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日本の新左翼
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3.歴史
3.4.その後
学生自治の伝統のある大学では、1990年代半ばまで新左翼が一定の影響力を残したが、近年では大学側が攻勢に出て排除される場合が多い。「自治会」側が大学側の攻勢にほとんど対抗しえていないのは、「内ゲバ」をこととする新左翼諸党派による大学の暴力支配(他党派の活動家やノンセクト活動家などを暴力的に排除することが日常的に行われていた)や新左翼自身のテロや殺人を行ってきた「負の歴史」によって、一般学生の支持を失っていることが最大の原因と思われる。

1990年代に入り、ソ連などの「社会主義国家」群崩壊によって、その内部事情が明らかになるにつれ、組織・運動から離れていった者も少なくない。21世紀に入ってからは高齢化という問題も浮上した。新左翼諸派はさらなる孤立化を防ぎ、若手の獲得のため非合法活動を控え、ソフトな合法活動に力を入れているのが最近のすう勢である。若手獲得・組織拡大の具体的方法には、セクト色を隠し労働組合市民運動を通しての組織拡大、地方議会への進出、青年組織を再建しその拡大に重点を置くといった方法がある。中核派が、同派と関係のある「つくる会の教科書採択に反対する杉並親の会」を通して、2005年に反対運動を繰り広げたことや、2004年に開催された「11.7全国労働者総決起集会」で、過去最高の約2,350人を動員した(平成17年 警察白書より)ことなどはその代表例と言える。また、革マル派はセクト色を隠し、同派系の団体を通しての反戦運動・反基地運動に取り組んだり、同派と関係のない他団体が主催する集会に参加したりしている。現在、主だった日本の新左翼党派は直接自党に加入させるよりも、まずは関連の深い下部組織に入会させるという路線を採っていることが多い。中核派には「NAZEN」、共産主義者同盟 (統一委員会)には「アジア共同行動・日本連絡会議」、日本革命的共産主義者同盟 (JRCL)には「アジア連帯講座」といった組織がある。これらの組織は党本体とは異なり、年会費を収めるだけで入会できるパターンが多く、入会しやすくなっている。

地方議員を抱えている党派は中核派、日本労働党緑の党 (日本 1981)市民の党(旧「MPD・平和と民主運動」「大衆党」「平和:市民」)、日本共産党(左派)(「人民の星」派)、旧共産主義労働者党など。社青同解放派や旧社会主義労働者党、旧マルクス主義青年同盟なども国政選挙や知事選挙に出馬したが、当選者を出すには至らなかった。現在では新左翼各派は独自の候補者を出馬させることは少なく、社民党などの既成左翼の候補者を支援することが多い(ただし、日本共産党を支持することは滅多にない)。

なお、新左翼が使用する基本的外国語は、ドイツ語だった。例、パルタイ、ブント、ケルン、ゲヴァルトetc。これはマルクスとエンゲルスがドイツ語を使用し、またマルクスと関係の深い哲学がヘーゲルをはじめ、ドイツ観念論ヘーゲル左派などドイツ系の哲学であり、原書がドイツ語だったことによる。英語の使用頻度が高くなるのは、日本赤軍などが国際テロ組織化してからである。新左翼における文法語学から、実用語学への転換ともいわれる。

新左翼からの転向[編集]


左翼から右翼転向する者は古今東西に存在するが、日本の新左翼にも共産主義を放棄して、新保守派へ転向する者が存在する(マルクス主義青年同盟民主統一同盟など。著名人では猪瀬直樹テリー伊藤山内昌之など)。見沢知廉戦旗派に加盟していたが、離脱して新右翼一水会統一戦線義勇軍に加入。後に作家としてデビューした。

また「行動する保守」の提唱者である西村修平毛沢東の支持者であった。西村は左派の行動的手法を「行動する保守活動」に持ち込んだとされる。

新左翼運動から環境主義運動へ軸足を移す者も多い、いわゆる赤から緑へと言う傾向である。共産主義者同盟(ブント)の戦旗日向派は市民団体ブントへと改称し、共産主義を放棄し環境保護NGOを名乗っている。共労党プロレタリア革命派は、自治・連帯・エコロジーをめざす政治グループ・蒼生と名称変更後、緑の党結党の中心的役割を果たした。消費者運動を経て、東京・生活者ネットワークなど中道主義的党派を結成し議会に進出している潮流もある。

また、一部はヒッピー運動やポストモダン思想、ニューエイジ思想、スローライフ運動などの影響を受け、自己啓発セミナーオカルトスピリチュアリズム界にも進出した。このことがヤマギシ会オウム真理教などを台頭させる土壌作りを果たすことにもなったと見る向きもある(詳細については日本原住民論反日亡国論を参照)。ちなみに、過去に中核派、第四インターと二つのセクトを渡り歩き、現在は政治評論などを行っている新左翼活動家である村岡到は、ヤマギシ会を称賛する書籍を書いている[5]。また、ジャーナリストの斉藤貴男によると、1970年前後には、革命運動に傾倒し、挫折した全共闘の学生が「最後のユートピア」を求め、ヤマギシ会に大量に流入したという[6]

2000年代以降[編集]


2000年代の半ばに旧第四インター日本支部(JRCL)が「新たな左翼勢力の結集」を呼びかけた[7]。従来、日本の左翼(新左翼も共産党も)には「セクト主義」がはびこっていると言われていた。このJRCLの声明からおよそ10年を経た2014年には共産主義者同盟 (統一委員会)(ブント)が「新たな時代を切り拓く左派勢力の結集を」と題し、新左翼内部でかつて行われてきた「内ゲバ」を批判的に総括。「共産主義勢力のみならず、社民勢力やアナーキズムをも含めて反資本主義反帝国主義運動総体」による左派勢力結集を呼び掛けた[8]。左翼運動再生のための模索が続いている。しかし、自党派以外を全否定する新左翼セクトの存在や、かねてから新左翼勢力を「ニセ左翼」とし、否定している日本共産党の存在など、左翼党派間の深い溝を埋めるには現状では課題も多い。また、新左翼の団体においては日常的な警察による監視のみならず、合法的なデモ行進などの際にも、完全装備の機動隊や警察関係者が大勢隊列を取り囲んでおり、暴力行為の発生や煽動行為に対して厳しい予防線が張られている。これらの理由から、社会情勢の悪化をテコにした勢力拡大は難しくなってきている。

2010年代中盤以降の議会内野党勢力の共闘や、新しい形態の政治運動の高まりの中では、自党派を優先・誇示する立場、あるいは相乗りする立場など、様々ある。また、新左翼に限らず左派全般の、活動家の高齢化が顕著になっている。少子化で若者の絶対数が今後も急速に減少してゆくことが確定的な社会情勢の中では、革命の成功以前に、若手獲得は組織の死活問題である。一方で、組織に一切所属せず、利用もしない21世紀型のボトムアップな左翼運動についての模索や啓蒙活動なども続いている。

現在の新左翼はワーキングプア問題、反グローバル化基地問題脱原発反戦運動などの主張を掲げているが、自党派色を強く出すことは少ない。もっぱら関連する市民団体と連携して活動を継続している。

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出典:Wikipedia
2020/01/09 22:33
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