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日本のバス
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2.歴史
2.1.黎明期
1902年(明治35年)の大阪毎日新聞読売新聞1903年(明治36年)の新愛知岐阜日日新聞の記事などから、高知県高知市中新町(現在の高知市桜井町)の今政猪熊が、1902年(明治35年)3月までに大阪で製造した石油発動機車(特許第4043号「石油機関車」明治33.4.5、天川佐兵衛のを用いたものと推察)を使って、1902年(明治35年)3月頃から1903年(明治36年)7月頃まで高知伊野間で乗合自動車営業運行したと推察され、車両定員などの詳細は不明ながら、これが日本で最初のバス事業であった可能性もある[1]

1903年(明治36年)3月、大阪で開かれた内国勧業博覧会への旅客輸送のために、梅田と天王寺を結ぶ臨時バス路線が開設された。

同年9月20日、二井商会が京都市内でのバス営業運転を始めようと試みたが初日から営業中止勧告を受け、11月21日に正式に営業を開始した[2][3]。日本バス協会は日本における最初のバス事業をこの二井商会の例としており、同社の試運転の日である9月20日をバスの日1987年(昭和62年)に定めた。ただし、使用車両は6人乗りであったため、車両的にバスと言えるのか判断が分かれる[4]

1905年(明治38年)2月[5]、広島の横川から可部の間に12人乗りのバス(写真)が運行された[6]。これを日本で最初のバスの運行とする説もある[7][8]。しかし、車両の故障などの頻発、費用の不足(部品の調達のため銀貨を溶かした事もあった)もあったため、9月で営業を終了した。

初期のバス事業では様々な問題が生じた。上記の京都市で営業していた業者は、人力車組合や同市内で軌道を運営していた事業者の反発にあい、執拗な妨害工作を受けた結果、廃業せざるを得なくなってしまう。このような既存の旅客事業者との間の軋轢は各地で見られた。また、当時は道路の舗装が進んでいなかったため、バスがスペック通りの能力を発揮することが出来ず、表定速度がなかなか改善されない状況があった。しかし、車両が1台あれば運行できるという利点を持っていたため、会社の体を成していない零細な事業者や個人によるバス事業への参入は相次いでいった。

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出典:Wikipedia
2019/09/22 17:01
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2020/03/29 更新
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