福島第一原子力発電所事故
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2.事故の内容
2.1.事故経過

地震と津波による電源喪失[編集]


日本近海の牡鹿半島沖で2011年3月11日14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震で、福島第一原発の在る大熊町震度6強の揺れとなり、最大加速度は設計値の約126パーセントの550ガルを記録[19][21][22]、施設内外に多くの破損が起こった。参考までに他の地震と比べると、兵庫県南部地震阪神・淡路大震災)で観測された最大加速度は818ガル[23]、事故時までの世界最大はギネスブックによると[24]2008年6月14日岩手・宮城内陸地震での4022ガル[25]である。

この地震により、稼働中の1 - 3号機は自動的に制御棒が挿入され緊急停止した(原子炉スクラム)。原発に電力を供給していた6系統の送電線の内の鉄塔1基[26]が地震による土砂崩れで倒壊し[25]、5号機・6号機が外部電源を喪失した。1〜4号機もまた、送電線の断線やショート、関連設備の故障などにより、同じく外部電源を喪失した[6]。外部電源・非常用発電機を損失したために館内は停電し、大量の水が降ってきた場所もあり[28]作業員は緊急退避した。

外部電源が失われたため、一旦は非常用電源(ディーゼル発電機)が起動し切り替わった。しかし、太平洋から押し寄せた大きな津波が、地震発生41分後の15時27分の第一波[27]以後、数回にわたり原発を襲った。津波は低い防波堤を越え、施設を大きく破壊し、地下室や立坑にも浸水した。地下にあった1 - 6号機の非常用電源は水没し[30]、二次冷却系海水ポンプや、燃料のオイルタンクも流失した。

このため1・2・4号機が全電源喪失、3・5号機が全交流電源喪失に陥り、非常用炉心冷却装置 (ECCS) や冷却水循環系のポンプを動かせなくなった。しかも海水系冷却装置系統 (RHR) は津波で破損した[29]。核燃料は原子炉停止後も長い年月、崩壊熱を発し続けるので、長時間冷却が滞ると過熱を起こし重大な事故に繋がる。

いったん冷却不能になれば、燃料棒は過熱し続け炉内温度は上昇、そのため冷却水からの水蒸気発生によって炉内水位は低下し、圧力容器と格納容器の内圧は上昇、燃料ペレット被覆管(ジルカロイ材)溶融による化学反応で多量の水素発生、といった過程は進行を続け、有効な対策を打たない限りは数十時間程度で爆発する可能性がある。

これを防ぐため、格納容器内の蒸気を外に逃がす操作(ベント)を行い格納容器の圧力を下げる必要がある。しかしベントによっても放射性物質は放出されるのであり、最悪の事態を避けるためのやむを得ない措置である。通常行なわれるベントは、ウェットベント(=PCVベント)といい、格納容器内の蒸気を圧力抑制室内に貯められた水にくぐらせて大半の放射性物質を取り除いてから外部に放出する。ドライベントは、格納容器から直接外部に放出するためより多くの放射性物質が放出されることになる。

電源喪失により、原子炉冷却機能を失っただけでなく、原子炉の状態を示す各計器の値が表示されなくなり、さらに発電所内の照明、通信機能も失ったことが、事故対応を極めて困難なものにした。また津波によって発電所敷地内にがれき、車両、重油タンク等が散乱し、事故復旧のための資材搬入や車両通行を妨げた。さらに、大津波警報が継続するとともに大きな余震が繰り返し発生し、それらへの警戒からたびたび作業中断を余儀なくされた。

1号機では最も早く注水が止まり、地震翌日までに炉心溶融、建屋爆発に繋がった。2号機では蒸気タービン駆動の隔離時注水系 (RCIC) が、奇跡的に3日間、炉心に水を注入し続けた。直流電源の残っていた3号機も2日間注水が継続していた(2号機・3号機は、全交流電源喪失を考慮し、隔離時注水系 (RCIC)・高圧注水系 (HPCI) と、2系統の蒸気タービン駆動注水装置がある)。

しかし停電時間は、電力会社が設計上想定してきた最大8時間に収まらず、非常用バッテリーを使い切った。渋滞による電源車の遅れ、原子炉の電圧と合う電源車が62台のうち1台しかなかったこと、電源車の出力不足、唯一の受電施設が水没したこと、地震翌日に開通した仮設電源ケーブルが開通6分後に1号機の水素爆発で吹き飛ばされたこと、自衛隊在日米軍による電源車のヘリコプター空輸が、重量超過のため搬送できなかったことなどの複合要因により、全電源喪失の時間が長期化した[32][33][34]

1号機における事故の進展[編集]


1号機では、3月11日14時46分の地震発生後、14時52分に原子炉を冷却する非常用復水器が起動[33]したが、急激な圧力低下を緩和するため(圧力容器の破損を避けるため)作業員は手動での操作(起動・停止を繰り返し)に切り替えた[34]。その操作中の15時半頃、津波に襲われ、15時50分に非常用電池が水没して遮断状態のまま非常用復水器が使用不能になり、同時に計器、動弁電源も失われた。東京電力は、17時に電源車を出動させたが渋滞で動けず、18時20分に東北電力に電源車の出動を要請したが、到着は22時で[35]、津波の被害・電圧不一致もあって、翌3月12日15時まで接続できなかった。

一方11日19時30分に1号機の燃料は蒸発による水位低下で全露出して炉心溶融が始まり、20時50分から動かしていたディーゼル駆動消火ポンプも翌12日1時48分に機能停止[36]、翌12日明方6時頃には全燃料がメルトダウンに至ったとみられる[39]。1号機は上記の経緯で、地震発生後5時間で燃料が露出したとみられ、15時間ほどで炉心溶融したと思われる。

東京電力は11日夕方から夜にかけて、非常用復水器が停止していることを認識せず、注水が行われているとみていた(後述)。ところが11日23時頃から1号機原子炉内圧力の異常な上昇を検知し、格納容器内部圧力は設計強度の1.5倍にも達したため、3月12日0時6分頃、第一原発所長の吉田昌郎は、ベントの準備をするよう指示した[38]

経済産業大臣海江田万里も3月12日早朝、大量の放射性物質が大気中に放出される虞、また水素爆発低減用に充填されている窒素も抜けてしまう虞は承知の上で、ベント実施を命令し、内閣総理大臣菅直人も第一原発を訪れて、ベントを急ぐように指示した[39][40]。東京電力は12日9時頃にウェットベント作業を開始。しかし、操作マニュアルの不備や、高濃度の放射線に現場が汚染されたことでベントの作業は難航し、14時30分にようやくベント成功を確認した[41][42][43]

その1時間後の3月12日15時36分、1号機の原子炉建屋は水素爆発を起こして大破した[44]。この瞬間の様子は福島中央テレビが唯一撮影に成功し、世界に知れ渡った。1号機は火炎を視認できない透明な爆発と同時に地面を這うような白煙が広がった。水素爆発の原因は、圧力容器が損傷したことで原子炉建屋内に水素が充満していたか、あるいはベントにより排出された多量の水素を含む水蒸気が、原子炉建屋のオペレーションフロアに流れ込んだためと諸説ある[45]。福島中央テレビが撮影した映像は、3月12日15時40分に福島県ローカルのみで映像が放送され、その1時間9分後の16時49分にNNN全国ネットで放送され、この映像で総理官邸が事態を把握したことになる。この映像は世界に配信されたものの、発生当日に国内で放送されたのはNNNのみである。

水素爆発でまき散らされた瓦礫等により、負傷者が出るとともに、完成間近だった2号機への注水用ポンプケーブル敷設作業が、振り出しに戻ってしまった[46]。また、爆風によって2号機建屋のブローアウトパネルが脱落、原子炉建屋内部が外気に通じた[46]

3号機における事故の進展[編集]


バッテリーが生きていた3号機でも、隔離時注水系 (RCIC) による注水が、3月12日11時36分に停止。約1時間後の12時35分には高圧注水系 (HPCI) が、RCIC停止を感知して入れ替わり起動し、その後14時間ほど稼働し続けた。しかし高圧注水をいつまでも続けることはできず、13日2時42分、HPCIを手動で停止。ディーゼル稼働消火ポンプでの注水に切り替えようと、主蒸気逃し安全弁(SR弁)を開いて原子炉内の圧力を下げようとした。ところがSR弁が開かず、注水が約7時間中断してしまった[47]

このため、3月13日4時15分に、炉心の露出が始まった[48]。8時41分にベントに成功し、その1時間後までにディーゼル稼動消火ポンプと消防車によって注水も再開できたが、12時20分、注水用の水が無くなり注水が停止[48]。13時12分に海水注入に切り替えたが、十分に水位が上がらず炉心の露出が続いた。2014年8月6日に東京電力が発表した再解析の結果によると、すでに3月13日午前5時半頃から、3号機の炉心溶融が始まり、3月14日7時頃には、燃料の大部分が圧力容器の底を突き破って、格納容器へ溶け落ちたとみられる[51][52][53]

3月14日11時1分、原子炉建屋のオペレーションフロアから上が、1号機と同じように水素爆発し大破した(保管燃料由来の水素爆発とされている)。一瞬の透明な爆発の直後、燃料プール付近で一瞬の赤い炎が発生し、爆発煙が上がった。大量の瓦礫が高度数100mまで巻き上げられ7人が負傷し、復旧作業も中断した。その後数日間、3号機建屋からは何度も煙が上がった。核燃料を貯蔵する燃料プールが沸騰していると推測され、3月17日からは、自衛隊がヘリコプターと消防車で燃料プールを目掛けて放水を行った。

2号機における事故の進展[編集]


2号機では、全電源喪失2分前の11日15時39分に隔離時冷却系 (RCIC) を手動で起動していて、その後3日間も持ちこたえた。RCICの起動には直流電源が必要で、もし電源喪失前に起動していなければ、すぐに冷却機能を失い炉心損傷へと急転していた可能性が高い[52]

RCICによる注水は14日13時25分に停止[46]。19時過ぎから格納容器ドライウェル圧力が上昇し、21時頃には圧力容器圧力とドライウェル圧力がほぼ同じになったことから、圧力容器が破損したものと推定される[53]。水素も発生したと考えられるが、ブローアウトパネル脱落により建屋に開いた穴から放出されたため水素爆発には至らなかった。東電はウェットベントとドライベントを試みたがすべて失敗し、このままでは圧力容器の破壊というこれまでよりも桁違いに深刻な事態に陥ることを恐れて現場は緊迫した空気に包まれた。東電は作業員の安全のため政府に第一原発からの撤退を申し入れたが、政府側はこれを「全面撤退」の意味で受け取り、拒否した(詳細は#東京電力の全面撤退をめぐる報道を参照)。格納容器圧力は600〜700kPa(設計強度の約1.5倍)の高圧を7時間以上にわたって維持した[53]

15日6時14分頃、大きな衝撃音が発生し、同時に圧力抑制室の圧力計が0を示した[54]。圧力抑制室が破損した可能性があると判断した現場は、最小限の要員を残して第一原発から退避した。しかし、実際にはこれは圧力計の故障と推定されている[55]。この衝撃音は、同時間帯に起きた4号機水素爆発のものと考えられる[56]。東電による地震計の解析によれば、衝撃音発生の正確な時刻は6時12分、場所は4号機からで、同時間帯に発生した衝撃はこの1回だけだった[57]。しかしながら、このとき2号機圧力抑制室が破損したとの見方もある[53]

格納容器内圧力は15日7時25分にはまだ730kPaという高い値だったが、次に監視員が戻ってきて11時25分に確認した際には155kPaまで低下していたため、この間に格納容器に破損が生じたと考えられる[58][59]。事故で放出された放射性物質は、15日に2号機から放出されたものが最も多かったと推定されている。1・3号機ではウェットベントに成功したが、2号機ではベントに失敗し格納容器から直接放射性物質が放出されたためとみられる[62]。しかし、吉田所長らが恐れていた原子炉の決定的な破壊にまでは至らず、最悪の事態は回避された(詳細は#最悪のシナリオを参照)。この日放出された大量の放射性物質は、初めは南向きの風に乗って関東地方へ拡散したが、北西への風に変わった夕方に降り出した雨で土壌に降下し、原発から北西方向へ延びる帯状の高濃度汚染域を作り出した。

4号機の水素爆発[編集]


15日6時14分頃、大きな衝撃音と振動が発生し、その後4号機原子炉建屋の損傷が確認された[61]。4号機建屋は水素爆発を起こしたと考えられるが、1・3号機と違って爆発時の映像が残っていない。4号機は炉心定期点検中で、炉に燃料は装荷されていなかったが[62]、3号機と4号機は原子炉建屋から排気筒への配管が共通のため、3号機建屋の水素が4号機建屋へ漏れたことで爆発が発生したと推定されている[63]。なお4号機建屋に3号機建屋からの水素ガスが漏れてきた原因は、電源喪失に伴う切替弁の作動停止によるものと思われている。仕様として、1号機・2号機、3号機・4号機というふうに隣接同士で原子炉建屋の排気筒を共有する設計が問題であると指摘されている。水素爆発によって4号機の使用済燃料プールがむき出しになり、プールの冷却水喪失による核燃料の過熱が恐れられたが、実際には水が残っていて核燃料の冠水が継続していた。15日9時38分、建屋内で火災を確認したが、11時までに自然に鎮火した[61]。16日5時45分頃に再び火災の連絡があったが、6時15分には現場に火は無かった。隣接する3号機建屋付近の放射線量が極めて高かったため、現場の確認さえ困難になっていた。

5-6号機[編集]


5号機・6号機は、1〜4号機と立地が異なりやや離れた高所にあり、津波被害がやや軽微だった。6号機の高い位置に設置されたディーゼル発電機1基のみ津波被害を免れ実働であったので、これを輪番で兼用することで全電源喪失を免れることができ、核燃料冷却を継続できた[64]#地震と津波による電源喪失と原子炉の破損の進行も参照)。1号機〜4号機は、標高35mの丘陵を岩盤に近づけ標高10mまで削って整地し(→福島第一原子力発電所#各原子炉の建設)、非常用電源も地下や1階に設置していた。標高は5号機・6号機は13m、福島第二原発は12mだった。この落差がそのまま、津波被害の軽重へ直結した。現地では、やや高い5号機付近の敷地から、施設周辺が次第に津波に覆われる様子を撮影している[67]

収束へ[編集]


原子炉の冷温停止状態を目指す復旧作業として、原子炉と使用済み核燃料プールを冷やすための注水または放水(初期は海水、のちに淡水。福島県双葉郡大熊町の坂下ダムの貯水の淡水を使用。)が各種ポンプ車両、および仮設ポンプなどにより行われ続け、完成とは呼べないものの7月上旬には従来の注水から、アレヴァキュリオンの設備により放射性物質を除去した上での循環水冷却に完全に移行し、8月には東芝などの開発したサリー (機械)も加わり処理能力が向上した。以降も引き続き事態を収束へ向かわせる懸命の努力が続いた。

現場では、過酷な状況の中で作業者、技術者らが事故収束作業をしている。彼らは当初の人数に因み「フクシマ50」(フクシマフィフティ)などと称賛された[66]

注水を継続する中、タービン建屋の修理に必要な汚染水移送や、国内外のロボットを使った調査などがされている[69][70][66]。原子炉建屋は高線量で人が立ち入れず、配管故障状況の調査、修理は難航しており、多くの計器や電気系統が故障し、原子炉の状態の詳細は把握されていない。それを助けるために、「原発災害用ロボット」を使った調査・情報収集も行われている。

4月17日、東京電力から2011年10月 - 2012年1月に原子炉を冷温停止させる2ステップからなる収束工程表が発表された[71]。進められている手順は、主に以下の通りである。

建屋に人が入れるように、また、環境に漏出させないように、放射性物質を含む溜まり水を保管できる先を確保して移す。将来は浄化する。
立ち入れるよう、建屋の空気をフィルターでこして線量を下げる。
立ち入れるようになったら水位計、圧力計を修理して状況をより正確に把握する。状況に応じて適切に冷却手段を講じる。その過程で圧力が下がりすぎて空気(酸素)の流入で水素爆発が起こらないよう、窒素の注入を慎重に継続する。
4号機の使用済み燃料プールが損壊しないよう、下部を補強する。
空冷による冷却水循環系を早期に構築して、冷温停止させる。
作業の制約になる敷地内の線量を減少させ、また大気汚染を減らすために、主に以下の対策が行われた[72]

リモートコントロール重機による汚染した瓦礫の撤去。
原子炉建屋を特殊なカバーで覆う。
2011年12月16日、政府は「発電所の事故そのものは収束に至った」として原子炉の冷温停止を宣言した。福島県知事は事故は収束していないとして反発した。

2013年3月18日に1号・3号・4号・共用プールの使用済み燃料プールが停電状態に陥って循環冷却機能を一時喪失したが、20日未明までに配電盤の復旧を行い冷却機能を回復した[73]

ALPSの運転[編集]


2012年10月、トリチウム以外の62核種の放射性物質を汚染水から除去できる多核種除去装置・ALPS(アルプス・Advanced Liquid Processing System)[74][75]を東芝が完成した。2013年3月25日、原子力規制委員会が、評価に基づき[76]試運転の実施に向けた原子炉施設保安規定の変更を認可、東電は試運転(ホット試験)を月内にも開始すると発表した。1日250トンを処理できる能力を持つ3系統があり、この内1系統で3月下旬から試運転が行われた。そして6月15日に、4月から試験運転していたA系でタンクの腐食による水漏れトラブルが発生した。東電は7月25日に、汚染水に含まれる塩化物イオンや次亜塩素酸の影響で、厚さ約9ミリのタンクの溶接部分の腐食が進み、微細な穴が開いたことを明らかにした。そこで、まずタンクの内側にゴムを張ることとし、次に試運転中のB系統も8月初めに停止してタンクを補修、さらにまだ試運転を始めていないC系統も対策を取ることとした。そして全ての系列が停止した。9月中旬には1基目の運転再開を目指していた。年内本格稼動の予定であった[77]。除去できないトリチウム入り汚染水はタンクに保管して希釈した上で海洋に放出する予定であるが、漁業者の反対が多く放出時期の目処は立っていない。この点、すでに東電側がトリチウムの安全性を主張していた[78]。しかし、これに対する批判は多い[79][80]

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(1.概要)
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(2.2.事故後の原子炉の状態)
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出典:Wikipedia
2018/12/12 13:31
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