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6.ユニフォームの変遷
1.1.南海時代
1938年 - 1940年:「NANKAI」のロゴで前立てに線が入る。左袖には当時の南海社章(通称:羽車)をアレンジした「ボールに羽が生えたマーク」。
1940年 - 1943年:戦況の悪化によりロゴが漢字(四角の囲みに入る)となるが、ワッペンはそのまま残された。1944年に親会社・南海鉄道が関西急行鉄道と合併し近畿日本鉄道となり、球団名も「近畿日本」となるがユニフォームは不明。
1946年 - 1947年:前立て線に新しいチームカラーの緑を使用。1947年からユニフォームの左胸に南海のマークを使用。ビジターは「GREATRING」のロゴで後に「N」一文字に。
1947年 - 1949年:球団名が南海ホークスとなり、ダークブルーのユニフォームが登場。胸には黒の筆記体で「Hawks」。帽子が白でツバが緑、ロゴは「H」で金色。
1948年:戦後の黎明期に縦縞を使用。優勝するものの1年で廃止。
1949年 - 1950年1988年の球団身売りまで使っていたロゴが登場[177]。縁取りは黄色。左袖には1946年・1948年の優勝を記念するチャンピオンマークが装着された。ビジター用の灰色のユニフォームは鷹のマークだったが、1950年からシールズ型のユニフォームが登場。帽子は紺色地に深緑色の鷹のマーク(白縁)。
1951年 - 1958年:ボタンが比翼仕立てのユニフォームが登場。線も廃止され、シンプルな印象となった。この間、帽子マークが1956年から変更される[178]
1959年 - 1968年:鶴岡監督のアイデアで肩から袖、パンツに黒い太線を入れたデザインが登場。1960年から腰番号が付けられる。南海黄金時代を象徴するユニフォームであり、オールドファンの多くは南海と言えばこのユニフォームを連想する。帽子は黒を地色にNHマークがNの右側とHの左側の縦線を共有するものから、電車の車輪をモチーフとしたHをNと組み合わせたものに変更された。
1969年飯田徳治監督就任で心機一転の意味もあり、深緑をオレンジが挟むデザイン。帽子は黒を地色にNHマークがNが白、Hがオレンジの組み合わせ。胸番号が登場(胸番号はオレンジ色)。背番号、胸番号の書体が久保田型ブロック体(近鉄バファローズと同様)のものになる。しかし最下位ということもあって1年で廃止となる。
1970年 - 1971年野村克也監督就任時より、鶴岡監督時代のデザインに戻る。ただし、袖には太線が入っているが肩線は無く、胸番号がつく。
1972年 - 1977年:カラーテレビの普及で大幅にモデルチェンジ。伸縮性ニット製ユニフォームを採用する。縁起を担ぐ野村兼任監督らしく毎年のように目まぐるしく細部のマイナーチェンジがあった。1974年 - 1976年にかけてはホーム用2種類、ビジター用2種類の計4種類のユニフォームを使い分けた。
【パイレーツ型(1972年 - 1976年)】
1972年より、当時のピッツバーグ・パイレーツを参考にしたベルトレスプルオーバータイプが登場。胸ロゴ、背番号、胸番号、帽子、アンダーシャツ、ストッキングは黒に近い深緑。帽子のNHマークと通気穴は黄土色、首、パンツの線は深緑と黄土色の2本、袖、腰は深緑、白、黄土色の3本。
ホーム用は上下白。Hawksのロゴ、背番号、胸番号は黄土色の縁取り。
ビジター用は上下ブルーグレーで、NANKAIのロゴ、胸番号、背番号には白の縁取りがつく。
1974年より、パンツの線が深緑と黄土色の2本ラインから黄土色の線の両サイドを深緑の細線で挟んだ3本線に変わる。
1975年より、ホーム、ビジター共左袖にペットマークがつけられる。
【アスレチックス型(1974年 - 1976年)】
1974年よりパイレーツ型ユニフォームにプラスする形で、当時のオークランド・アスレチックスを参考にしたユニフォームを新たに採用する。帽子、アンダーシャツ、ストッキングが黄緑色、NHマークは白。パンツのサイドラインは黄緑・黄・黄緑の3本線で、ソックスが黄色になる(1974年の初期のみアンダーシャツが黄色)。
ホーム用は、Hawksロゴ、胸番号、背番号は黄緑色で、縁取りは深緑、首は黄色、黄緑の2本線、袖、腰は黄緑、黄、黄緑の3本線。
ビジター用の上着は黄緑色、パンツは白で、NANKAIロゴ、胸番号、背番号は白で、縁取りは深緑、首は黄色、白の2本線、袖、腰は黄、白、黄緑の3本線。
1975年にはVネックになり、3本線に変わる。さらに左袖にパイレーツ型同様、ペットマークが付けられる。
ホーム用は黄緑、黄、黄緑の3本線。
ビジター用は黄、白、黄の3本線。
1976年には、ビジター用のパンツのサイドラインが消える。
【プロトタイプ(1976年・1977年)】
さらに1976年、ホーム用に限り、アスレチックス型の首、袖にラインのない白地のVネックユニフォームがオープン戦オールスターゲームの期間限定で登場する。(パンツは通常タイプと同様)
1977年には丸首になり、オレンジ色で背番号の上に選手名、左袖のペットマークの下にNANKAIのロゴが入る。
1977年のみパイレーツ型ユニフォームが廃止になり、アスレチックス型ユニフォームがマイナーチェンジ。袖、腰のラインに新たに赤が取り入れ、首周りがVネックから丸首に戻る。この年より背番号の上にローマ字で選手名が入り、スパイクの色が白地に黄緑の線となる。帽子はグリーンを地色に白のNHマーク。
ホーム用は、袖、腰が黄緑、黄、赤の3本線、首が深緑、黄緑、深緑の3本線。
ビジター用は、袖、腰が赤、白、黄の3本線、首が黄、白、黄の3本線。
1978年 - 1983年:野村監督解任、広瀬叔功監督就任に伴い、ユニフォームを一新。左肩のペットマークが取り外され、ホーム、ビジター共色使いはそのままで、鶴岡監督時代の象徴だった肩と袖の太線が復活(太ライン、ロゴ、背番号、胸番号:ホーム用は黄緑、ビジター用は白で、それぞれ黒の縁取り)。帽子はグリーンを地色に白のNHマーク。
1980年のみ、ホーム用が深緑の縦縞に変更され、さらに後期のみ胸番号が赤になる。また帽子のツバがホーム・ビジターとも赤になる。しかし、最下位のため1年で廃止となる[179]
1983年にベルトレスからベルト式にマイナーチェンジ。ホーム用はベルトラインをループ状とてサイドラインを存置した一方、ビジター用はベルトラインを通常型に変更し、サイドラインが消える。
1984年 - 1988年:前年の穴吹義雄監督就任に伴い、南海黄金時代の象徴であった深緑色が復活。肩、袖のラインが肩、袖に深緑の2本線となる。帽子はグリーンを地色に白のNHマーク。
ビジター用は上半身深緑で肩に線がない。
帽子の頂点のボタンが白のものとグリーンのものの2種類があった。
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177. ロゴや鷹のマークなど、この年に登場したホークスの意匠は今竹七郎が制作した。
178. 鷹のマークからNHマーク(Nの右側とHの左側の縦線を共有するデザイン)に。
179. 翌年には当時の南海と同じく久保田スラッガーが納入していた大丸硬式野球部が同一色・素材の縦縞ユニフォームを使用していた。

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出典:Wikipedia
2017/10/21 17:02
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