反ユダヤ主義
▼人気記事ランキング
3.中世の反ユダヤ主義
カペー朝フランス王国では、992年リモージュないしル・マンで、キリスト教に改宗したセホクがユダヤ共同体から追放された腹いせに、蝋人形をシナゴーグの聖櫃に隠してユダヤ人はキリスト教徒への呪いの儀式を行っていると告発した[44]。996年、ユーグ・カペーが死んだ場所が「ジュイ」であったため、ユダヤ人が死の原因とされた[44]。1007年頃、ロベール2世敬虔王がユダヤ教徒へ改宗を強制し、従わない者は処刑すると命じた。ユダヤ教徒イェクティエルの直訴を受けた教皇は、フランス王に撤回させた[44]

フランスをはじめ西ヨーロッパ諸国で、1009年ファーティマ朝による聖墳墓教会破壊について、ユダヤ人が教会の破壊をそそのかしたという噂が流布し、局地的に強制改宗や追放がなされた[45][55]。修道士ラウル・グラベールは「全てのキリスト教徒が、自分たちの土地と町から全ユダヤ教徒を追放するという点で意見の一致を見た」と記している[44]。これ以降、イスラム教徒とユダヤ教徒がキリスト教世界の覆滅を共謀しているという見方が一般的なものとなり、復活祭にはユダヤ共同体の長が平手打ちを受けるという慣習がはじまった[55]。トゥールーズでは聖金曜日に大聖堂の前でユダヤ教徒への平手打ちがはじまり、12世紀まで続いた[44]ベジエでは枝の主日にユダヤ居住区への襲撃が司教によって赦された(1161年に禁止)[44]

1010年にルーアン、オルレアン、リモージュで、1012年にはマインツやライン川流域の都市、そしてローマなどでユダヤ人が強制改宗や虐殺、追放の対象となった[45]

1066年には - フランスのオルレアンで異端審問が行われ、イスラム支配下のアンダルスでグラナダ虐殺が起こった。この年、ノルマンディー公ギヨーム2世によるイングランド征服(ノルマン征服)によって、ルーアンのユダヤ人が経済金融政策を担当した[23]。当時すでにユダヤ人は高利貸付や信用貸付に長けており、ドゥームズデイ・ブックにはユダヤ人による土地買収が記録されている[23]

1084年、ドイツのシュパイアー司教リューディガーは、ユダヤ人にキリスト教徒の下僕や農奴、畑や武器を持つことを許可しており、この時は反ユダヤ主義はまだ激しくはなかった[45]

[4]前ページ
(2.3.イスラーム)
[6]次ページ
(3.1.十字軍と反ユダヤ主義)
~目次に戻る
出典:Wikipedia
2019/11/27 19:31
ソ人気記事ランキング
2019/12/12 更新
 1位日本
 2位無名塾出身の俳優一覧
 3位松本ちえこ
 4位12月11日
 5位山口小夜子
▲上に戻る
[9]Wikipediaトップ
[0]gooトップ
免責事項
(C)NTT Resonant