日本大学
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2.沿革
2.2.年表

明治(1882年 - 1912年7月30日)[編集]


1882年明治15年)11月 - 旧所在地・東京市麹町区飯田町五丁目8番地に皇典講究所が開黌される[15]
1889年(明治22年)10月 - 日本法律学校を設立(法学部の前身)[16]
1895年(明治28年)7月 - 三崎町校舎落成。
1898年(明治31年)
3月 高等専攻科を設置[17]し、卒業生に日本法律学士の称号を授与。
12月 財団法人日本法律学校となり皇典講究所より分離独立[18]する。
1901年(明治34年)10月 - 高等師範科(文理学部の前身)[19]を設置。
1903年(明治36年)8月 - 校則を改め大学組織となり、日本大学と改称[20]
1904年(明治37年)
3月 専門学校令による大学となる(旧制専門学校)。商科(経済学部[21]および商学部[22]の前身)を設置。
1906年(明治39年)8月 - 初の留学生ヨーロッパへ送る[23]

大正(1912年 - 1926年12月25日)[編集]


1914年(大正3年)6月 - 「建学ノ主旨及綱領」制定
大学令公布(1919年4月1日)[編集]
1920年大正9年)
4月 大学令による大学設立(法文学部・商学部)。専門部に女子の入学が許可される。
6月 日本大学高等工学校(土木、建築)設置(理工学部の基礎となる)[24]
1921年(大正10年)
3月 法文学部に美学科(芸術学部の前身)[25]を設置。
4月 1916年創立の東洋歯科医学専門学校(歯学部の前身)を合併[26]し、日本大学歯科医学校を開設。
1922年(大正11年)6月 - 日本大学歯科医学校を日本大学専門部歯科と改称[27]
1923年(大正12年)9月 - 関東大震災により三崎町および駿河台の校舎に甚大な被害が及ぶ。
1925年(大正14年)3月 - 専門部医学科(医学部の前身)設置。また、大阪に日本大学専門学校を設置、同校は1943年に大阪専門学校(近畿大学の前身)となる。

昭和(1926年 - 1989年1月7日)[編集]


1926年(大正15年)11月 - 医学科付属駿河台病院を開設。
1928年昭和3年)4月 - 工学部(理工学部の前身)を設置(予科2年、学部3年制)[28]
1929年(昭和4年)4月 - 専門部工科(工学部の前身)を設置(2年制)[29]
1933年(昭和8年)7月 - 法文学部文学科芸術学専攻および専門部文科文学芸術専攻を日本大学芸術学園と称した[30]
1934年(昭和9年)4月 - 学部教育は昼間部のみで行い専門部教育は夜間とする事を大学理事会で決定[31](学部教育と専門部教育とを完全分割)。
1935年(昭和10年)5月 - 医学科付属板橋病院を開設。
1937年(昭和12年)
4月 - 専門部拓殖科(農学部の前身)を設置(3年制)。
12月 - 世田谷予科[32]を設置。
1939年(昭和14年)4月 - 日本大学芸術学園が江古田校舎に移転。
1940年(昭和15年)2月 - 日本大学大阪専門学校を財団法人大阪専門学校へ移管(現・近畿大学
1943年(昭和18年)
3月 医学部の認可[33](予科3年、学部4年制)。
5月 農学部(農獣医学部の前身)を神奈川県藤沢市に設置。
1946年(昭和21年)4月 - 三島予科[34]を設置。
学校教育法公布(1947年4月1日)[編集]
1947年(昭和22年)
3月 専門部工科(工学部の前身)を第二工学部として福島県郡山市に移転。
8月 法学部に新聞学科を設置。
1948年(昭和23年)11月 - 三崎町校舎に通信教育部を設置。
1949年(昭和24年)2月 - 新学制の施行に伴い学内を第一部(昼間部)7学部(法・文・経済・工・第二工・芸術・農)、第二部(夜間部)4学部(法・文・経済・工)を新学制に移行。[35]
1950年(昭和25年)3月 - 現短期大学部を東京都千代田区に設置。
1951年(昭和26年)
4月 大学院を設置。
11月 1907年創立の東京獣医畜産大学を農学部に吸収合併[36]
1952年(昭和27年)
2月 工学部に薬学科(薬学部の前身)・工業経営学科(生産工学部の前身)を設置[37]
3月 農学部に獣医学科を増設し、農獣医学部(生物資源科学部の前身)と改称。医学部・歯学部を新学制に移行。豊山中・高が日本大学と提携(1954年に日大本体に統合)。
1955年(昭和30年)4月 - 岩手医科大学の委託を受け、進学課程(医学課程)の一般教育を三島教養部で実施[38]1966年まで)。
1957年(昭和32年)
3月 経済学部商業学科が独立し、商学部を設置。
12月 三島高校を設置
1958年(昭和33年)1月 - 文学部(高等師範科の後身)に学科を増設し文理学部に、工学部に物理学科を設置し理工学部と改称。
1963年(昭和38年)12月 - 原子力研究所[39]を設置。
1965年(昭和40年)1月 - 第一工学部(工業経営学科の前身)を設置(理工学部経営工学科を廃止・昇格)。
1966年(昭和41年)
1月 第一工学部を生産工学部、第二工学部を工学部と改称。
3月に付属豊山女子高を設置。
1971年(昭和46年)2月 - 日本大学松戸歯科大学(松戸歯学部の前身)を千葉県松戸市に設置。
1975年(昭和50年)
1976年(昭和51年)
3月 指定校(準付属に準ずる提携校)制度廃止。
4月 日本大学松戸歯科大学を廃止統合、松戸歯学部へと改称。
1978年(昭和53年)12月 - 三島教養部を改組し、国際関係学部を静岡県三島市に設置。
1985年(昭和60年)11月 - 皇典講究所発祥記念碑を皇典講究所跡地(千代田区飯田橋)に國學院大學と建立。
1987年(昭和62年)12月 - 薬学部を設置(理工学部薬学科を移行・昇格)。

平成(1989年以降)[編集]


1989年平成元年)10月 - 天皇皇后臨席のもと創立100周年記念式典を挙行[40]
1991年(平成3年)4月 - 医学部付属練馬光が丘病院を開設。
1994年(平成6年)10月 - 総合学術情報センターを設置。
1995年(平成7年)12月 - 農獣医学部を生物資源科学部と改称。
1996年(平成8年)4月 - 理工学部習志野校舎を船橋校舎と名称変更。
1998年(平成10年)
6月 ケンブリッジ大学(イギリス)ペンブルック・カレッジ共同学寮落成[41]
11月 NUBIC(国際産業技術・ビジネス育成センター)[42]を開設。
1999年(平成11年)4月 - 所沢キャンパスに総合学術情報センターおよび大学院総合社会情報研究科(通信制大学院)、日本大学会館内に大学院グローバル・ビジネス研究科 (NBS)(ビジネススクール)を設置。
2004年(平成16年)4月 - 大学院法務研究科(法科大学院)設置。通信教育部校舎内に総合生涯学習センターを開設(三崎町キャンパス3号館内)。
2005年(平成17年)4月 - 大学院総合科学研究科(総合研究大学院)設置。
2006年(平成18年)4月 - 薬学教育6年制移行により、薬学部薬学科を6年制に移行[43]
2007年(平成19年)6月 - 日本大学のロゴマーク「Nドット」制定[44]
2009年(平成21年)1月 - 入試情報等のサービス提供拠点として、日本大学インフォメーションプラザ(NUIP)を、日本大学会館の隣接地(市ヶ谷キャンパス)に開設(2012年12月27日閉館)[45]
2010年(平成22年)4月 - 大学院新聞学研究科・知的財産研究科(独立研究科)を設置。
2011年(平成23年)
3月 東日本大震災の避難場所として一時的にお茶の水キャンパスを開放。卒業式修了式中止。
4月 震災の影響により入学式中止。
10月 Googleと契約し、NU-AppsGという日本大学のクラウドを作る。
11月 大学院グローバル・ビジネス研究科の学生募集停止を発表。
2013年(平成25年)4月 - 総長制を廃止し学長制へと移行。
2014年(平成26年)
9月 通信教育部および総合生涯学習センターが三崎町キャンパスから日本大学会館の隣接地(市ヶ谷キャンパス、日本大学インフォメーションプラザ跡地)に新築移転[46]
10月 駿河台日本大学病院を「日本大学病院」と名称を改めて神田駿河台に新築移転[47]
2016年(平成28年)4月 - 危機管理学部スポーツ科学部[48]を世田谷区三軒茶屋に開設。
2017年(平成29年)4月 - 大学院知的財産研究科の学生募集停止。
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出典:Wikipedia
2019/03/18 10:30
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