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波羅提木叉
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2.大乗仏教での扱い
2.1.東アジア(中国・日本など)
東アジアの北伝大乗仏教では、周知の通り、段階的に様々な仏典が輸入・翻訳されていくという特殊な伝播経緯を辿ることになるが、東晋代の中国に『十誦律』『四分律』『摩訶僧祇律』などが持ち込まれて律の研究が進み始め、北魏代に法聡・慧光らによって、法蔵部の『四分律』に依る四分律宗が築かれ、それを継承した代の道宣が、南山(終南山)にて(南山)律宗を大成したことで、律(具足戒・波羅提木叉)及び僧伽の伝統は、一応は継承・確立されることになる。後に、その門下である鑑真が、日本にそれを伝え、東大寺戒壇が築かれるなど、日本仏教にもその伝統は継承された。こうして東アジアの北伝仏教においては、法蔵部の『四分律』が、デファクトスタンダードとなった。

こうして東アジアの北伝大乗仏教にも、一応は律(具足戒・波羅提木叉)及び僧伽の伝統が継承され、また、国家も(私度僧による税・労働・兵役免除特権乱用の排除を目的として)僧団を管理するためにそれを利用したが、他方で、上記したような特殊な伝播経緯ゆえに、初期仏教・上座部仏教のように、律(具足戒・波羅提木叉)が僧伽(僧団)の、ひいては仏教の根幹を成しているという認識まで、全信徒の間に継承されていたとは言い難く、それ以前にそもそも小乗・大乗・偽経入り乱れた中で、仏典・経典の範疇すら確定しておらず(教相判釈)、各自に所依の経典や論を選択しては各宗派を形成するという有り様だったため、そもそも初期仏教・上座部仏教のような形そのままでの仏教の継承は、現実的には困難であった。

その後、中国(及び朝鮮半島)においては、唐代の仏教弾圧(会昌の廃仏)などによる混乱に加え、代以降の理学朱子学)の台頭、モンゴル満州族による支配など、様々な要因が混ざり合いながら、仏教そのものが衰退・変質していくことになり、律(具足戒・波羅提木叉)の扱いも曖昧になっていった。そのことは、宋代以降に形成されていった大蔵経の並びにおいて、律(具足戒・波羅提木叉)の配置が(南方上座部やチベットのように、仏典の最初に配置されて重視されているのとは対照的に)後回しにされていることからも伺える。

日本においては、上記した鑑真以来の『四分律』・律宗奈良仏教の伝統が、平安京へと都が移り、天台宗最澄が登場することで、危機を迎えることになった。最澄は中国天台宗のの考えを引き継ぎながらも、『梵網経』に基づいて「菩薩戒」(大乗戒、円頓戒)という中国天台宗とは全く別の戒を作り、旧来の律(具足戒・波羅提木叉)を廃止した「大乗戒壇」なる独自の戒壇比叡山延暦寺に創設、授戒を行なっていくようになった。これは奈良仏教勢力の激しい反発を招くが、後に朝廷に公認されたことで収拾がつけられる。

こうして日本においては、旧来の律(具足戒・波羅提木叉)が、「声聞戒」[声聞乗(=小乗)の戒)として、蔑視・軽視されていく流れができた。そして、浄土宗浄土真宗、宋代以降の中国から入ってきた禅宗日蓮宗などの鎌倉仏教の台頭によって、その流れは加速していった。

他方で同時に、真言律宗のような動きも含め、旧来の律(具足戒・波羅提木叉)を復興する動きもあり、一時期は日蓮が名指しして批判するほどに(四箇格言)、それは一大勢力ともなった。

江戸時代においては、国の法律である僧尼令江戸幕府寺院法度によって僧侶の(女犯)妻帯・肉食等が禁止されたため、最低限の規律は守られた。しかし、明治に入り政府が僧尼令を廃止して明治5年4月25日公布の太政官布告第133号「僧侶肉食妻帯蓄髪等差許ノ事」にて、僧侶の(女犯)妻帯・肉食等を公的に許可した。これは、維新まで寺院は役所でもあったので為政者から多大な助成を受け運営されてきたがそれがなくなり、寺院はその後、現況のように自活運営をすることとなったが、それをするためには妻帯や兼業をしなければ運営できないが、それら政策は寺院民営化の初めとして、さらには文明開化の一環として国民より好意的に受容されたためであり、さらには平安時代以降、最澄が主張した円頓戒菩薩戒)のみを受持する宗派(天台宗鎌倉仏教の一部を除く各宗派等)からすれば、円頓戒は自律であって他律ではないために、元より他から罰せられる対象ではなく、また浄土真宗親鸞の主張により、そもそも国の法律である僧尼令などによって他律的に僧侶の(女犯)妻帯、肉食を罰せられること自体、それら宗派よりすればナンセンスであったためである。それで、この機会から日本仏教における僧侶の規律は、事実上、在家信徒との境界線が無いに等しい状態となった。

明治時代に戒律復興運動を行っていた真言宗釈雲照や、その甥であり日本人初の上座部仏教徒となった釈興然(グナラタナ)、更には彼らとも知人で、日本人初のチベット入国を果たした黄檗宗河口慧海など、仏教界の堕落批判や規律・戒律の復興を目指す動きはあったが、大きなうねりとはならないまま今日に至っている。

現代日本における解釈[編集]


『岩波仏教事典(第二版)』の「波羅提木叉」の項には「原語の語義解釈はなお定説をみない」とある。荻原雲来による『漢訳対照梵和大辞典』の「pr?timok?a」の項には、「=pratimok?a」とあり、「prati」の項目には「名詞とともに各々の」という意味があるとする。 中村元の『広説佛教語大辞典』の「波羅提木叉」の項には、「@それぞれの煩悩について解脱をうること。これが原意である。」としている。

また中村元は、その著『中村元選集[決定版] 第14巻 原始仏教の成立』のなかでp?timokkhaについて次のように述べている。

このようにひとつひとつの戒めを守っていることが「別々の解脱」(別解脱 p?timokkha)とよばれるものであったし、また、ニルヴァーナにほかならなかった。(336頁)

ここからわれわれは実践に関して結論を導き出すことができる。すなわち、〈解脱〉とは熟睡のようなひとつの状態に安住することではなくて、われわれが過ちを犯すかもしれないそのひとつひとつについて不断に気づかっていることである。ひとつの戒めを守ることが、ひとつの解脱なのである。ニルヴァーナとはわれわれが不断に注意して実践していくことであり、それのみに尽きている。(336−337頁)

曹洞宗僧侶であり仏教学者でもある奈良康明によれば、"pr?ti"とは「それぞれの」、「一つ一つの」という意味であり、"mok?a"は「解脱」の意味である。それゆえ、「別解脱」とも訳され、五戒(不殺生戒、不偸盗戒、不邪淫戒、不妄語戒、不飲酒戒)のうち一つの戒でも守ることが悟りを実践することになるという意味であるという[注 2]。ただし、一つさえ守れば、悟ったということではない、とする。[5]

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出典:Wikipedia
2020/02/05 22:36
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