天才・たけしの元気が出るテレビ!!
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1.概要
ドキュメントバラエティの元祖であり、「テレビとは真実を伝えるものだ」という社会的な共通認識を根本から打ち砕いた革命的な番組だったと評されている[1]。最終回でたけしは「今のバラエティでやっていることはすべてこの番組でやってきた」と、この番組がもたらした影響を自負した。
名もない市井の人々にスポットを当てて話題にし、さまざまな人気者を生み出した。
「○○区にすごいそば屋のオヤジがいた!」、「信じられないほどお金持ちのお嬢様が実在した!」など、よく考えてみれば視聴者にはあまり重要ではない企画も数多く放送された。
その一方、番組の都合で急に人気者に仕立て上げられた人物・会社・商店街などが、番組の企画が終了した時点で急に人気がなくなることも多かった。 「元気が出る商事(当初は「風林火山商事」)」という設定で、出演者に「社長」「部長」「課長」「秘書」といった肩書があるのは、企画段階では会社を舞台にしたコメディ番組だった名残りである。また、お笑いバラエティ番組であるが、松方弘樹原田大二郎宝田明などの大物俳優や、野口五郎などの有名歌手がレギュラー出演しており、これは当初、テレビドラマを制作する予定でキャスティングし、スケジュールを空けてもらっていたためである。
番組全盛期の頃、原宿の竹下通り京都嵐山、千葉県浦安市に「元気が出るハウス」をオープン。タレントショップブームの先駆けとなる[2]
1988年ごろからお笑い色の強いコーナーだけでなく、「ダンス甲子園」など一般人出演者が大きな目標に向かって努力する様子をドキュメントするという内容が目立つようになる。
同年7月には、「ウィッキーさんのワンポイント英会話に出よう」という企画で、『ズームイン!!朝!』の「Wickyさんのワンポイント英会話」に鞍馬天狗に扮したたけしとリポーターに徹した高田が突如通行人として出演した[3]
8月には、「街かどテレビに出よう」という企画で『街かどテレビ11:00』(TBS系)にも変装したたけしとリポーターに徹した高田が突如お客として出演した。
1996年8月25日の放送において、前番組の『24時間テレビ』でチャリティマラソンを走った赤井英和の日本武道館の到着が遅れた[4] 為に『24時間テレビ』の放送時間が15分延長されたが、本番組は繰り下げずそのまま15分短縮され、冒頭のコーナーや最初の提供クレジットはカットされた[5]
たけしは第1回目の放送の時に、前番組の『久米宏のTVスクランブル』について「あの番組は終わったのではなくやめさせられたの」と揶揄した。
たけしがバイク事故で入院していた時期(1994年9月)に、たけしの相方であるビートきよしが1度だけ代理司会を務めたこともある。しかし、思ったほど受けなかったためか、以降、きよしに声が掛かることは無かった。
番組名の「元気が出るテレビ」は、日曜の夜になると『明日からまた学校や仕事に行かなければならない』と憂鬱な気分になる学生や社会人に対して元気を出させる番組を作る、という主旨でテリー伊藤と牛丸謙壱がネーミングしたものである。
1994年の夏ごろまでは、人気企画(平成口ゲンカ王決定戦、全国高校・校内カラオケ選手権など)もあり高視聴率を保っていたが、同年9月からビートたけしがバイク事故による休養で半年間番組に出演しなくなり人気が下降する。これと同時に、それまで互角の視聴率争いを繰り広げてきた裏番組の『ダウンタウンのごっつええ感じ』の視聴率が上がり始め、次第に突き放されていくようになった。たけしは翌年3月に復帰するも、半年後の1995年10月にレギュラー出演者を大幅に入れ替え、番組タイトルの頭に「超」を付けてリニューアルをした。リニューアル後はかつての人気企画だった「ダンス甲子園」を「ストリートダンス選手権」として復活させ、一部レギュラーを入れ替えるなどのテコ入れを行うも、番組は1996年10月で終了し放送開始から11年半の歴史に幕を閉じた。

2004年12月22日に初回限定2枚組でDVDが発売された。

2005年の24時間テレビの深夜企画で元気が出るテレビの名場面と復活企画を行うとともに、たけし以外の出演者が全員出演した。翌年の2006年の24時間テレビで、この番組の名物企画だった「ダンス甲子園」が復活し、2014年まで放送された。

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(2.出演者)
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出典:Wikipedia
2019/08/12 22:30
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