電子
▼人気記事ランキング
6.発見
電子の発見は陰極線の発見に端を発する。その当時物体は、電気を通す物体と電気を通さない物体に分類されることが一般的であった。しかし科学者たちはどんな物体の中でも電圧を上げれば電流を流すことができると考えていた。そこでほぼ真空に近い陰極線管クルックス管)に電圧をかけてみると直線状の影が現れた。ドイツの物理学者オイゲン・ゴルトシュタインはこの直線が陰極から発せられていたことから「陰極線」と名付けた。この陰極線の正体について学者らの意見は分かれた。欧州大陸の学者は陰極線の正体は海の波のように直線的に動いているので波動であるとし、イギリスの学者は重力の影響を受けないほど高速で移動している粒子であるとした。この大陸側とイギリス側の論争に決着をつけたのはイギリスの物理学者ウィリアム・クルックスであった。クルックスは、今日、自身の名前がつけられている陰極線管、いわゆるクルックス管を用いて、以下のような実験を提案した。

陰極線管に磁石を近づけた際に、

負に荷電した粒子であれば磁場によって偏向するだろう
波動であれば磁界によって偏向することはない
この実験でクルックスは陰極線が磁場で偏向されることを確かめた。

ジャン・ペラン1895年に陰極線には必ず負の電荷が伴うことを実験で証明した[14]。また、もし陰極線の正体が荷電した粒子であれば、電場によってより容易に偏向するだろうことが予測される。この測定は真空度が低いと上手くいかないため観測されていなかったが、1896年にグスタフ・ヤフマンが、1897年J・J・トムソンが、静電気によって陰極線が偏向することを実証した[14]

陰極線の研究とは別に、1896年から1897年にかけてピーター・ゼーマンらは、ゼーマン効果の研究からイオン振動子(電子)の比電荷を求め、この結果から、電子は電荷が負で原子より小さいという概念に至った[15]。1897年にエミール・ヴィーヘルト、J・J・トムソンはそれぞれ陰極線を構成する粒子の比電荷を測定し、その粒子が原子より非常に小さくて軽いと結論付けた[14][16]。これに先立って1890年までにアーサー・シュスターが陰極線の比電荷を測定していたが、その時点では電子が原子から分離するとは考えられていなかったため正しく解釈されず[14]、また測定結果も信用されなかった。1899年にJ・J・トムソンは電子の電荷だけを測定し、それにより質量も計算することができた[14]ロバート・ミリカン1911年に単一の電子を分離することに成功した[14]

この電子の発見は原子モデルに大きな変化をもたらした。

[4]前ページ
(5.陽電子)
[6]次ページ
(7.電子場)
~目次に戻る
出典:Wikipedia
2019/10/10 12:30
ソ人気記事ランキング
2019/11/23 更新
 1位日本
 2位木内みどり
 3位元千葉ロッテマリーンズ投手強盗殺人事件
 4位小川博
 5位川口春奈
▲上に戻る
[9]Wikipediaトップ
[0]gooトップ
免責事項
(C)NTT Resonant