日本サッカー協会
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2.設立までの経緯
1918年(大正7年)、日本にはまだサッカー(当時は「蹴球」=しゅうきゅう=と表記)を統括する組織はなく、日本一を決める全国大会も一度も実施されてはいなかった。この年の1月に大阪の豊中で行われた日本フートボール優勝大会(関西地区のみの大会。のちの全国高等学校サッカー選手権大会の前身にあたる)、同年2月に関東地区で「関東蹴球大會」、名古屋では旧制高等学校などが参加した「東海蹴球大會」が別々に開催され、1918年以降にも引き続いて開かれた。東京で行われた「関東蹴球大會」にはチャールズ・エリオットイギリス帝国(のちのイギリス)大使も列席し、その模様を本国に伝えた[25]。これら1918年に行われた一連の旧制中学師範学校および旧制高等学校を中心とした別々の地域大会の開催の模様をイギリス帝国の新聞が「日本にサッカー協会が発足し、全日本選手権大会が始まった(別々の地域大会を全国大会予選だと勘違いした)」と誤って報道した[26]

1919年、チャールズ・エリオット大使の報告に加え、その新聞記事を見たイングランドサッカー協会(以下FA)は、イギリス帝国大使館のウィリアム・ヘーグ(William Haigh)書記官[27] が日本の全国大会優勝チームに授与するためのFA杯の寄贈を提案したこともあり、「日本蹴球協會の設立を祝して銀杯を寄贈します。全國大會の優勝チームに授與して下さい」といったメッセージを添えて、イギリス帝国大使館を通じて日本に純銀のシルバーカップ(以下銀杯と略すことあり)を寄贈することを決め、1919年1月にロンドンから船便で日本に向け送った(当時は船便が一般的であった。旅客機が欧州から日本まで乗り入れるのは1952年から、大衆化されたのは1960年代からである)。3か月かけて、シルバーカップはイギリス帝国大使館に届けられた[28]。FAは当時、オーストラリアニュージーランド南アフリカなどイギリス帝国各地の協会に、ほぼ同じデザインの銀杯を贈っている[26]1902年(明治35年)日英同盟を結んで以来、東アジアおよび太平洋地域の覇権をめぐり、日本は当時、イギリス帝国にとって重要な同盟国だった。つまり、銀杯の寄贈には、当時の日本がイギリス帝国に重視されていた、あるいはイギリス帝国加盟国に準ずるものとみなされていたことが背景としてある。

FAが日本に銀杯を寄贈したという3月12日付けの東京朝日新聞の記事を、東京高等師範学校(のちの東京教育大学筑波大学)の校友会蹴球部長を務めていた内野台嶺が読み、そのカップの行き先を思案することとなる。

しかし、なかなか良案が浮かばず、東京高等師範学校の校長で当時、大日本體育協會の会長も兼務していた戦前の日本スポーツ界の重鎮嘉納治五郎を訪ねた。そして「この際、急いで設立せよ」と、内野は嘉納から厳命を受ける。内野はその後、イギリス大使館のウィリアム・ヘーグ書記官(そのまま大日本蹴球協會初代賛助会員となった)[27] と体育協会の各理事の協力を仰ぎ、規約・規則の作成と役員人事を進め、1921年9月10日に大日本蹴球協會を創立。初代協会会長に嘉納治五郎の信任が厚く、大日本體育協會の筆頭理事を務めていた今村次吉が就任した。組織運営、競技規則の翻訳や指導書の作成などは、後に1964年東京オリンピックの準備委員長を務めた新田純興が行った。

シルバーカップは、嘉納治五郎が1919年3月28日に直接イギリス大使館に出向いてグリーン駐日大使から受け取りを済ませていたが、しばらくは大日本體育協會に預けられており、大日本蹴球協會設立後、シルバーカップを正式に受け取ることとなった[29]。シルバーカップは、協會設立(1921年9月10日)後、始まった全日本選手権(後の天皇杯)の優勝チームに授与されるようになった[30]

なお、この大日本蹴球協會設立のきっかけとなったシルバーカップは現存していない。太平洋戦争の戦況が悪化すると、日本政府は戦争遂行のために、広く国民に鉄や銅、貴金属などの拠出を求めるようになった。これよりさかのぼること1942年4月に戦時体制強化の為に大日本體育協會が財団法人大日本体育会に再編成され、大日本蹴球協會は他競技団体と共にその部会となり(大日本蹴球協會は蹴球部会となった)、一時消滅していた。1945年(昭和20年)1月、大日本体育会は、政府が進めている銀回収に協力することを決め(銀器献納)、体育会および各部会で保有している賞杯などを政府に供出した[31]。その際に、シルバーカップは姿を消したといわれているが、真相は不明である(銀器献納からわずか7か月後に、日本が終戦。その後、内務省関係の役所でシルバーカップを見かけたとする話もある)[26]

2011年3月、小倉純二JFA会長(当時)が、FAのバーンスタインFA会長(当時)と会談し、「FA贈呈のシルバーカップで、JFAが誕生した。しかし、そのカップは戦時中に失われた。許可してもらえるなら、カップの複製をつくり、若い世代に戦争はいけないことを伝えていきたい」と話した。この話に感銘を受けたバーンスタインFA会長(当時)は「新しいカップをFAがつくり、もう一度寄贈します」と答えた[30]。こうして、2011年8月にFAの手で復元され、改めて日本サッカー協会に贈呈される運びとなり[32]、同年8月23日にイングランド・ウェンブリー・スタジアムにて贈呈式が行われ[33]、バーンスタインFA会長(当時)から小倉JFA会長(当時)に手渡された[30]

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出典:Wikipedia
2019/11/02 22:30
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