門田の放出は阻止された[18]

1976年5月にエンゲルとの離婚が成立。8月には「芳枝」から「沙知代」へと改名した。沙知代は監督室に出入りしたり、コーチ会議に口をはさんだり、選手の夫人たちに対して沙知代が私的に作った「南海を優勝させる会」への参加を強要した[19]。選手たちは1977年に再び沙知代の排除を計画し、選手たちの訴えを聴いた森本昌孝球団代表は、8月中旬に克也を呼び出して最終警告を発した。克也が後見人である天台宗の高僧・葉上照澄を訪ねて相談したところ、葉上は克也の不品行を厳しく叱り[5]、「女(沙知代)を捨てなさい。でなければ、野球ができなくなる。女を取るか、野球を取るか、道は二つに一つしかない」と懇々と説諭した[20]。ところが、外に控えていた沙知代がその場に闖入し、葉上から直ちに退去するよう命じられると、沙知代は葉上を激しく罵倒した。克也はこの時の沙知代の行動を「溜飲がさがる思いだった」と述懐している[21]

この一件でついに川勝も克也を庇いきれなくなり、9月13日に行われた川勝オーナー、森本球団代表、葉上大阿闍梨と飯田新一球団後援会長(高島屋社長)の四者会談で、「野村の公私混同は甚だしく、沙知代を排除するためには野村の解任も止むを得ない」との結論に達した。球団側は温情措置として克也に対し自主的な辞任を促したが、克也が拒否したため、克也は9月25日にシーズン終了を待たず2試合を残して解任された[22]

記者会見の後、克也は『週刊文春』に「独占手記」と題する文章を発表した。その中で克也は、沙知代が監督室に入り込み、選手に電話をして野球の事に口出しをするなどの現場介入を繰り返しているなどという話は全くのデマであると主張し、本妻と広瀬夫妻、杉浦忠小池兼司らを激しく非難するとともに、その背後には球団の「元老」である鶴岡一人の存在があると主張した。克也は、鶴岡が自らの権勢を維持するため、克也を排除して自分に忠実な広瀬を監督にしようと画策し、鶴岡の意を受けた広瀬と小池がデマを流して自分の足を引っ張り、チームの統制を乱していたと主張した。また克也は、1965年蔭山和夫監督就任直後に急死した一件の真相は、鶴岡一派に嫌がらせをされて精神的に追い詰められたことによる自殺であると主張し、今回の解任劇も沙知代に濡れ衣を着せることで球団改革を進めていた自分を抹殺しようとする鶴岡一派が仕組んだ陰謀であり、1975年の門田と江本の「造反」もそうした陰謀の一環であったと主張した[5]

克也はその後も一貫して、沙知代が現場介入をしたなどという話は全くの事実無根であり、鶴岡一派が自分と沙知代を陥れるために流したデマであると主張し続けていたが[23]、沙知代の死後になって「結婚したら采配に口出して来て、私がいない間にコーチや結果を残せない選手にしっかりしなさいと言っていたみたい。私も止められなかった」と、沙知代の現場介入が事実であったことを認めた[24]

[4]前ページ
(1.2.野村克也との出会い)
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(1.4.表舞台への登場)
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出典:Wikipedia
2020/02/17 11:30
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