平成
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1.改元
1.3.元号発表
小渕内閣官房長官(当時)が総理大臣官邸での記者会見で使用した台紙に『平成』と文字を揮毫したのは、内閣総理大臣官房(当時。中央省庁再編後は内閣府大臣官房)人事課辞令専門職の河東純一である。

記者発表の20分ほど前、「平成」と鉛筆で書かれた紙片を渡され、新元号名を知る。その後、河東自らが用意した4枚の奉書紙にそれぞれに平成と書き、4枚目を額に入れ、ダンボール風呂敷で梱包したものが小渕内閣官房長官の元へと運ばれた。河東本人談として、初めて平成と知った時、「画数の少ない字は形が取りにくく、書きにくい」と思ったそうである。また、4枚目を選んだのは上手い下手に関係なく、初めから4枚目を提出するつもりだったとも語っている。新元号を墨書する場所は、予め同官房内政審議室の会議室と決められていた。入室した際の同室では数人が別の作業を行っていたので、頼んで作業机の片隅を空けてもらい、「平成」を書き上げた。作業机は比較的高く、椅子はパイプ椅子で、周囲もやや喧騒であったため、非常に書きにくかったそうである[21]

小渕の秘書官である石附弘は、昭和の発表時にはラジオでは漢字の雰囲気を伝えられず、光文事件などの誤報もあり大衆の期待感が高まらなかったこと受け、テレビの生中継により「新時代への期待感や雰囲気」を醸成できると考えており、テレビ会見を重視していた[14]。揮毫した河東も「確たる未来と新時代への力強さを見せるため」あえて文字のかすれを抑えるなど映像が流れた際の見栄えを考慮していたという[14]。文字だけではなく披露する際の動作も事前に考えており、印象を残すため半紙を顔の横に掲げることにした[14]。また当初は半紙をアクリル板に貼り付ける予定だったが、直前にマスコミに相談したところフラッシュが反射して見えないとの指摘を受け、「半紙プラス白木の枠組み、アクリル板なし」の構成となった[14]

河東は2005年(平成17年)12月に職務(20万枚以上に及ぶ官記・位記・辞令および表彰状等の作成)の功績を認められ、第18回「人事院総裁賞」個人部門を受賞した[22]

発表後の奉書紙は、平成改元時の内閣総理大臣であった竹下登と内閣官房長官の小渕に贈呈されたが、当時は公文書管理法が制定される前で奉書紙の取り扱いについても取り決めが無かったため一時は行方不明となっていた[23]。その後竹下の孫であるDAIGOが竹下邸に飾られていた奉書紙をテレビ番組で披露[24][25]したことで行方が判明し、国立公文書館が連絡を取り寄贈されることとなった[23]。これを受けて平成の次の元号の奉書紙は最初から公文書として扱うことが決定した[23]

国立公文書館では「平成(元号)の書」としてスキャン画像が公開されているが、原本は閲覧できない[26]。なお国立公文書館のショップではスキャン画像を元にしたクリアファイルが販売されている[27]

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出典:Wikipedia
2019/03/26 03:00
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