無線呼び出し
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3.日本の無線呼出事業
3.5.1996年後半 - 1998年(衰退)
1994年に携帯電話端末の買切り制導入、同じく1994年に携帯電話の新規参入第二弾のデジタルホン(現ソフトバンク)とツーカー(現KDDI)両グループの事業開始、さらに1995年10月に各PHS事業者の事業開始となった1996年以降は携帯電話事業者同士、そして携帯電話事業者とPHS事業者のシェア争いが本格化した。安価だったPHSに対抗するため携帯電話の本体代や料金プランが急速に低下。これに伴い特に若い社会人の間でも携帯電話の普及が本格的に始まると、1996年6月にピークを迎えていたポケベルの加入者数は緩やかに減少し始める。ただ、この時点では携帯電話、PHSがつながりにくく、通話可能でも電波が弱い、通話が不可能なエリアも多かったという弱点もあり、ポケベルと、携帯電話あるいはPHSの2台持ちという兼用の仕方も見られた。ポケベルと携帯電話やPHSの一体型も発売されている。1996年にドコモが新人だった広末をCMに起用。広末人気が爆発的に上がったものの、ヘビーユーザーであればあるほど所有コストがかさむFLEX-TD方式対応の新シリーズのポケベルの販売は期待された程ではなかった。さらにポケベルの顔とも言うべき存在になった広末が大学に進学する1999年に、そのまま携帯電話のCMに起用する皮肉な結果になる。この頃ドコモはFLEX-TD方式対応のインフォネクストポケベルを発売しており、カナで49文字までのメッセージを受信できる機種もあった。しかしビジネスユーザー向けである事と、短文に慣れていた若者の個人契約者にはそこまでの文字数は必要ではなく支持を集められなかった。

買切り制が導入された1994年からは法人契約のポケベルの解約が増加。1992年のブーム初期から最盛期の1996年にかけての爆発的な個人契約増加の裏では、医療機関を除き一般企業のポケベル離れが年々進んでいた。

1997年は首都圏の女子高生や女子大生間、地方の学生間を中心にブームは継続中で、この頃には一部の中学生までブームは波及していた。6月のドコモを皮切りに各携帯電話事業者がショートメッセージサービス機能が内蔵された携帯電話を1997年末にかけて次々と発売。メインユーザーの内の高校生層を除く10代後半から20代前半の若者が急速にポケベル離れを起こし始め、最後の流行期となった(同時に中高生を除いてPHS離れが始まり1997年10月以降はPHSの加入者数は減少する)。

1998年当初は全国的に見ると、高校生層を除く10代後半から20代前半の若者の主たるコミュニケーションツールとして、ポケベルは携帯電話と拮抗していたものの、加速度的なポケベル離れは止まらず、携帯電話はその利便性の高さからポケベルを敬遠していた層にも受け入れられた。一方で現役中高生に関しては1998年中もポケベルはまだ主要な地位を占めており、在学中に親から携帯電話を買い与えられたり、ポケベルから携帯電話へ乗り替えたりする例はそれほど多くはなくPHSの普及も進んだものの、この年(1998年3月)に高校を卒業した者は進学や就職を機に携帯電話へ乗り替えたり携帯電話の新規購入をするのが一般的になっていた。

このように1996年後半から1998年のポケベル衰退の原因は法人契約が携帯電話端末の買切り制導入と低価格化により携帯電話へ移行し減少した事と、個人契約は1996年後半から1997年前半は携帯電話の低価格化によりメッセージコミュニケーションに重点を置かなかった主に若い社会人層や一部大学生層が携帯電話(一部はPHS)へ移行し、1997年後半から1998年内はメッセージコミュニケーションを必要とした主に大学生層や若い社会人層が携帯電話へ、一部高校生層がPHSや携帯電話へ移行したためである。わずか2年半程で大多数の若い社会人と大学生の個人ユーザーを携帯電話に奪われ、ブームを牽引した高校生の個人ユーザーもPHSや携帯電話に食われ始めたため、更なるユーザー数の増加を見込んで設備投資を行っていたポケベル事業者の経営は圧迫された。加入者数は1996年12月末に1045万、1997年12月末に825万、1998年12月末に452万と推移している。

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出典:Wikipedia
2019/10/01 19:30
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