サービス終了のお知らせ
二所ノ関一門
▼人気記事ランキング
概要
二所ノ関一門(にしょのせきいちもん)は大相撲の一門のひとつ。

歴史[編集]

長い大相撲の歴史の中でも新興勢力で、1960年代から勢力が急激に拡大していった一門である。二枚鑑札で6代二所ノ関を襲名した32代横綱・玉錦二所ノ関部屋を再興し、二所ノ関一門を旗揚げしたが、玉錦は35歳の若さで現役中に死去する。その後を二枚鑑札で継承した7代二所ノ関こと関脇・玉ノ海や8代二所ノ関こと大関・佐賀ノ花が積極的に分家独立を推奨したこともあり、部屋の数は一番多く、ほぼすべての世代において横綱・大関を輩出している。

一門は大別すると二系統に分かれ、部屋の立地から東京東部の両国系と西部の阿佐ヶ谷系と呼び区別されている。2018年に時津風一門を離脱した後、無所属を経て参加した錣山部屋湊部屋に関しては、この両系統に属さない。

両国系[編集]

両国系は本家の二所ノ関部屋の流れであるが、分家独立や本家の後継などを巡って対立が相次いだ。(片男波部屋押尾川部屋阿武松部屋など)

二所ノ関本家は10代二所ノ関(元関脇・金剛)の病気療養を理由に2013年に閉鎖、二所ノ関の名跡は阿佐ヶ谷系に移った。

両国系からは、「昭和の大横綱」48代・大鵬(二所ノ関部屋)、51代・玉の海(片男波部屋)、53代・琴櫻佐渡ヶ嶽部屋)が横綱に昇っている。

阿佐ヶ谷系[編集]

阿佐ヶ谷系は、1952年に二所ノ関部屋から最初に独立した8代芝田山(元幕内・大ノ海)を源流とする。昭和20年3月10日の東京大空襲で両国の建物が消失した二所ノ関部屋は、昭和25年まで杉並区真盛寺に間借りしていた[1]。また、大ノ海はアマチュア相撲の名門である日本大学相撲部員に稽古を付けたことがあり、その縁で杉並区阿佐ヶ谷の日本大学相撲部練習所の一部を間借りし、現役時代に自己の相撲道場を持った[2]

8代芝田山は独立直後に11代花籠を名乗り、日大相撲部練習所の隣接地に花籠部屋を創設した。親方の花籠は食料調達など部屋の経営に精力を注ぎ、稽古場は一番弟子だった「土俵の鬼初代若乃花が「二所の荒稽古」で指導した[3]。昭和30年秋場所に大関に昇進した若乃花は、昭和31年夏場所に初めて阿佐ヶ谷に優勝をもたらす。両国を離れて山の手に優勝旗が運ばれたのは初めてのことで、青梅街道には数十万人が祝賀に集まったことで都電はストップ、 若乃花を乗せたオープンカーは、新宿西口から阿佐ヶ谷の花籠部屋まで3時間かかるほどの大騒ぎとなる現象を起こす[4][5]。若乃花は昭和33年初場所後に第45代横綱に昇進して花籠部屋の繁栄の礎を築き、系統の中軸となった。このため、後に花籠部屋から分家独立した二子山部屋放駒部屋は阿佐ヶ谷に部屋を置いた。1974年4月には一時「花籠一門」として独立した。

この背景には、花籠部屋創設時に、当時一門別の巡業だったにも関わらず、本家二所ノ関部屋が花籠部屋を巡業組合に入れなかったため花籠部屋が経済的に苦境に陥ったことや、11代花籠が米国から帰国時に、当時の出羽海理事長がとりなして相撲界に復帰[6]、花籠が理事選出馬時には、出羽海一門の余り票を借りて当選した経緯から[7]、1968年の時津風理事長急死の際には、主流派出羽海一門の総帥である武蔵川理事を後任理事長に推薦して主流派入りした経緯がある[8]。1974年の理事長選で、本家二所ノ関伊勢ケ浜を反出羽海一門候補として擁立しようとしていたが、理事だった11代花籠と花籠の弟子である10代二子山は二所ノ関と袂を分かって、出羽海一門の春日野理事長誕生を支持した結果、11代花籠は事業部長に就任した[9][10]

花籠部屋は、後を継いだ12代花籠(元横綱・輪島)の不祥事で1985年に閉鎖され、花籠から分家独立した元大関魁傑率いる放駒部屋に吸収された。それに伴い花籠一門は事実上消滅してニ所ノ関一門に復帰合流する形となった[11]。以降は10代二子山(元横綱・初代若乃花)が昭和37年に花籠部屋から分家独立して同じ阿佐ヶ谷に創設した二子山部屋が中心となる。二子山部屋は横綱・大関を長年にわたって輩出し続け、その力士たちの多くが独立、合計で6部屋に達した。

1970年代から80年代にかけて輪島、初代貴ノ花、魁傑の「阿佐ヶ谷トリオ」をはじめとして横綱・大関を含む多くの関取を輩出した花籠部屋、二子山部屋の全盛時代は「阿佐ヶ谷勢」と呼ばれた一大勢力であった[12][13]

この阿佐ヶ谷系からは、8人の横綱(45代・初代若乃花、54代・輪島、56代・2代若乃花、59代・隆の里、62代・大乃国、65代・貴乃花、66代・3代若乃花、72代・稀勢の里)と、5人の大関(初代貴ノ花、魁傑、若嶋津貴ノ浪高安)が輩出されている。二子山部屋は初代若乃花停年後に初代貴ノ花が分家独立していた藤島部屋と合流して中野新橋へ移転し、放駒部屋は魁傑停年後に大乃国が高井戸に分家独立していた芝田山部屋へ合流したことで、現在阿佐ヶ谷から相撲部屋は消滅している。

日本相撲協会の歴代理事長の多くは、出羽海一門出身者によって占められているが、阿佐ヶ谷系からは、二子山(初代若乃花)と放駒(魁傑)が日本相撲協会理事長に就任している。

一門の現在[編集]

独立奨励によって一門の勢力は拡大したものの、他の一門と較べて結束力は弱い一門であった。2010年には、貴乃花が協会改革のために一門の反対を押し切って理事選に出馬し、貴乃花部屋(二子山部屋の後継)以下4部屋が破門され離脱した[14]。この危機的状況において、一門の宗家を再興させた二子山部屋出身の12代二所ノ関を中心に、二所ノ関一門連合稽古を実施し、一門の活力を取り戻そうと試みている。2018年5月現在、二所ノ関一門は東京だけでなく地方場所でも一門の連合稽古を実施している唯一の一門である[15]

二所ノ関一門からの選出理事は従来は3人であったが、貴乃花とその支持者が一門を離脱した2010年理事選挙からは2人に減り、2018年理事候補選挙では8代尾車(元大関・琴風)と14代芝田山(元横綱・大乃国)が選出されたが、2018年9月に旧貴乃花一門から12代阿武松(元関脇・益荒雄)が加入したため再び選出理事が3人になった。副理事には2018年から15代花籠(元関脇・太寿山)が選出されている。年寄会では13代湊川(元小結・大徹)が副会長を務めている。

2017年1月12日、朝日山親方が二所ノ関一門会で伊勢ヶ濱一門への移籍を表明して了承され、朝日山部屋は二所ノ関一門から伊勢ヶ濱一門へと移った[16]

2018年9月、旧貴乃花一門の解散に伴い、一度は二所ノ関一門より破門していた大嶽部屋阿武松部屋出羽海一門から旧貴乃花一門へ加入していた千賀ノ浦部屋、さらに時津風一門から脱退後無所属で旧貴乃花一門と近い関係だった錣山部屋湊部屋の加入を承認、11月には相撲協会からも正式に承認された。

系譜[編集]

 

脚注[編集]


出典:Wikipedia
2020/03/29 16:02
ソ人気記事ランキング
2020/03/29 更新
 1位成宮いろは
 2位増岡弘
 3位大学の略称
 4位ジャーマンウイングス9525便墜落事故
 5位玉木玲
▲上に戻る
[9]Wikipediaトップ
[0]gooトップ
免責事項
(C)NTT Resonant