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名古屋グランパスエイト
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概要
名古屋グランパスエイト(なごやグランパスエイト、Nagoya Grampus Eight)は、日本名古屋市豊田市みよし市を中心とする愛知県全県をホームタウンとする[1]日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。呼称は名古屋グランパス(なごやグランパス)である。また、Jリーグ創設当初からのチーム、オリジナル10の一つである。

概要[編集]

トヨタ自動車工業サッカー部1939年に創部)が母体であり、1991年のJリーグ発足時に加盟した10チームの一つ(オリジナル10)。ホームスタジアムはパロマ瑞穂スタジアムおよび豊田スタジアム、練習場はトヨタスポーツセンター第1グラウンドである[1](詳細は#スタジアム・練習場を参照)。

ホームタウンは2011年まで名古屋市のみであったが、2012年より名古屋市、豊田市みよし市を中心とする愛知県全県へ変更している。

チーム名の「グランパス (Grampus)」は英語で名古屋城金鯱)、「エイト」は名古屋市の市章「丸に八」からきており、末広がりを表す[1]。公式にはこのチーム名は名古屋市による命名としているが、「エイト」の部分は豊田章一郎トヨタ自動車社長(当時))が「トヨタ」のカタカナの総画数が「8」であることから命名したという[4]。なお、2008年シーズンより呼称を「名古屋グランパス」へ変更したが、中日新聞は「1チーム11名のサッカーのチーム名に8が付くことのアンバランスさを解消すること」、「リーグ戦では8位前後が多いため、そのイメージを払拭すること」を理由に挙げている[5]

チームロゴは発足より筆記体の「Grampus」に上下にそれぞれ「NAGOYA」「EIGHT」が組まれるスタイルが取られていたが、2017年より2段組の「NAGOYA」「GRAMPUS」となり、フォントはエンブレムに使われているものをベースとしている[6]

歴史[編集]

Jリーグ加盟まで[編集]

プロリーグ設立委員会から話を持ちかけられた当初、トヨタ自動車は「先行きに見通しが立ちにくい」とJリーグ参加には難色を示し、1990年5月に不参加を決定した[7]。それに対し、プロリーグ設立委員会は「名古屋にチームが無ければリーグが盛り上がらない」と説得し、県協会を使っての署名活動や地元メディアと連携し、Jリーグ加盟を取り付けたという。トヨタの参加表明は不参加決定を発表してから7ヶ月後、同年12月のことだった[7]。なお、プロとして活動する選手をグランパスエイトに、またグランパスエイトに参加せずに社業に専念する選手を静岡県裾野市にあるトヨタ自動車東富士FC(当時東海社会人サッカーリーグ所属。1993年廃部)にそれぞれ移籍させた。

地域密着を理念とした加入条件に「チーム名に企業名を付けない」があったが、トヨタは「どうせやるならトヨタの“ト”の字も出すな。」とチームに企業色を全く出さなかったために、協会から「小さくてもいいから自社の証であるものをユニフォームに入れてくれないと広告宣伝費として認められない」と諭される。そのため、トヨタが袖スポンサーから胸スポンサーに移動する2001年までは、胸にチームロゴを入れていた。

Jリーグ開幕前年の1992年には、チームの目玉として1986 FIFAワールドカップ得点王のゲーリー・リネカーと契約した。なお、当初はディエゴ・マラドーナの獲得を目指していたが、マラドーナの麻薬所持疑惑により白紙撤回され、スキャンダルのないクリーンなイメージのリネカーを獲得した経緯がある[7]。海外合宿を経て、名古屋での初試合は8月1日に行なわれたブラジル・コリンチャンスとの親善試合であった。Jリーグのプレマッチとして行われた1992年のJリーグカップは、ジョルジーニョ小倉隆史森山泰行中西哲生岡山哲也らが活躍。中でも小倉は5得点を決め、3位の成績をおさめた[8]

1990年代[編集]

開幕前から引き続き監督は平木隆三が務めた。ピッタを獲得、平野孝ら即戦力の新人が複数入団した。小倉隆史は1年間オランダへ留学した[8]
5月2日のプレシーズンマッチ・SSラツィオ戦では、浅野哲也とリネカーのゴールによって日本のクラブチームとして初めてセリエAのチームに勝利した(スコアは2-1)[9]。しかし、リーグ戦に入るとリネカーのケガの影響もあり低迷し、2ndステージ開幕前にエリベウトンを獲得するも、年間総合9位(12勝24敗)に終わった。
1994年
監督にゴードン・ミルンが就任。
サントリーシリーズは8位(9勝13敗)。7月にドラガン・ストイコビッチビニッチを獲得してニコスシリーズに臨んだが、最下位(6勝16敗)に低迷。11月にはミルンが監督を解任された[10]
年間総合も11位(15勝29敗)。この年よりJリーグに加盟した磐田平塚より下位で、かつ前年と同じ顔ぶれとなった浦和G大阪とともに「Jリーグのお荷物」と呼ばれた[11]。なお、浅野哲也はシーズン途中に期限付き移籍、リネカーはシーズン終了後に引退した。
監督にアーセン・ベンゲルが就任。阪倉裕二フランク・デュリックストーレスジェラール・パシを獲得、大岩剛本田征治が入団。藤川久孝ハーフナー・ディド、エリベウトン、ガルサ、ジョルジーニョ、ビニッチが退団。
ベンゲルはそれまでのキーマンの個人能力頼りの戦術を改め、中盤の4人がフラットに近い形で並ぶ4-4-2を採用して高い位置からプレスをかけてボールを奪い、攻守の切り替えを素早く行うという組織的な戦術を植えつけた[12]。当時のヨーロッパではスタンダードな戦術の1つであったが、Jリーグ開幕から間もない日本においては斬新なものであった[12]。この戦術の攻撃のキーマンにストイコビッチを据え、少し引き気味のポジションから自由自在に攻撃を組み立てた(そのため、システムは4-4-1-1とも表現される)[12]。中盤ではデュリックスが攻守に献身的に動き、トーレスがラインを統率して守備面でも安定感を示した。
選手の長所を伸ばすことを目指して自信を植え付けていき、元々代表クラスの選手を抱えていたこともあり、年間総合3位(32勝20敗)。第75回天皇杯全日本サッカー選手権大会で優勝した。
1996年
ベンゲル体制2年目。西ヶ谷隆之福田健二望月重良が入団。小杉敏之沢入重雄米倉誠、パシが退団。
2月に小倉隆史が全治6か月の大怪我を負い長期離脱[13] すると、それを補うようにオリビエトーマスを獲得。この年は1シーズン制で成績は2位(21勝9敗)。その結果によりサントリーカップ・96チャンピオンズファイナルに進出し、清水鹿島と対戦して勝利し年間王者となった。9月にベンゲルが監督を退任、カルロス・ケイロスが就任した。
1997年
ケイロス体制2年目。伊藤卓古賀正紘滝澤邦彦中谷勇介バウドリカルジーニョを獲得。石川研谷口圭、中西哲生、森山泰行、オリビエ、デュリックス、トーマスが退団。
前年度の年間王者としてサンワバンクカップへ出場し、MLSカップ優勝のD.C. ユナイテッドに勝利した[14]。リーグ戦では年間総合9位(16勝16敗)。天皇杯はJFL・東京ガスに敗れた。11月にはケイロスが監督を退任、田中孝司が就任した。
1998年
田中体制1年目。石川康大森征之野口幸司ベルナール・アルーを獲得。リカルジーニョが退団。
6月にバウドが退団、7月にウリダを獲得。福田健二がリーグ戦16得点を挙げ、年間総合5位(23勝11敗)。
1999年
田中体制2年目。楢崎正剛山口素弘呂比須ワグナーを獲得、宮原裕司が入団。アルーが退団。
シーズン開始直後の4月に監督の田中孝司が辞任。後任にダニエル・サンチェスが就任し、1stステージ終盤に調子が上向き最終的に8位(7勝1分7敗)で終わる。しかし、2ndステージでは開幕戦で敗北を喫すると再び調子が悪くなり、サンチェスが監督を退任。後任に鹿島で指揮を執ったジョアン・カルロスが監督に就任。その直後に10連勝するなど、最終成績は2位(11勝1分3敗)、年間総合4位(18勝2分10敗)。天皇杯では2度目の優勝を果たした。

2000年代[編集]

カルロス体制2年目。ホミルドを獲得、原竜太藤田泰成が入団、下部組織から氏原良二が昇格。浅野哲也、伊藤裕二、小倉隆史、野口幸司、トーレスが退団。
1stステージは12位(7勝1分7敗)。2ndステージ開始直後の7月5日に平野孝、望月重良、大岩剛の解雇が発表される。これに関して当時副社長の小宮好雄は「3人は高い能力を持ちながら、怠慢プレーに加え、秩序や規律を乱す存在だった」と理由を説明した[15]。これはカルロスの強い意向が働いたもので、戦力低下を危惧するストイコビッチなどの主力選手は彼らの残留を懇願したが、7日に社長から3人の放出が正式に発表された[16]。7月にウェズレイを獲得。2ndステージは7位(7勝1分7敗)、年間総合9位(14勝2分14敗)。
2001年
カルロス体制3年目。森山泰行が復帰、海本慶治酒井友之を獲得、中村直志原田拓山内友喜吉本岳史が入団。飯島寿久小川誠一、呂比須ワグナー、ホミルドが退団、氏原良二は期限付き移籍。
1stステージは3位(10勝2分3敗)。1stステージ終了後にストイコビッチが引退、マルセロを獲得。ほぼ同時期に福田健二が移籍した。また、カルロスを監督から解任[17]
年間総合は5位(17勝3分10敗)。
新監督にズデンコ・ベルデニックが就任。片桐淳至吉村圭司鄭容臺を獲得、下部組織から山口慶が昇格。宮原裕司が退団、氏原良二は引き続き期限付き移籍。
5月にウリダとマルセロが退団。7月に森山泰行が退団、パナディッチヴァスティッチを獲得。これまで基本システムとして4-4-2を採用していたが、シーズン途中から3-5-2へと変更した。
1stステージは3位(10勝5敗)、2ndステージは13位(5勝1分9敗)、年間総合は6位(15勝1分14敗)。
2003年
チームスローガン:ハード・魂(ハート)。
ベルデニック体制2年目。海本幸治郎広野耕一藤本主税を獲得、深津康太渡邊圭二が入団、下部組織から平林輝良寛が昇格。山口素弘、鄭容臺が退団。2月には上田滋夢がテクニカルディレクターに就任した。
パナディッチ、大森征之、古賀正紘による3バックとボランチの中村直志と吉村圭司が機能し、高い守備力を誇るが反面得点力は乏しかった。5月にヴァスティッチが退団すると、6月にマルケスを獲得。1stステージでは7位(5勝8分2敗)。
ウェズレイとの間の確執が表面化したベルデニックは、1stステージ終了後に監督を解任され、後任にネルシーニョが就任した。9月に石塚啓次を獲得。2ndステージは8位(6勝4分5敗)、年間総合は7位(11勝12分7敗)。ウェズレイがJ1得点王を獲得した。
2004年
チームスローガン:ハード・魂(ハート)。 - 2004年、超える。-
ネルシーニョ体制2年目。森山泰行が復帰、秋田豊岩本輝雄角田誠川島永嗣河野直人ジョルジーニョを獲得、大野敏隆が期限付き移籍で加入、豊田陽平が入団。酒井友之、原田拓、藤本主税が退団。
6月に森山泰行とパナディッチ、8月に滝澤邦彦が退団。7月にクライトンを獲得、井川祐輔が期限付き移籍で加入。その後、本田征治が退団、滝澤邦彦が期限付き移籍。年間総合成績は7位(12勝8分10敗)。
2005年
チームスローガン:赤鯱魂 - Grampus-Spirits -
ネルシーニョ体制3年目。増川隆洋安英学を獲得、鴨川奨杉本恵太須藤右介本田圭佑が入団、下部組織から津田知宏が昇格。岩本輝雄、氏原良二、岡山哲也、海本慶治、海本幸治郎、滝澤邦彦、原竜太、藤田泰成、ジョルジーニョが退団。この年は新潟との間で、岡山哲也・海本兄弟・安英学と4件の移籍が発生した。
シーズン中、片桐淳至と河野直人が期限付き移籍。4月にウェズレイが退団した。第8節終了時点で2位まで上がったが、5月にマルケスが退団すると下降の一途を辿った。6月に藤田俊哉中山悟志を獲得。7月にルイゾンを獲得するが、成績不振を理由にネルシーニョが監督を解任されると、ルイゾンも退団した。不振から残留争いを演じるが、最後の2試合を1勝1分で終えJ1残留を決めた。最終成績は14位(10勝9分15敗)。
2006年
チームスローガン:前線へ。その先へ。- Grampus Challenge 2006 -
新監督にセフ・フェルホーセンが就任するが、フェルホーセンを招いた上田TDが1月に解任された。有村光史玉田圭司金正友マレク・スピラールを獲得、阿部翔平井上渉片山奨典竹内彬が入団、下部組織から青山隼が昇格。河野直人、クライトンが退団、広野耕一が期限付き移籍。
フェルホーセンはチームの建て直しを図ったが、前線でポストプレーができる長身の選手がおらず、本来のスタイルと異なる玉田にその役割を求めたことで玉田自身もスランプに陥ってしまう。ディフェンダーの古賀正紘を起用するなど打破を狙ったものの、シーズン序盤にはナビスコカップを含めると公式戦16試合勝ち星がないと言う苦しい状況が続いた。7月にフローデ・ヨンセンを獲得すると次第に復調し、最終成績は7位(13勝9分12敗)。
2007年
チームスローガン:前線へ。その先へ。
フェルホーセン体制2年目。米山篤志を獲得、小川佳純筑城和人巻佑樹が入団、下部組織から新川織部長谷川徹福島新太吉田麻也が昇格、櫛野亮が期限付き移籍で加入。秋田豊、川島永嗣、古賀正紘が退団。
2月に角田誠が退団。開幕4連勝など幸先良いスタートを切ったが、主力選手の怪我や出場停止などによって好不調の波が激しく、近年の課題でもあった決定力不足を露呈し、前半戦終了時点で14位。8月の横浜F・マリノス戦で3 - 0の惨敗を喫すると、一部のサポーターが問題行動を起こす(次の大宮アルディージャ戦の試合前に両者とも謝罪)など亀裂が生じていた。最終成績は11位(13勝6分15敗)。天皇杯は5回戦でJFLのHonda FCに敗退した。
チームスローガン:前線へ。その先へ。 - Never give up for the win. -
新監督にストイコビッチ、コーチにハーフナー・ディドボシュコ・ジュロヴスキゼネラルマネージャー久米一正が就任。西村弘司三木隆司バヤリツァマギヌンを獲得、佐藤将也が入団、下部組織から花井聖が昇格。鴨川奨、須藤右介、豊田陽平、本田圭佑、金正友、スピラールが退団。
2節から7節を6連勝するなど幸先良いスタート切りるなどして最終節まで優勝争いを演じ、最終的に3位(17勝8分9敗)。初めてAFCチャンピオンズリーグの出場権を獲得した。また、8月には1993年のJリーグ開幕以来1度も勝ち星を挙げることができなかったカシマスタジアムでの鹿島戦で初勝利を収めた。
2009年
チームスローガン:Never give up for the win. - その先の感動へ-
ストイコビッチ体制2年目。コーチに飯島寿久と伊藤裕二が就任。田中隼磨ダヴィを獲得、久場光田口泰士橋本晃司平木良樹松尾元太が入団、下部組織から磯村亮太が昇格。井上渉、大森征之、片山奨典、藤田俊哉、三木隆司、米山篤志、渡邊圭二、ヨンセンが退団、青山隼、筑城和人が期限付き移籍。
3月22日の第3節清水戦で3-1と勝利し、ホームゲーム通算150勝を達成。中断期間前の5月24日までにダヴィは9得点を挙げ、その時点で得点ランクトップであったものの、ダヴィ以外の得点は7点にとどまった。この原因の1つとして昨シーズンにヨンセンが務めたポストプレーの役割にダヴィが適合していなかったことが指摘され、ストイコビッチ監督の目指すサイド攻撃を活かすためのターゲット役の獲得が急がれた[18]。外国人枠は埋まっていたためAFC枠で獲得可能な外国人選手を調査し、6月21日にジョシュア・ケネディの獲得を発表した[19][20] 7月22日にダヴィが移籍[21] すると、空いた外国人枠で7月29日にブルザノヴィッチを獲得[22]。次いで8月3日に三都主アレサンドロを獲得した[23]
守備面ではバヤリツァの長期離脱が大きく響き、前半戦は常にセンターバック駒不足の状態が続いた。吉田麻也と増川隆洋の2人がほぼ全ての試合に先発出場したが、7月5日のG大阪戦では両者を怪我と出場停止で欠き、センターバック経験の乏しい竹内彬と佐藤が起用された[24]。前半戦から学生時代にセンターバック経験のある巻佑樹の起用も検討されており、後半戦の10月25日の磐田戦では実際にセンターバックで先発出場した[25]
最終成績は9位(14勝8分12敗)。AFCチャンピオンズリーグ2009はグループリーグを1位で通過したが、準決勝でアル・イテハドに敗退してベスト4。天皇杯は決勝へ進出したが準優勝に終わった。

2010年代[編集]

チームスローガン:Never give up for the win. - さらなる高みへ -
ストイコビッチ体制3年目。金崎夢生田中マルクス闘莉王千代反田充を獲得、ダニルソンが期限付き移籍で加入、新井辰也が入団。青山隼、筑城和人、新川織部、広野耕一、山口慶、吉田麻也、バヤリツァが退団、佐藤将也、津田知宏、平木良樹が期限付き移籍。
金崎の加入により、ケネディを中央に置いた3トップの形が増える。開幕戦は勝利したが、新戦力がチームに馴染むのに時間がかかった。W杯中断後は順当に勝ち星を積み上げ、8月14日(第18節)浦和戦で勝利して単独首位に浮上した。シーズン通じて1度も連敗がなく、また敗戦後の次ゲームは全て勝利するなど確実に勝ち点を重ね、11月20日(第31節)湘南戦でJリーグ18年目にして初のリーグ戦優勝を決めた。一度も首位を明け渡すことなく、最終的には「シーズン23勝」(3分8敗)、「勝ち点72」(タイ記録)、2位G大阪との「勝ち点差10」など1シーズン制移行後最高の記録を残し、圧勝でリーグ戦を終えた。なお、2005年の1シーズン制移行後、1996年に1年だけ1シーズン制が実施された時を含め、最終節を待たずして優勝が決定したのはこれが初めてである。
ベストイレブンにはチーム最多の5人が選出。最優秀監督賞にストイコビッチ、MVPに楢崎正剛が選出され、ケネディが得点王を獲得した。なお、元Jリーガーの最優秀監督賞受賞はギド・ブッフバルトに続く2人目[26] で、選手としてのMVPと両方を獲得したのはストイコビッチが初である。楢崎はGKとして初めてMVPに選出された[26]
2011年
チームスローガン:Strong Believin' - 誇りを胸に -
ストイコビッチ体制4年目。藤本淳吾を獲得、田中輝希永井謙佑吉田眞紀人が入団、ダニルソンは移籍期間が延長された。佐藤将也、杉本恵太、福島新太、マギヌンが退団、竹内彬、平木良樹、巻佑樹が期限付き移籍、津田知宏は移籍期間が延長された。
2月26日、スーパーカップで鹿島と対戦しPK戦で勝利を収め年間王者となる。東日本大震災の影響によるリーグ戦中断期間中に長谷川徹が期限付き移籍、下部組織から佐藤和樹が2種登録された。
リーグ戦では前年より継続して連敗はなかったが、怪我や過密日程の疲労による主力選手の離脱もあり好不調の波が大きかった。10月15日(第29節)G大阪戦から最終節新潟戦まで6連勝するも、最終成績は2位(21勝8分5敗)。勝ち点71は首位柏と1差であった。ケネディが19得点を挙げ、2年連続の得点王となった。なお、10月にブルザノビッチが退団した。
AFCチャンピオンズリーグ2011はグループリーグを突破するも、水原三星に敗れベスト16。
2012年
チームスローガン:Strong Believin' - 誓いを胸に、再び。 -
ストイコビッチ体制5年目。期限付き移籍であったダニルソンのほか、石櫃洋祐ダニエルを獲得、高原幹田鍋陵太水野泰輔が入団。久場光、竹内彬、千代反田充、津田知宏、橋本晃司、長谷川徹、花井聖、平木良樹、松尾元太が退団。
ダニエルの加入により3バックが検討され[27]、実際シーズン中に何度が使用された。前年に続いてシーズン序盤から怪我による離脱者が相次ぎ、特に攻撃陣の長期離脱や不調により得点力の低下を招いた[28]。闘莉王のフォワード起用や、永井謙佑・田口泰士などの若手の台頭である程度補われた[28] ものの成績は奮わず、最終成績は7位(15勝7分12敗)。
5月に3年ぶりとなる連敗を喫し、ナビスコ杯ではベスト8に終わった。天皇杯もベスト8で敗北した。
2013年
チームスローガン:Unlimited - 不屈の挑戦
ストイコビッチ体制6年目。矢野貴章ヤキモフスキーを獲得、本多勇喜牟田雄祐望月嶺臣チアゴが入団、下部組織からハーフナー・ニッキが昇格。新井辰也、金崎夢生、三都主アレサンドロ、巻佑樹、吉村圭司が退団、水野泰輔、吉田眞紀人が期限付き移籍。永井謙佑は1月19日にスタンダール・リエージュへと完全移籍したが、8月13日に期限付き移籍で再加入。
開幕戦には牟田が片山奨典以来7年ぶりの新人の開幕スタメン出場を果たした[29]。リーグ戦は序盤からケネディの不調などの要因から、6月の中断期間前までの第9節から第13節を16年ぶりとなる5連敗で終えるなど不安定な展開が続いた[30]。9月14日、清水戦でラドンチッチのゴールによりリーグ戦クラブ通算の1000失点目を喫し、G大阪に次ぐ2クラブ目の記録となった。また、8日の天皇杯で長野戦でも初戦で敗れた。
10月3日、ストイコビッチが契約満了により監督を退任することとなった[31]。慢性化した赤字改善[32] のため、11月22日には阿部翔平と田中隼磨[33](本人希望で発表は後日となったが増川隆洋の退団も決定[32][34])、同24日にはダニエル[35] と契約延長しない旨を発表された。最終成績は11位(13勝13敗8分)。
チームスローガン:改・Re:Vision
神戸前監督の西野朗が監督に就任[1]刀根亮輔野田隆之介を獲得、青木亮太小屋松知哉野村政孝松田力矢田旭が入団、森勇人杉森考起が下部組織から昇格、枝村匠馬ヘジスが期限付き移籍で加入。一方で阿部翔平、田中隼磨、増川隆洋、ダニエルのほかに、石櫃洋祐、高原幹、藤本淳吾、ヤキモフスキーが退団、田中輝希、吉田眞紀人、チアゴが期限付き移籍、水野泰輔は移籍期間が延長された。
リーグ戦開始直前に大武峻が特別指定選手として登録され[36] グランパスでは特別指定選手として初の開幕戦スタメン出場したが[37]、試合は清水に敗れ12年ぶりの開幕黒星となった[38]。2・3節は勝ったものの、4月にリーグ戦4連敗を喫した。6月にレアンドロ・ドミンゲスを獲得。8月には期限付き移籍で加入中の枝村が退団し、川又堅碁を獲得、グスタボが期限付き移籍で加入した。最終成績は10位(13勝12敗9分)。
2015年
チームスローガン:捷 moving
西野体制2年目。ノヴァコヴィッチを獲得、竹内彬、永井謙佑(2014年までは期限付き移籍)が復帰。中村直志が引退、玉田、ケネディ、ヘジスが退団。田中輝希が期限付き移籍から復帰した。
年間順位は9位(13勝14敗7分)。ナビスコカップでは3年ぶりに決勝トーナメントに進出したが、準々決勝でG大阪に敗れた。天皇杯は1回戦でFC町田ゼルビアに敗れた。
シーズン終了後に、西野監督が退任[39]
2016年

チームスローガン:信頼
前年6月にGM補佐に就任した小倉隆史が監督就任。ロビン・シモビッチルドゥウィッグ・オーマンイ・スンヒ明神智和安田理大古林将太武田洋平荻晃太を獲得。高橋諒和泉竜司が入団。松田力が期限付き移籍から復帰。田中マルクス闘莉王、本多勇喜、牟田雄祐、ノヴァコヴィッチ、レアンドロ・ドミンゲス、ダニルソン、ハーフナー・ニッキ、高木義成が退団。野村政孝、望月嶺臣が期限付き移籍。
夏の移籍市場では酒井隆介扇原貴宏を獲得[40]。また、ハ・デソンを期限付き移籍で獲得。
6月、減資および第三者割当増資を実施してトヨタ自動車の子会社(出資比率が50.12%)となった[3]
開幕戦ではジュビロ磐田に勝利するも、1stステージ第10節横浜F・マリノス戦を最後にクラブワースト記録となる18試合連続勝ちなしを記録[41]。8月23日に小倉が監督を休養して[42]、同月1日よりコーチに復帰していたボスコ・ジュロヴスキーが監督に就任し[43][44]、退団していた田中マルクス闘莉王が直後に復帰[45]
闘莉王復帰後4試合は3勝1敗と立ち直り一時はJ2降格圏を脱したが、その後再び失速し11月3日の湘南戦に敗れて年間順位16位となり、クラブ史上初のJ2降格が決定した[46]。2010年に、湘南に勝利し、リーグ優勝を決めた名古屋だったが、皮肉にも湘南に敗れた結果、J2降格となってしまった。
シーズン終了後にジュロヴスキーが監督を退任[47]
2017年(J2)

チームスローガン:前へ 〜Go Forward〜
初めてJ2で迎えたシーズンは、新監督に前川崎風間八宏が就任。一方で契約満了等により、川又堅碁磐田に、永井謙佑FC東京に、矢野貴章新潟に、扇原貴宏横浜FMに、小川佳純鳥栖に、闘莉王と、前シーズン山口期限付き移籍していた望月嶺臣京都に、明神智和長野にそれぞれ完全移籍するなど、20人近くの選手がJ1やJ2のクラブに移籍した。
新戦力として、広島から佐藤寿人横浜FCから渋谷飛翔岡山から押谷祐樹東京Vから杉本竜士長崎から永井龍が完全移籍で、札幌から櫛引一紀広島から宮原和也が期限付き移籍で加入。また、C大阪から玉田圭司が3年ぶりに復帰したほか、移籍の噂があった田口泰士がクラブへの残留を発表した[48]
クラブ初となるJ2開幕戦ではホーム・瑞穂で岡山に2-0で勝利するも、第3節の千葉戦では0-2と敗戦し一旦は13位まで落ちる。直後の4連勝で第7節終了時には初の首位となるが、第8節には首位転落、その後、第16節終了時に再び首位に立ったものの次節には首位転落し、結局首位に立ったのはシーズンを通じてこの2回だけであった。前半戦は10勝4分7敗、勝点34の6位で、自動昇格圏の2位湘南には勝点9差をつけられた。第23節終了後(7月18日)にガブリエル・シャビエルが期限付き移籍で加入すると[49]、8月の月間MVPに選ばれる活躍を見せて[50]第25節から5連勝し、2位まで勝点3差に迫る。しかし、第30節から1分3敗と足踏みする間に6位に転落、その間にV・ファーレン長崎に追い越され、第34節から4連勝を含む6勝1分と巻き返したものの長崎を抜くことができず、年間順位で3位となりJ1昇格プレーオフに回る。
J1昇格プレーオフの準決勝戦では、ホーム瑞穂でリーグ戦では2戦2敗と苦手としていた6位・千葉と対戦[51]。前半終了間際に、千葉のラリベイに先制を許すなど、嫌な流れで前半戦を折り返すも、後半戦にはシモビッチがハットトリックを決めるなど、逆転に成功し、4-2で逆転勝利を収め、決勝戦に駒を進めた[51]
J1昇格プレーオフの決勝戦はホームの一つでもある豊田で4位・福岡と対戦[52]。お互いにゴールネットを揺らしたものの、いずれもファウルやオフサイドでノーゴールのまま0-0で試合終了[52]。プレーオフ規定で年間上位の名古屋が昇格となり、1年でのJ1復帰を果たした[52]
リーグ戦42試合で85得点と1試合平均で2得点以上を挙げ、得点数2位の徳島の71得点を14点も上回る圧倒的得点力を見せた一方、守備には課題を残し、無失点試合は42試合中わずか7試合で、総失点数は65とリーグワースト6位、かつJ2から翌年J1に昇格したクラブとしては史上最多の失点数を記録した[注 1]
2018年(J1)

チームスローガン:攻める 〜Go into Action〜[53]
風間体制2年目。ガブリエル・シャビエルが移籍期間を延長し[54]、前年のブラジル得点王・MVPであるFWジョー[55]や元オーストラリア代表GKミチェル・ランゲラック[56]を獲得。一方、前年はクラブに残留していた田口泰士が磐田[57]、シモビッチが大宮に移籍した[58]
開幕から2連勝し首位に立つが、その後はけが人が続出し第17節まで15戦勝ちがなく(8連敗を含む3分12敗)[59]、第9節からは最下位に沈む苦しい時期が続く。しかし、ロシアワールドカップによる中断期間中(第15節終了後)に加入した即戦力5人(DF中谷進之介・MFエドゥアルド・ネット・DF丸山祐市・MF前田直輝・DF金井貢史[60]がチームにフィットし始めると、第19節から7連勝を飾り[59]、一気に11位に浮上する[61]。その後は3連敗するなどして一時の勢いは失われ、再びJ1参入プレーオフの対象となる16位で最終節を迎える[62]。勝てば残留となる湘南戦に引き分け、自身の試合が終了した時点では16位であったが、その後に磐田が敗れたために名古屋は得失点差で15位に浮上し、辛くもJ1残留を決めた[62]
天皇杯では、初戦(2回戦)でJFLに所属する奈良クラブにPK戦の末に一度は敗れるが、「担当審判員による明らかな競技規則の適用ミス」があったとしてPK戦のみをやり直すという異例の事態の末に勝利[63]。しかし次の広島戦に敗れた[59]
2019年(J1)

チームスローガン:貫く 〜Go Upward〜
風間体制3年目。サンフレッチェ広島から千葉和彦[64]大宮アルディージャからマテウス[65]FC東京から米本拓司[66]サガン鳥栖から吉田豊[67]リーガ・NOS(ポルトガル)リオ・アヴェFCからジョアン シミッチ[68]を完全移籍で、ジュビロ磐田から伊藤洋輝[69]川崎フロンターレから赤崎秀平[70]を期限付き移籍で獲得した。また、期限付き移籍であったガブリエル シャビエル[71]宮原和也[72]が完全移籍で加入したほか、菅原由勢成瀬竣平藤井陽也がU-18から昇格し、東海学園大学から渡邉柊斗榎本大輝早稲田大学から相馬勇紀が加入した。また、FC町田ゼルビアに期限付き移籍していた杉森考起が復帰した[73]。一方、梶山幹太SC相模原[74]佐藤寿人ジェフユナイテッド市原・千葉[75]酒井隆介FC町田ゼルビア[76]内田健太ヴァンフォーレ甲府[77]畑尾大翔大宮アルディージャ[78]八反田康平鹿児島ユナイテッドFC[79]玉田圭司V・ファーレン長崎[80]松本孝平FCマルヤス岡崎[81]に完全移籍、新井一耀ジェフユナイテッド市原・千葉[82]深堀隼平リーガ・NOS(ポルトガル)ヴィトーリアSCに期限付き移籍した[83]。また、セリエB(ブラジル)グアラニFCから期限付き移籍していたホーシャが期限付き移籍満了に伴い同クラブに復帰した[84]
序盤は開幕3連勝を記録し首位に立ち、クラブ新記録となるホーム開幕5連勝を達成するなど好調だったが前年得点王のジョーが不調に陥り5月17日の12節川崎フロンターレ戦で引き分けて以来調子を崩し5月26日の13節松本山雅FC戦ではついに今シーズンホーム初ので黒星を喫した。夏の移籍ウィンドウでは、FC東京から太田宏介を完全移籍で[85]横浜F・マリノスから山田康太を期限付き移籍で獲得[86]。深堀隼平がヴィトーリアSCへの期限付き移籍から復帰した[87]。一方で、小林裕紀大分トリニータに完全移籍[88]菅原由勢AZアルクマール(オランダ)に[89]櫛引一紀大宮アルディージャ[90]秋山陽介ジュビロ磐田[91]相馬勇紀鹿島アントラーズ[92]マテウス横浜F・マリノス[93]金井貢史サガン鳥栖[94]期限付き移籍。大垣勇樹いわてグルージャ盛岡に育成型期限付き移籍した[95]。戦力の大量流出もあり、4連敗を含む10戦勝ちなしとなった。8月10日の川崎フロンターレ戦を3-0で快勝するも調子は戻らず、風間八宏監督は解任となる[96]。新監督にはサガン鳥栖などで指揮をとったマッシモ フィッカデンティが就任するも[97]、勝利はなかったが11月9日のヴィッセル神戸戦では、9試合ぶりに勝利を掴んだ。その後3試合も勝利はなかったものの最終順位は13位[98]。J1残留となった。
ルヴァンカップは、2015年以来4年ぶりのプライムステージ(2017年まではノックアウトステージ)進出を果たしたが[99]、準々決勝で川崎に敗れた。
天皇杯は2回戦で鹿屋体育大学に3-0で敗れた。
2020年(J1)

チームスローガン:進化 〜All for NAGOYA〜
マッシモ体制一年目。サンフレッチェ広島から稲垣祥 [100]湘南ベルマーレから山ア凌吾 [101]、そしてタイトル請負人と言われる阿部浩之川崎フロンターレから完全移籍加入を果たした。

成績[編集]

選手・監督・コーチ[編集]

タイトル・表彰[編集]

国内タイトル[編集]

J1リーグ:1回
2010
サントリーカップ・チャンピオン・ファイナル:1回
1996
天皇杯全日本サッカー選手権大会:2回
1995, 1999
FUJI XEROX SUPER CUP:2回
1996, 2011

その他タイトル[編集]

サンワバンクカップ:1回
1997
トヨタプレミアカップ:1回
2013

表彰[編集]

スタジアム・練習場[編集]

ホームスタジアムは、パロマ瑞穂スタジアム[1] および豊田スタジアムである。なお、過去のホームゲーム開催スタジアムは「当項目」を参照のこと。

当初はホームタウンが名古屋市のみのため、パロマ瑞穂スタジアムのみの登録だったが、2012年に豊田市、みよし市がホームタウンに加わったのを機に、それまで準本拠扱いだった豊田スタジアムを本拠に追加。週末開催のリーグ戦はほぼ半数ずつを開催。カップ戦など平日開催の多くはパロマ瑞穂スタジアムで行う。但し、2017年はJ2に降格し、リーグカップ出場が出来なかったため、パロマ瑞穂の試合がその分多かった。

なおグランパスは名古屋市と共同で、2019年11月に、現・パロマ瑞穂スタジアムの全面改築工事を2021年から実施(改築完了・使用再開時期未定)するのに伴い、2020年のJ1リーグ終了をもって一旦パロマ瑞穂スタジアムでの開催を中断することを発表している[102][103]

練習場は愛知県豊田市トヨタスポーツセンター第1グラウンドである[1]

アカデミー・育成[編集]

2010年12月にスペインリーガ・エスパニョーラ所属のレアル・ソシエダと選手育成に関する協力協定を締結[104] しており、若手選手がレアル・ソシエダの練習に参加している[105]

出身選手[編集]

主なタイトル[編集]


■U-18
Jリーグユース選手権大会
2回:2011年
JFAプリンスリーグU-18
1回:2008年
■U-15
日本クラブユースサッカー選手権 (U-15)大会
1回:2008年
高円宮杯 JFA 全日本U-15サッカー選手権大会
2回:1999年、2010年
■U-12
JFA 全日本U-12サッカー選手権大会
1回:2009年

ユニフォーム[編集]

チームカラー[編集]

    
ホーム用は2006年までパンツも赤だったが、2007年から2014年・2018年は黒、2015年 - 2016年は白、2017年は紺としていた。2019年に再びパンツが赤となった。
2001から2002年は3rdユニフォームを採用していた(シャツ、パンツ、ストッキングに黒を採用)。
1992から1994年のカップ戦用のユニフォームの配色は1stがシャツ・赤、パンツ・白、ストッキング・赤で、2ndがシャツ・白、パンツ・赤、ストッキング・白だった。

エンブレム[編集]

1992年 - 1993年:グランパスくんをそのままエンブレムとして採用(リーグ戦用ユニホーム。カップ戦ユニホームは1994年も使用)。
1994年 - 1997年:リーグ戦用ユニホームはチームフラッグをモチーフにした円形のエンブレムを採用。カップ戦用ユニホーム(1995年 - )にはエンブレムはなく、胸の「Grampus」ロゴがエンブレム代わり。
1998年:リーグ戦・カップ戦でユニホームが統一。エンブレムはなし
1999年 - 2010年:楯と王冠をモチーフに「NGE(Nagoya Grampus Eight)」とグランパスくんを盛り込んだものを採用。
2011年 - 2016年:エンブレム上部に第75回天皇杯全日本サッカー選手権大会(1995年)、第79回天皇杯全日本サッカー選手権大会(1999年)および2010年のJ1リーグの優勝を表す3つのチャンピオン・スターマーク(★)を付けている。それぞれの星には、タイトルと年号を表す「EC 96」「EC 00」「J1 10」が刻印されている。
2017年 - 現在:基本デザインは変わらないが星に刻印されていたタイトルと年号はなくなっている。

ユニフォームスポンサー[編集]

トレーニングウェアスポンサー[編集]

かつては明治乳業もトレーニングウェア胸スポンサーであった。

ユニフォームサプライヤー遍歴[編集]

1992年 - 1996年:リーグ戦はミズノ、カップ戦はルコックスポルティフ
1997年:リーグ戦はアンブロ、カップ戦はルコックスポルティフ
1998年 - 2010年:ルコックスポルティフ
2011年 - 2016年:デサント(ルコックスポルティフ)
2017年 - 現在:ミズノ

歴代ユニフォーム[編集]

歴代ユニフォームスポンサー年表[編集]

クラブ情報[編集]

マスコットキャラクター[編集]

マスコットキャラクターはチーム名の「グランパス (Grampus)」にちなみシャチをモチーフにしている。

グランパスファミリーとして、グランパスくんをはじめ、グランパコちゃん(妻)、グランパスくんJr.(息子)、グララ(娘)がいる。

スポンサー[編集]

名古屋グランパス後援会[編集]

東海3県知事・サッカー協会、名古屋市長・サッカー協会、出資会社を核とし、後援会事務局、法人会員631社(2009年11月時点)からなるチームの支援組織。法人会員にはトヨタ自動車の下請け企業・全国各地の販売店・主要在名民放局(愛知国際放送を除く。愛知県外では三重テレビ放送も法人会員)といった企業・団体等も入会している。
毎年シーズン前に名古屋市内のホテルで、スポンサー・後援会法人会員・監督・選手が出席するパーティー形式のイベントが行われている。

歴代スタジアムDJ[編集]

1994年 - 1998年 堀田和則
1998年 - 2006年 ケン・マスイ
2007年 - 0000年 ヨースケ (YO!YO!YOSUKE)

オフィシャルカード[編集]

名古屋グランパスオフィシャルカード[106]

メディア[編集]

試合中継[編集]

テレビ放送[編集]


試合中継を民放で放送する際、トヨタ自動車とともにスポンサーとなるトヨタグループ9社を紹介する共通CMを放送する(一部応援番組などでも放送されている)。

Jリーグ黎明期に沖縄県で開催されていた地元放送局・沖縄テレビ主催によるおきぎんカップ(名古屋と沖縄県のサッカークラブとのプレシーズンマッチ)の試合放映は、東海テレビ中京テレビの両局が隔年交代で放送していた(試合中継は沖縄テレビ制作のものを放送)。

*テレビ・ラジオともに、並びは試合中継数が多い順。

テレビ(ローカル放送・BS含む)・ラジオ。近年は地上波テレビ放送(ローカル)にてJリーグホーム開幕戦の試合を生中継している。
J SPORTSスカチャンなどのCSチャンネル
2008年から中京テレビ放送が試合中継に協力[注 4] している。
名古屋テレビ (メ〜テレ)
名古屋地区の民放テレビ局では唯一、2007年まで年1試合程度のリーグ戦の生中継を続けていたが、2008年以降は後述にも記載するとおりFC岐阜のスポンサーになった事[注 5] から、録画中継に切り替わった。しかし依然として在名テレビ局の中では試合中継数が一番多い。この事も関連してか、2008年以降、両チームのJリーグ開幕前のプレシーズンマッチを主催し、録画中継を行っている。キー局のテレビ朝日AFCチャンピオンズリーグ・放送権を保持している事から、グランパス出場時にはホーム戦を中心に試合中継(基本的には録画中継が主となるが、生中継を行う場合もある)を行う。
東海テレビ
通常のリーグ戦に加え、ナビスコ杯のホーム戦も不定期で中継する(キー局のフジテレビが放映権を持っているため)。
中京テレビ
2008年度よりホームゲームに限り、スカパー!向けの試合中継制作を担当(その一方で、地上波での試合中継は減っている)。スカパー!の解説はグランパスOBの藤川久孝などが担当。東海テレビの解説者でもあった沢入重雄も担当していた。
CBCテレビ
年に1回程度の録画中継がある。
テレビ愛知
かつては中日ドラゴンズ戦の中継数を上回っていたが、2005年を最後に在名テレビ局では試合中継を行わない。

ラジオ放送[編集]


2009年4月12日の豊田スタジアムで行われた浦和戦からホーム戦で不定期ながら、インターネットストリーミング放送をラジオと同時中継を行うことになった(東海ラジオ制作分に関しては地上波が生中継を行っている場合以外はインターネットのみ放送)。

2010年以降は瑞穂での試合を東海ラジオの制作、豊田での試合をエフエムとよたの制作でホーム戦全試合をインターネットストリーミング放送で生中継している。

2007年10月21日のFC東京戦より実況中継を開始。2008年以降は「GRAMPUS BEAT」としてホーム戦を全試合中継の予定。2008年は優勝争いをしていたこともあり、同年のシーズン最終戦は、名古屋から遠く離れた大分で行われたが、現地にスタッフを派遣し生中継を行った。2010年の優勝を決めた試合でも、平塚競技場に現地スタッフを派遣し生放送を行っている。解説にグランパスS.A.の関谷憲生、実況はフリーアナウンサーが担当。
CBCラジオ
ネットワークの関係で放送権を持っていない。
東海ラジオ
東海ラジオ ワイルドサッカーとして生中継。Jリーグや国際試合の放送権を持つニッポン放送系列のため過去に多数の放送実績があるが、近年はホーム開幕戦を毎年放送する程度。2010年の優勝を決めた試合で生中継を平塚から行った。

応援番組[編集]

以下の並びは放送日(又は初回放送分)を月曜日起点とする。

★=スカパー!スカチャンで放送されているJリーグクラブ応援番組セレクション参加番組。

テレビ愛知は2010年3月末まで応援番組を放送していたが、現在は放送がない(ローカルニュース枠で不定期でグランパス関連の話題を扱うほか、グランパスの試合取材は継続されている)。

GO GO グランパス - NHK名古屋ほっとイブニングの毎週月曜日
週刊!サカラジ - 東海ラジオチア・スポ内(月曜日19時 - 19時20分頃)。番組構成上の都合により、番組全体でグランパスをとりあげるわけでは無い
グランパスSTADIUM! - 豊田スタジアムのお膝元であるひまわりネットワークの制作・放送。ひまわりネットワークのほか、東海ケーブルチャンネルや愛知県内などの一部ケーブルテレビでも放送されている
YO!YO!GRAMPUS (ZIP-FM・FRI. MASTER内で毎週金曜日19時37分 - 19時42分。ちなみに番組パーソナリティーは現在のスタジアムDJであるYO!YO!YOSUKE)
pluspo - 東海テレビ。土曜日夕方
スポケン! - 名古屋テレビ(メ〜テレ)。土曜日深夜
Go! Grampus! - FM AICHIサンデー・エクスプレス内で毎週日曜日6時40分 - 6時55分。内容はDJのDJ Minがグランパスのプレイヤーにインタビューをし、リクエストをかけるというもの
スポーツスタジアム - 中京テレビ。日曜日17時 - 17時30分。後半部分がグランパス枠で、前半はもっぱら中日ドラゴンズ枠となっている
グランパスTVプラス - CBCテレビ。日曜日深夜

その他[編集]

中日新聞社出版開発局発行の月刊情報誌。定価・650円(以前は400円だった)。
オフィシャルサイト
PC版(リンクは後述の「外部リンク」を参照)と モバイル版[注 6](月額210円)の2種類がある。
グランパスオフィシャル・スタッフBLOG[107]
グランパスのスタッフが綴る不定期更新のブログ。
なお、試合運営のボランティアスタッフの組織は存在しない(Jリーグのクラブでは唯一)。

決算[編集]

名古屋グランパスエイトの決算は、つぎのとおり。

損益[編集]

金額の単位: 百万円
人件費は事業費に含まれる。
出典: 各年度のJクラブ決算一覧。
200520062007200820092010

金額の単位: 百万円
出典: 各年度のJクラブ決算一覧。
20112012201320142015

金額の単位: 百万円
出典: 各年度のJクラブ決算一覧。
2016

貸借[編集]

金額の単位: 百万円
出典: 各年度のJクラブ決算一覧。
200520062007200820092010201120122013201420152016

脚注[編集]

注釈[編集]

出典:Wikipedia
2020/03/17 02:01
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