扶桑
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4.地理の比定
4.1.日本の別名とする説
日本の別称として用いた例としては、1094年史書『扶桑略記』のタイトルの用例が見られるが、それ以前にも多くあり、最古の用例は貞観元年(859)の例がある。日本をわざわざ扶桑という別名でよぶのは、外交関係ないし対外的に中国を意識した漢詩や仏教関係で使われることが多かった。

室町時代に作成された行基図(地図)には、『日本扶桑国之図』というタイトルが付されている[14]

平田篤胤 (1776 - 1843) は、その著『大扶桑國考』(1836年)で、国王を意味するという「乙祁」を仁賢天皇の名とし、中国の伝説に表れる扶桑は日本のことだったとする説を唱えた(扶桑国にあるという文字を神代文字のことだともしている)。現代では宝賀寿男[15]大和岩雄[16]も同様に日本の別名とする説である。

関西説[編集]


赤松文之祐[17]いき一郎[18]の説では、倭の五王の倭国は今の九州にあったとして、それとは別勢力である扶桑国は関西・近畿地方にあったとしている。

関東説[編集]


荻生徂徠1736年の著書『南留別志』(なるべし)に於いて、「上総はかんつふさ、下総は下津房なり、安房もふさといふ字を用ゆ、古の扶桑国なるべしとみえたり」と断じ、扶桑国は房総半島とした。鈴木正知[19]も同説を唱えた。

その他の日本国内説[編集]


九州説、東海地方説(前田豊は三河説、何新は富士山説)、東北地方説、北海道説、樺太説がある。

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(3.植物の比定)
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(4.2.日本以外とする説)
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出典:Wikipedia
2020/01/15 15:30
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