福島第一原子力発電所
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5.発電所運営の経過
5.9.アクシデントマネジメント
チェルノブイリ原子力発電所事故後、西側各国でも既存原子力発電所の安全性について見直し機運が高まり、事故から2ヵ月後の1986年6月、アメリカ合衆国原子力規制委員会 (NRC) 内にてMark Iのシビアアクシデント対策の検討が提唱された[135]。1987年、米NRCはNUREG-1150という報告書を出し、確率論的安全評価手法を導入して同国の幾つかのサイトをモデルに安全評価を実施した。この中でBWRプラントに対する電源喪失リスクが高いことが指摘された[163]

強化ベントの追設提案[編集]


NRCの検討過程で問題となったのは同格納容器の容積の小ささで、全交流電源喪失事象が発生し、炉心の冷却設備が機能不全に陥った際、格納容器内に水蒸気が溜まり内圧が上昇、最悪の場合水蒸気爆発に至ることが懸念され[135]、この対応策として強化ベントを施設することが考案された[137][165]。検討作業結果は1989年1月に5項目の提案として纏められ、その中で「耐圧性を有するウェットウェルからのベント能力の確保」として明記された。その後、1989年7月5日にNRC決定がリリースされ、強化ベントについて次のように決定した[135]

*Mark-I型プラント所有者が自主的に耐圧強化ベントを設置する場合は、NRCスタッフはこれを承認する。
? 「Mark-I型格納容器問題について」『資源エネルギー庁』[135]
このNRC決定に対して、当初東京電力は否定的で次のようなコメントを出した。

現時点で対策不要 東京電力の話
今回の米国の動向については十分承知していた。日本の原子力発電所では事故発生防止を最優先に安全性が高められており、現実に炉心溶融など起こるとは考えられない。現時点では、そのような事故の影響を緩和する対策を講じる必要はないと考えている。 ? 「原子炉沸騰水型に通気弁 米規制委員が決定 東電福島第一に影響」『福島民報』1989年7月7日朝刊7面
なお、『福島民友』も上記東京電力のコメントを報じたが、資源エネルギー庁から次のようなコメントを得ている。

米国の決定は、炉心溶融など、事故が発展して対応が不可能になるような事態を想定したものだが、一方で本来放射能を閉じ込めて外部に出さない格納容器の機能と矛盾する点もある。安全弁を設置した場合、格納容器の構造上に問題はないか、などの技術的な課題もあり、十分安全評価をした上で検討してみたい。
(中略)通気弁の設置はもろ刃の剣。弁の誤動作によって事故が拡大してしまう可能性もあり、現在は炉心溶融のような過酷事故時に、格納容器の安全余裕がどれほど残っているかなど基礎的な勉強中の段階。 ? 「沸騰水型に通気弁 米規制委決定 水蒸気事故を防止」『福島民友』1989年7月7日朝刊5面
なお、上記決定は仮に強化ベントを追設しないとした場合、他に有効な安全策を提示することを求めており、事実上強化ベント設置を義務付けるものであった。更に、米国でNRC決定が出された時点で西ドイツやスウェーデンでは強化ベントの設置を進めている段階にあった[165]。『福島民友』は義務付けに対しては産業界から反発の声も出ると報じていた[166]。一方、NRCによると「多くのMark-I型プラント所有者は耐圧強化ベントを設置する方向で考えている」状況であった[135]

NRCの決定を受け、日本側では資源エネルギー庁が1986年8月14日より「セイフティ21計画」を省議決定し、同計画の中でシビアアクシデント規制対応の体制を構築し、後のAM手順書に至る事故時の運転マニュアル整備に着手した(この当時欧米ではベント手順を含むマニュアルが整備されていることに対応したもの)。ここで、AMは2段階のフェーズに分けられ、強化ベントはシビアアクシデントに拡大してもその影響を緩和するフェーズIIに区分された[140]

なお、1990年1月に資源エネルギー庁は国内の代表的なBWR-4プラントとして本発電所を選定し、全交流電源喪失時の耐久能力要求時間、耐性時間を試算し資料として添付した[141]。また確率論的安全評価 (PSA) も実施したが、当時の国内プラントの運転実績から炉心損傷確率そのものが一桁近く小さく、そのケースの1つであるベント操作に至る事故発生確率[169]が小さい値であったため炉心損傷確率の低減効果は小さいと評価された。このため結論として「(欧米と)同様の対策を直ちに反映させる必要性はないものと考えられる」とされた[142]

その後同庁はフェーズIのAMは整備したがフェーズIIについては強化ベントの有効性を確認したものの、設備対応が必要のことから導入を躊躇した。その後、1992年に「発電用軽水型原子炉施設におけるシビアアクシデント対策としてのアクシデントマネジメントについて」が原子力安全委員会にて決定された[143]。一方、1999年までIAEAの事務次長を務めた原子力工学専門家ブルーノ・ペロードは、1992年に東京電力に対して、福島県に設置されているMark I型軽水炉の弱点である格納容器や建屋を強化し、水源を多重化し、水素爆発の防止装置をつけるように、などと提案したが、東京電力の返答は、GE社から対策の話が来ないので不要と考えているというものだった(下記のように限定的な対策は実施に移された)[172]

『読売新聞』はフィルター付きベントの設置を進めていたフランスと対比し「シビアアクシデント対策というと、『原発はそれほど危険』と反原発運動に利用されるとする政府の懸念がある」と匿名の日本国内研究者複数が指摘したとしているが[173]、代表的な反原発運動家の高木仁三郎は『朝日新聞』に対し「対策の遅れは、積極的にやりたくないという業界の意向を反映したもの。(中略)こうした姿勢こそが問題」としている。また、反原発運動が当時の日本以上に盛んなドイツなどでフィルター付きベントが設備されたことについて「チェルノブイリ事故で盛り上がった反原発運動を鎮める狙いもあった」とむしろ原子力に対する疑いの目が安全強化を促した旨のコメントも報じられている[174]

ハード面の具体策を策定[編集]


このように強化ベント設置などの過酷事故対策について日本では東京電力他電力各社、行政共消極的であったが、1992年7月28日、通産省は従来方針を転換、1993年末を目途に各電力会社に過酷事故対策について検討を行うよう文書で通達した[175]。1994年2月1日には電力業界による検討結果の骨子が明らかにされ、原子力安全委員会の承認を得た上で1995年より定期検査を通じてBWRに強化ベント追設等の工事を実施することとなった[176]。もっとも、『朝日新聞』が「方針転換」と報じたことに対して電力業界は『電気新聞』を通じて次のようなコメントを出し反発した。

わが国の原子力発電所は現行の厳格な安全管理、安全規制により安全性は十分確保されており、アクシデントマネジメントは、電力が自主的に行う念のための措置であって、方針転換ではない。 ? 「原子力過酷事故安全対策 「方針変更はない」 電力業界 自主的措置を強調」『電気新聞』1994年2月4日1面
1994年3月29日、東京電力は、このような動きの中、通産省から要請された過酷事故対策の概略を福島事務所で公表し、3月31日に通産省に「アクシデントマネジメント検討報告書」を提出、1996年の定期検査より着手するとした。対策完了は2000年で、費用は1プラント当たり約10億円が見込まれた[177]。1994年10月24日、同省は検討結果を妥当なものと判断した[178]

ECCSをバックアップするため、建屋内防火用消火栓から炉心への代替注水設備、および復水補給系を新設
水フィルターを使用した強化ベントを追設し、格納容器耐圧性を強化し、格納容器内過圧防止操作範囲を拡大する[179]
非常用発電機の増設(後述)
1995年12月、原子力安全委員会はこの対策案を妥当とした[180]。1996年から着手という計画は遅延したものの、本発電所における最初の工事は6号機で1998年2月の定期検査に合わせて実施された。東京電力にとって初の対策工事でもあった。2000年までに実施完了の目標は変更されなかった[181]。本発電所において対策工事が完了した時期は不明だが、電力各社は2002年5月29日、原子力安全・保安院に全プラントの対策工事が完了した旨報告している[182]。なお、この追設にGE・ニュークリアエナジーは関与していない[137]

非常用ディーゼル発電機の増設[編集]


本発電所の原子炉が6機体制となった際、非常用ディーゼル発電機は複数の炉で共用するものを含めて合計10台設置されていた。これらは各種注水系・ポンプ等に代表される「工学的安全施設」の電源として機能するため、岩着した構造物に設置することとされ、また、数千kWの出力を持つ非常用発電機は重量物でありそれ自体の振動もあるため、1〜5号機ではタービン建屋の地下階に設置されていた[183]。その他の理由として、GEが1号機の建設をターンキーにて請け負った際、米本国でハリケーンによる暴風で倒木などが舞い上がり、建屋に突き刺さることを懸念して地下に配置した設計をそのまま導入したという事情もあるとされる[184]

また、これらが各プラントに付属する設備として分散配置されているが、建設時より1994年までは、専用の非常用発電機が1台しか配置されておらず、2台目の非常用発電機は隣接するプラントと共用となっている場合があり、福島原発事故独立検証委員会は2号機の2台目が1号機と共用されている例を挙げている[156]他、このような関係は上記3号機の設計で述べたように3・4号機でも見られた。

NUREG-1150が出された後の1992年、ブルーノ・ペロードも助言の際、非常用ディーゼル発電機の増設に言及した[172]

このような交流電源喪失への対応策の強化として1994年、外部電源喪失時の起動失敗の確率を低減するため、東京電力はアクシデントマネジメント策と呼応して3台の増設を申請し、それぞれ2号機、4号機、6号機に増設する形となった(下記に表で一覧化)[186]。この際、増設したディーゼル発電機は原子炉建屋やタービン建屋とは別棟(共用プール建屋)に収納された。なお、既存の10台は水冷式でディーゼル発電機の冷却を海水を取水して実施、そのためのポンプが海岸沿いに設置された。増設された3台は空冷式であった[187]。空冷式としたのは、海水ポンプが機能を喪失しても非常用発電機として運転を継続できるように考慮したためであった[156]

この内6号機の増設非常用発電機は1階の配置だが、他の増設非常用発電機に比べても高い位置に設置された。この理由は鈴木篤之によると「たまたまスペースが無かったから」で、それに対しインタビュアーの田原総一朗が「高いところへ置くと決めると、日本のすべての電力会社がそうしなければならなくなるけれども、たまたま六号機は、場所がなかったから高いところに設置することができた、と」と述べ、鈴木は同意している[188]

また、1〜2、3〜4号機にはシビアアクシデント対策として電源融通用のケーブルが敷設されたが、それらが繋がる金属閉鎖配電盤は浸水対策を考慮していなかった[189]

なお、1978年6月、地震により2号機用の送電線碍子が破損し送電を停止したことがあった。舘野淳は1999年に初出した著書でこれを取り上げ、碍子は材質的に破壊されやすいため所外からの交流電源喪失の要因となり「大事故に繋がる恐れがある」と警告している[160]

[4]前ページ
(5.8.福島第二3号機再循環ポンプ損傷事故の影響)
[6]次ページ
(5.10.使用済み燃料貯蔵施設の増強)
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出典:Wikipedia
2018/09/16 08:30
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