民法典論争
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19.民法典論争の本質・評価を巡る論争
19.7.保守対進歩という構図の問題点
旧通説の弱点のもう一つは、延期派=保守派、断行派=進歩派という図式を当てはめてしまうと、それだけでは説明のつかない多くの例外を認めてしまうことである[1,126]

賃借権・起草者の評価[編集]


例えば、現行民法が旧民法と異なり賃借権を債権と構成するなど、小作人が不利になり得る立法を採用したのは、明治政府の権力基盤であったブルジョワ寄生地主階級を保護する政策的意図に出たものと批判する説[1,127]が有力である。

ところが、賃借権の強化=進歩的、賃借権の弱化=保守的[1,128]、としてしまうと、賃借権の原案担当者は梅謙次郎[1,129]であるため、旧通説の図式に依れば仏法派・断行派・進歩派であるはずの梅が保守派になってしまうが、この点家永三郎の歴史観に立脚する[1,130]一部の論者は、梅も所詮政府側の人間であり、その自由主義は官僚的ブルジョワ自由主義に過ぎず、真の自由民権思想とは相いれない、詰まるところ梅も八束と同じく天皇制の藩屏に過ぎなかったと主張している(白羽祐三[1,131]

しかし、星野説の支持者からさえも、梅と穂積八束の立場を同一視するのは大雑把に過ぎると批判[1,132]されている。

平野も、自由民権運動左派の大井憲太郎(断行派)の言を引用し、旧民法の妥協的性格を根拠に、ボアソナードすらも「保守主義の法律家[1,133]」であったと評し、一貫して梅を官僚的自由主義派と呼ぶが、講座派の歴史観には同調する学者(熊谷)からすらも、旧民法の編纂過程を不当に無視していると批判[1,134]されている。

地主保護のために賃借権を債権化したという主張については、

それは結果論であって、起草者の主観的意図では地上権が有効利用されるはずと考えていた[1,135]
立法者または原案起草者梅の19世紀以来の経済的自由主義への共感を表すものである[1,136]
旧民法を単なる賃借権保護立法とみるのは適切でなく、零細な小作人の保護よりフランスにおけるような「富裕な借地農」の保護を想定しており、確かに日本の実情に適さなかった[1,137]
などの批判もある。

保守的な断行派という存在[編集]


法治協会の『法典実施断行ノ意見』「法典の実施を延期するは倫理の壊乱を来たすものなり」において、旧民法実施を男女平等・個人の尊厳に求めたのではなく、逆に「来の美風良俗の保全」に求めたことに注目するときは、断行派=進歩派という構図は疑わしいことになる(熊谷)[1,138]

また、政界は政府系議員、民党系議員共に各々の立場から延期派・断行派に分裂していたこと[1,139]、特に自由民権運動を暴力で弾圧した松方内閣や、後に護憲運動によって打倒された清浦、典型的な保守派の論客鳥尾小弥太らが旧民法断行派であった事実を旧通説は説明できないと批判される[1,140]

延期派の谷干城と同様の保守的グループに属し、商法典論争の延期派から民法典論争で断行派に転じた鳥尾については、理論的に良いと思われた側にすぐ転向する癖があった[1,141]とか、政府から司法大臣の席を約束されていたという噂があったことが指摘[1,142]されている。

旧民法公布および商法典論争の時の首相であった山縣有朋は民商法共に断行派[1,143]、黒田清隆も、超然主義の立場から強硬な断行派であった[1,144]

進歩的な延期派という存在[編集]


論争当時、民法典論争を保守派対進歩派の争いとみた『国民新聞』は、自由党・改進党の延期論を説明できないと批判され(東京日日新聞)、それは保守派に取り込まれた民党議員の過失であったと反論している[1,145]

代表的な天賦人権論者であり、自由民権論の理論的中心人物福澤諭吉が民商法共に延期派であった事実については、不徹底なブルジョワ自由主義思想が法典論争を機にその馬脚を現したために福澤が思想的変節を示し、天皇絶対主義という新たなプロレタリアート搾取の支配体制の確立に加担したという説明(田中實[1,146]、玉城[1,147]、松本[1,148])が試みられている。

これに対しては、中村菊男により、

福澤が条約改正と法典編纂を切り離すべきとして延期論に加担したのは国家主権の確立という立場からであって、延期派だから反動的封建派と見るのは正しくない[1,149]
各国の国民主義的運動自体、反封建的運動に矛盾するものではないし、特に日本の自由民権運動の場合、国内に対しては藩閥政府に対する民権の拡大を主張すると共に、列強諸国に対して国権の拡大を目指すという二面性を当初から持ち合わせていたのであって、明治期の国民主義的・国権的運動を一概に反動的・封建的と解するのは妥当でない[1,150]
福澤を含む延期派が、旧民法に反対して明治民法に反対しなかったのは、全体が日本人起草に成るという安心感に加えて、旧民法は条約改正交渉の要素の一つに過ぎなかったのに対し、明治民法の場合は既に条約改正が成り、施行の具体的条件として法典完成が特に急がれたために反対論が起こりづらかったに過ぎず、福澤の変節を意味しない[1,151]
マルクス主義法学は日本社会内部の特殊性を強調するあまり、外国からの圧力という面を見逃している[1,152]
などの批判がなされ、

典型的な戦後の進歩的文化人によるステレオタイプであり、こんにちではもはや説得力が無いとの批判(高田)[1,153]もある。
[4]前ページ
(19.6.星野・中村論争)
[6]次ページ
(19.8.拙速立法の評価)
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出典:Wikipedia
2020/01/07 21:31
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