日本航空123便墜落事故
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5.捜索・救難活動
5.3.早朝からの事故機確認と救難活動
8月12日18時28分の墜落直後には米軍の輸送機・救難ヘリ、航空自衛隊の戦闘機・救難ヘリが墜落位置を確認していたが、夜間の救助は行われなかった。8月13日の早朝午前4時30分すぎになって航空自衛隊救難隊による墜落機体の再確認が行われ、続く5時10分の陸上自衛隊ヘリによる機体確認、5時37分の長野県警ヘリによる墜落現場の確認と、各自衛隊や警察のヘリによって、次々と墜落現場の状況が確認された[39]。群馬県上野村の黒沢丈夫村長(当時)は、テレビ報道の映像を見て、現場が村内の「スゲノ沢」であると判断し、土地鑑のある消防団員に捜索隊の道案内をするよう要請した[46]。現場までは熊笹の生い茂る、傾斜角30度の急斜面で、約2kmの道のりに1時間30分もかかる難路だった。

墜落からおよそ14時間後の8月13日午前8時半、長野県警機動隊員2名がヘリコプターから現場付近にラペリング降下、地上からは午前9時に陸上自衛隊第13普通科連隊が現地に到着するとともに第1空挺団(指揮官:岡部俊哉(第35代陸上幕僚長))員が現場に降下して救難活動を開始[39]。陸路からは、上野村消防団、群馬県警機動隊、警視庁機動隊、陸上自衛隊、多野藤岡広域消防本部藤岡消防署の救助隊が現場に到着し、ようやく本格的な救難活動が開始された。

生存者の救出[編集]


8月13日午前11時ごろ、上野村消防団が「スゲノ沢」で尾根を滑り落ちた機体後部の残骸を発見。その中に4名の生存者がいた。4人とも重傷を負っており、上野村消防団や長野県警機動隊は、ヘリで引き上げが可能な尾根まで急ごしらえの担架で生存者を引き上げた。陸上自衛隊のヘリコプターが上野村臨時ヘリポートまで搬送、4人のうち2人は東京消防庁のヘリに移し換えられて群馬県藤岡市内の病院に運ばれた[39][47]。事故調査報告書によれば、4名の生存者以外は即死もしくは、それに近い状況だった[48]

一方、救出された当時12歳の生存者は「墜落した直後は周囲から『がんばれ』という励ましや『早く助けに来ないのか』などという話し声が聴こえていたが、次第に静かになっていった」と語っている。そのため、救出が早ければ、さらに多くの人命が救えたのではないかという意見もある[35]

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八ヶ岳横岳より見た秩父山地と墜落地点
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出典:Wikipedia
2019/10/22 19:31
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