二つの中国
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1.背景
1912年、愛新覚羅溥儀辛亥革命により皇帝の座を追われ、南京孫文を中心とした革命側が中華民国を建国する。同時期に、北洋軍閥総帥の袁世凱率いる北京政府が成立した。

1912年から1949年まで、中国では軍閥による闘争、日中戦争国共内戦が起こった。この動乱の時代にはさまざまな短命政権が立て続けに成立した。袁世凱北京政府(1912年 - 1928年)、中国共産党により設立された中華ソビエト共和国(1931年 - 1937年) 、中華共和国(1933年 - 1934年)、満洲国(1932年 - 1945年)、汪兆銘政権 (1940年 - 1945年)などである。

国共内戦の結果、1949年毛沢東率いる中国共産党中国大陸を掌握し、中華人民共和国10月1日に成立させる。蒋介石率いる中華民国政府は同年中国大陸を離れ台湾を拠点とするようになる。

戦いはその後も数年続いたが、朝鮮戦争開始時には支配圏がくっきりと分かれるようになった。北京の中国共産党率いる中華人民共和国政府が中国大陸を勢力下に収めた一方で、中国国民党率いる中華民国政府は台湾福州沿岸の島嶼を勢力下に残した。

建国後初期の中華人民共和国政府を正式な政府として承認した国は、東側諸国非同盟諸国のほか、西側諸国ではイギリス(1950年)に限られた。西側諸国を含む多くの国々は、それまでの歴史的背景から中華民国と国交があり、1970年代以前は中華民国国際連合を含む多くの国家に中国大陸と台湾を含む「中国」の正統かつ唯一の後継政府であると認識していた。

国際連合においても中華民国は設立当初の加盟国であり、1971年まで安全保障理事会の五つの常任理事国の一つでもあった。しかし、1971年、国際連合総会国際連合総会決議2758(アルバニア決議)を採択し、蒋介石率いる中華民国の代表を中国の代表とみなすことをやめ、国際連合から追放した。この後、アメリカ合衆国を含むほとんどの国家が中華人民共和国を国家として承認した。中華民国はその後も中華人民共和国と中国の正統政府の座をめぐって対立していた。

しかし1990年以降、台湾独立運動の高まりにより、中国の正統政府をめぐる議論に代わり、台湾の政治的地位が主要な問題となった。台湾には、中華民国と中華人民共和国はどちらも主権国家であり、「一つの中国と一つの台湾」を形作っているという見解がある。中華民国総統を務めた陳水扁はこれを支持し、中国唯一の正統政府として中華民国の承認を得ようとする活動を中止した。陳水扁政権下において中華民国政府は、台湾国家として国際連合に加盟することを目指した。しかし馬英九が次の総統に就くとこういった動きを取りやめた。

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出典:Wikipedia
2019/09/27 00:32
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