民法典論争
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20.民法典論争の顛末
20.13.家族法はどのように修正されたか
延期派の主張が功を奏して旧民法が施行延期されたからと言って、直ちに法典調査会が反動化したわけではなく[1284]、西園寺副総裁から旧慣に基づく戸主制度の全面撤廃論が出され、渋沢栄一や磯部らが同調するなど、家制度廃止論者が攻勢を強める局面すらみられた[1285]

一方、起草者も積極的に家制度を保全しようとしたのではなく、現に社会慣習としての家制度が存在する以上、法律によって強引にその廃止を図ることこそすべきでないものの、他方明治維新後の社会変動によって、旧来の家制度は暫時瓦解することが予想されるから、法律によって永続的に家制度を保全すべきでもなく、近い将来の家族法改正を見越して過渡的な暫定規定を置くべきだという認識で一致していた[1286]

親続編調査の方針は……一方に於て弊害なき限りは従来の制度慣習を存することにし、又一方に於ては社会の趨勢に伴って社会交通が開け其他種々の原因よりして社会の状況が少しく変れば直ちに法典を変へねばならぬと云ふやうなことにならないこと……を以て編纂することが必要であらうと考へます、既成法典は此二点から見れば多少修正を加ふべき点はありませうけれども、根本的に改正を加へねばならぬと云ふ程の点はないやうに思ひます[1287] ? 富井政章、第124回法典調査会(明治28年10月14日)
昔かしの家族制は私は断言します、今日及び今日以後の社会には到底適しない、固より今日法律を以て家族制度を砕くといふことは宜しくありますまい……唯だ無闇に家族制度を強くすると云ふ方に偏傾してはならぬと云ふことに確信しております[1288] ? 富井政章
穂積陳重も、旧民法人事編については穂積八束と異なり、過渡期の立法としては概ね妥当とみていた[1289]

起草当事者によれば、旧民法と大きく異なるほぼ唯一の点として、婚姻・養子縁組の成立につき、慣習無視をあえて進め、届出主義を採用したことが挙げられている(仁井田)[1290]

新民法典の構成[編集]


パンデクテン方式を採用し、相続編を独立させて財産法から明確に分離したことは、家督相続を柱とする相続法を売買契約などと同じく財産取得の一種とする法体系は不自然であるという延期派による批判への回答にもなった[1291]

これを法律進化論に基づく漸進的社会改革論として高く評価する[1292]か(星野もこの立場[1293])、保守派への妥協であって官僚主義の現れと見るか[1294]は評価が分かれている。

また、民法典論争で最も激しく争われた家族法領域を後回しにして、先に財産法を成立させることで法典の早期成立を図った[1295]とか、家族法は過渡期の立法であり早々に改正が必要になると予想していたことから、体系上財産法と分けることで、改正しやすくしたとの側面も指摘されている[1296]

戸主権の修正[編集]


民法典論争で最も激しく争われた親族法分野については、家制度・戸主権を前提としつつも、その弊害を限定する努力が行われた[1297]

戸主の同意を得ない身分行為を無効や取消原因にすべきだという主張は、法典調査会において家族制度擁護論者からも出ていない[1298]

明治民法が離籍権を明文化したのは、明治初期の法制度では勘当の旧慣を許さない代わりに婚姻・縁組の成立に戸主の同意を絶対的条件としていたのを緩和したもので[1299]、行使の結果戸主が扶養義務を免れるに留まるため、扶養を受けなくなることの痛くない者には睨みがきかず、実害は少ないとの考えであった(梅)[1300]

前述の戸主届出の原則は、明治民法によって当事者届出制度に改められた[1301]

法律は、依然として、戸主といふものを認めてゐるが、唯だ、其一家の代表者として認めてるほどの事で、決して、生殺与奪といふが如き、強力の権力を認めてゐない。故に、家族に対して、懲罰権をもたぬのみか、……戸主は、相続によって、其家の財産を持ってゐるから、家族を扶養する義務を負はした。かうなってみれば、其財産は、たとへ、戸主の名義でも、其実は、其一家の共有と同じ事だ。……要するに……戸主といふ者は、殆んど、必要がない様になった。……新民法施行以前は、別段、之といふ法律もなく、唯、慣習でやってゐた所から、婚姻などは……随分、公けに認められぬ夫婦があった。是は、男女が、互に、想ひ想はれて夫婦になり度いといふても、戸主、又は、親が許さぬといふ場合に、其男女が法律以外に夫婦の状態を為すのである。……新民法では、斯る場合には、其戸主の監督を離れて離籍する事の出来るやうにしてある。 ? 梅謙次郎「二十世紀の法律」(引用者、平野義太郎[1302]
明治民法の戸主権は、極めて貧弱なものとして、引き続き批判されることになった[1303]

親権の修正[編集]


旧民法からの根本的な差異は認められない(我妻)[1304]

親権を認めず戸主権に一元化せよ、認めるとしても父権とすべきという延期派の主張は不採用[1305]

一方で、延期派から槍玉に挙げられた母の財産管理については、起草者原案では父母共に親族会の同意を要するとしていたが、法典調査会の修正により、多くの場合妻は他家から入ることを理由に、母のみに親族会の同意を要する旨定められた(886条)[1306]

もっとも、親権者と子の利益相反規定(888条)、並びに親権喪失規定(896〜899条)は旧民法に存在しないことから、この点では明治民法の方が子の利益を良く保護している(手塚)[1307]

旧民法第一草案の規定が明治民法で復活したものである[1308]

旧民法(人149条)と異なり「未成年の子」のみが親権に服することや(890条)、権利より義務の側面が強調されたことからは、明治民法の方が旧民法よりよほど進歩的であったとの主張もある[1309]

婚姻・養子の修正[編集]


婚姻の成立要件につき、旧民法編纂過程で元老院に削除された個人主義的規定が復活[1310]

旧民法人事編38条

1.子は父母の承諾を得るに非されは婚姻を為すことを得す
明治民法772条

1.子か婚姻を為すには其家に在る父母の同意を得ることを要す
但男か満30歳女が満25歳に達したる後は此限りに在らす
また、旧民法は西洋諸国の場合と同様、法定の届出の後、慣習に則った「儀式」(典型例:教会での宣誓、神前での三三九度の杯)を行うことによって成立するとしていたが(人43条以下、67条)、近代的な法律婚を促進するには繁雑に過ぎるとの理由から、明治民法はあえて慣習を無視して簡略化し、届出のみで婚姻が成立するとした[1311]

養子縁組の場合も同様の変更が行われた[1312]

婚姻の効果については、明治民法は、旧民法で夫婦間の贈与以外の契約を禁止していたのを改め、取り消しにも訴えを要さず、相手方に対する「意思表示」のみで当然に効力が生じるとしている(754条)[1313]

明治民法の婚姻法は、依然としてフランス民法典を介してカトリック教会法の間接的影響が指摘されるが(旧765〜771条、778条1号等)、伝統キリスト教が敵視した協議離婚制度を旧民法から継承したため、キリスト教的観点からも非難に値するものとなった[1314]

妻の行為能力については、一般原則として否定するナポレオン民法典の極端な立場を退け、重要事項にのみ夫の同意を要求するイタリア民法の主義を採用[1315]

明治民法804条(現761条)

1.日常の家事に付きては妻は夫の代理人と看做す
明治民法14条

1.妻が左に掲けたる行為を為すには夫の許可を受くることを要す
(※元本領収・利用、借財・保証、不動産・重要動産の得喪、訴訟行為、贈与・和解・仲裁契約、相続承認・放棄、贈与・遺贈、身体を羈絆する契約)
2.前項の規定に反する行為は之を取消すことを得
あくまで妻「本人を保護する精神」に出たものであるため、夫の許可を欠いた行為も「当然無効となるに非ずして其の無能力者の一方より之を取消すことを得るに過ぎ」ないものとした(富井)[1316]

相続の修正[編集]


相続法については、旧民法で仏法系の技術的規定と日本固有の家督相続制が矛盾衝突したため、独民法草案を介してローマ法の遺言相続主義の法理を採り入れ、学理的整備を行っている[1317]

しかし、前述のとおり、通説は根本的修正には至っていないと解しており、相続法は旧民法以来のフランス民法の影響が最も強く残っている分野の一つである[1318](ドイツ民法典も家督相続制ではない[1319])。

戸主死亡時の家督相続は全財産の一人相続、それ以外の遺産相続では諸子均分相続を採る旧民法の二元主義(財取294、313条)は維持された[1320]

明治民法の特色としては、遺産相続では極端な個人主義を採り、旧民法(財取313条)が遺産相続の相続人となる直系卑属の資格を家に在る者に限っていたのを撤廃(994条)、この分野では家制度は完全に無視されることになった[1321]

もっとも、家督相続で戸主に財産が集中するため、遺産相続の意義は大きくなかった[1322]

法定推定家督相続人の去家禁止[編集]


明治民法では、「家付きの娘」は婿を取るしかできず、嫁に行くには廃嫡手続をして夫の家に入籍させなければならない(744・975条)[1323]

この点は、明治民法の方が旧民法よりも家族主義的であることに異論は無い[1324]

もっとも、原案では法定推定家督相続人を含む「成年の家族は戸主の同意あるときは何時にても分家を為すことを得」となっていたが、磯部の反対で議論が紛糾、分家のみならず婚姻縁組等によっても他家に入ることに制限が設けられた(法典調査会第129回、第130回)[1325]

旧民法人事編251条

家督相続に因りて戸主と為りたる者は其家を廃することを得す
但し分家より本家を承継し其他正当の事由あるときは区裁判所の許可を得て廃家することを得
明治民法744条

1.法定の推定家督相続人は他家に入り又は一家を創設することを得す
但し本家相続の必要あるときは此限に非す
2.前項の規定は第750条第2項の適用を妨げす
仏民法典にも類似の規定があり、家付き息子・娘(仏:enfant de famille)の婚姻には厳格な制限があった(旧151条)[1326]が、1933年に撤廃された[1327]

明治初期には合家の制度があり戸主同士の婚姻も可能だったが、仏法啓蒙期の1876年(明治9年)頃廃止された[1328]

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(20.12.古典的自由主義の徹底とその限界)
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(20.14.民法典論争後日談)
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出典:Wikipedia
2019/12/03 00:30
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