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福岡ソフトバンクホークス
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7.準永久欠番扱いの背番号
南海時代以来、正式な永久欠番は存在しないとされるが、以下の背番号がそれに準じた扱いを受けている。

「炎の中継ぎ」として活躍し1999年、当時のパ・リーグ最多ホールド記録を樹立。福岡移転後のリーグ初優勝および日本一の原動力となる。日本シリーズ中に胸部の痛みを訴え、入退院を繰り返しつつも復活を期して二軍で調整していたが、2000年10月13日、チームのV2を見届けたのち、肺癌のために逝去。享年31。
2001年以降、15番は欠番となっており2016年時点の報道で”半永久欠番”の記載がある[147]
89:王貞治
1995年から2008年までの14年間、ホークスの監督として指揮を執り3度のリーグ優勝と2度の日本一を成し遂げ(巨人監督時代を含むと4度のリーグ優勝)、ゼネラルマネージャーとしても球団に多大な功績を残した。球団は背番号89番を空けて将来の監督に与える方針を示していたが、王の後を継いだ秋山幸二が「恐れ多くも自分が背負うには重すぎる」と辞退。これにより球団は89番を欠番扱いとすることを表明した。
52:川ア宗則
2011年までホークスに在籍し、遊撃手として活躍した。2012年にシアトル・マリナーズに移籍した後は、球団の配慮で川崎が戻ってくるまで欠番扱いにしていた。2017年4月1日に復帰したが2018年に自由契約となり再び欠番扱いとなっている。 南海時代の1971年には、前年限りで引退した杉浦忠の21番が「永久欠番になる」と報じられたことがあった[148]。公式な永久欠番に認定されたことは確認できず、1971年は着用者がいなかったものの、同年のドラフト会議で1位指名された野崎恒男が1972年から使用することになり、欠番扱いは1年だけであった。

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出典:Wikipedia
2020/02/20 19:33
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2020/02/22 更新
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