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3.被害
3.11.地域別の被害状況
2011年7月14日15時 (JST) 現在、死者・行方不明者数の合計が100人以上の自治体は、岩手県、宮城県、福島県の22市町村に上っている[149]

青森県[編集]


岩手県[編集]


岩手県の被害は津波によるものが中心であった。
岩手県沿岸は、海岸線近くまで山地が迫り、平地が狭いという地形のため、浸水面積は58km2と3県では最も小さかった。しかし、その狭い平地に漁港と市街地が広がっていたため、浸水域の人口は約11万人であり、浸水域の人口密度は1,900人/km2と3県で最も大きかった。
県中南部は津波高が増すリアス式海岸のため、津波常襲地域であり、津波への対策(防波堤防潮堤)の規模は日本随一であった。過去の津波の伝承や石碑が至る所に残り、住民の防災意識も高く、多くの人々が避難行動を取ったが、想定を大きく上回る規模の津波が押し寄せたため、甚大な被害を受けた。
陸前高田市では、市民会館や市民体育館などの指定避難所の多くがほぼ天井まで水没して避難者の大半が死亡し、市街地全域が壊滅的被害を受けた。高田病院で4階まで浸水し27人が亡くなるなど、1,800人弱の犠牲者を出した。市職員も1?3弱に当たる113人が犠牲になり、浸水域人口に対する犠牲者率は、宮城県女川町に次いで高く、大槌町と同率の11.72%であった。
大槌町では、役場で災害対策本部の準備をしていた職員60人中、当時の町長である加藤宏暉[150] を含め30人以上が亡くなるなど、1,300人弱が犠牲になった。また、火災も発生した。浸水域人口に対する犠牲者率は、宮城県女川町に次いで高く、陸前高田市と同率の11.72%であった。
釜石市では、本来は災害後の避難生活を主とした施設であった鵜住居地区防災センターで津波避難の訓練も行われていたため(最大の可能性として)244人が避難して210人の死者が発生するなど、約1,050人が犠牲となった。元新日鉄釜石ラグビー部の選手で、釜石ラグビー協会会長だった佐野正文[151]や、マスターズ陸上で世界記録を持っていた104歳の下川原孝[152] も犠牲となった。また、ギネス世界記録にも認定されていた世界最深の釜石港湾口防波堤が破壊された[153]。鵜住居地区は、市内の犠牲者の半分以上を占める悲劇の一方で、「釜石の奇跡」と呼ばれる津波教育の成功例もあった。市立釜石東中学校では、地震発生直後に生徒達が自己判断で避難先に各自走り出し、それを見た隣接の鵜住居小の児童も続いた。第一避難先の介護施設に到着して整列点呼で全員の無事を確認したが、想定にとらわれない教育の下、中学生が小学生の手を引いてさらに高台へ走り出し、それを見た地域住民も後に続いた。学校は10mを超える高さの津波に襲われ、第一避難先の介護施設も1階が水没したが、当日登校した生徒児童約600人全員が無事であった。また、生徒達がさらに上へと避難していく姿を見た介護施設側は、1階の入所者を3階へ移動させていたため、犠牲者が出なかった。
山田町では、介護老人保健施設「シーサイドかろ」で入所者74人と職員14人が亡くなるなど、750人以上が犠牲となった。また、津波に加えて大火も発生した。
宮古市の田老地区は、総延長2433mのX字型、海抜10mの巨大な防潮堤が城壁のように地区を取り囲んでおり、住民は万里の長城と呼び、「津波防災の町」を宣言するほどであったが、それを破壊、越流した津波により地区全体で185人が亡くなるなど、500人以上が犠牲となった。
大船渡市では、特別養護老人ホーム「さんりくの園」で62人が亡くなるなどし、延べ400人以上が犠牲となった。
この他に、野田村田野畑村でも甚大な被害を受けた。

宮城県[編集]


宮城県は、震源地に最も近く、福島県や茨城県と共に激震であった。津波の被害としては、浸水面積327km2と浸水域の人口約33万人はともに3県最大だったため、宮城県のみで阪神・淡路大震災を上回る犠牲者を出した。
県北部は岩手県中南部沿岸と同様に津波高の増すリアス式海岸のため、津波常襲地域であり、津波への対策(防波堤や防潮堤)が成されていた。過去の津波の伝承や石碑が至る所に残り、住民の防災意識も高く、多くの人々が避難行動を取ったが、想定を大きく上回る規模の津波が押し寄せたため、甚大な被害を受けた。
県中南部は単調な海岸線であったが、水深の浅い仙台湾で津波の速度が落ち、後の津波が追い付いて津波高が増した。速度が落ちたため、襲来まで1時間あったが、北部に比べて中南部は過去の津波が数百年前であり、住民の意識が低い中で想像だにしない津波に襲われた。平野が広がっていたため数キロ内陸まで浸水し、甚大な被害を受けた。
気仙沼市では、介護老人保健施設「リバーサイド春圃」で59人が、杉の下地区の住民が避難した海抜12mの高台で93人が亡くなるなど、犠牲者は1,350人以上に及んだ。また、津波により漁船用燃料タンクが倒壊して広範囲に重油が流出して出火、大火災が発生し夜通し燃え続けた。火が付いた大量のがれきが気仙沼湾内を漂い、東北最大の有人島である大島にも燃え移り、島民達が総出で延焼を食い止めた。
南三陸町では、3階建ての防災対策庁舎の屋上まで水没するなど町職員42人が、5階建ての公立志津川病院も4階天井付近まで水没し、入院患者107人中72人と職員3人が死亡。また、海抜15mの高台にあった特別養護老人ホーム「慈恵園」も1階が水没して49人が亡くなるなど、850人以上が犠牲となった。
女川町は震源に最も近いリアス式海岸の町の一つであり、猛烈な津波が町を襲い、中心部は海抜20mの高さまでほぼ水没し、強い引き波により鉄筋の建物の倒壊も目立った。指定避難所であった町立女川病院(女川町地域医療センター)は、海抜16mの高台にあったにもかかわらず、1階が完全に水没した。七十七銀行女川支店では屋上に避難していた行員13人が流され12人が亡くなるなど、犠牲者は約900人であり、浸水域人口に対する犠牲者率は当震災において最大の11.97%であった。一方で5階建ての生涯学習センターでは、屋根付近まで水没したにもかかわらず、鉄扉で密閉され窓もなかったボイラー室に避難した30人弱が無事であった。
石巻市は、本震災最多の3,700人以上の犠牲者を出している。
市内北東部、リアス式海岸に当たる旧雄勝町、旧北上町、旧河北町の沿岸はほぼ完全に壊滅した。3階建ての雄勝病院は完全に水没し、入院患者と職員の65人が流されて生存者は3人、北上川の河口北側にあった石巻市北上総合支所では職員と避難者合わせて57人のうち生存者は3人だけだった。津波はその北上川を氾濫させながら猛烈な勢いで遡上し、5km上流に位置する石巻市立大川小学校(旧河北町立)では徒歩で避難していた児童78人と職員11人が流され、助かったのは児童4人と職員1人のみであった[154][155]
市内南部が旧石巻市であり、岩手・宮城・福島では最大規模約12万人の市街地が海に面して広がっていた。このため犠牲者数も多く、また市内各地で身動きの取れない渋滞が発生し、そのまま津波に飲まれて犠牲になる者も非常に多かった。前市長であった土井喜美夫[156] も犠牲となった。
東松島市では市域の36%が浸水した。野蒜地区は、東側の仙台湾(石巻湾)から押し寄せた津波が内陸2キロ弱を横断し、西側の松島湾に流れ込んだ、野蒜小学校の体育館で13人が、特別養護老人ホーム「不老園」の入所者56人が亡くなるなど、野蒜地区や大曲地区が壊滅的被害を受け、約1,100人が犠牲となった。航空自衛隊松島基地も冠水し、多くの航空機が破損した。 その一方、野蒜地区では民間人の佐藤善文が自宅裏の岩山に10年かけて避難階段と避難小屋を作っていた。近所の住民は「津波なんてここまで来るわけがない」と佐藤を変わり者扱いし、この避難所を「佐藤山」と呼んでいたが、結果的に約70人が津波被害を免れた[157][158]
多賀城市は、仙台市のベッドタウンであり、大きな幹線道路2本に沿って郊外型の大型店が建ち並んでいた。海に面しているのは東部の砂押川河口のごく一部であり、市民ですら海の街という認識は薄く、幹線道路を通過する市外の者はさらに認識が薄かった。地震の混乱で道路が大渋滞しているところ、建物の間から突然津波が襲来した。犠牲者は2本の幹線道路の車内を中心に200人弱であり、その半数は市外に住む人であった。
仙台市は104.7万人(2011年3月1日推計人口[159] を擁する政令指定都市であったが、沿岸部の仙台平野の大部分が開発が制限される市街化調整区域であり、田園地帯が広がっていた[160] ため、人口密集地への浸水はほぼなかった。しかし、沿岸部にあった主な集落である若林区荒浜地区や宮城野区中野蒲生地区が壊滅し、また仙台港一帯の工業地域や商業地域を中心に、犠牲者数は800人以上となった。若林区では区域の60%が浸水し、田園地帯を3 - 4km内陸まで浸水する様子がNHKのヘリコプターからも撮影され、大きく報道された。荒浜にある仙台市消防ヘリポートも被害を受け、津波到達前に離陸した2機のヘリコプター以外の機材が使用不可能になる被害を受けたため、内陸部への移転が計画されている。
名取市では市域の27%が浸水した。中心市街地は内陸部にあったが、沿岸部にあった閖上地区が壊滅的被害を受けるなど、1,000人弱が犠牲となった。閖上大橋で、地震の揺れによる大型トラックの荷崩れが発生し、対向車線の乗用車運転手が死亡する事故が発生した事により通行止めとなり、地区内で渋滞が発生し、犠牲者を増やす要因ともなった。仙台空港の滑走路が冠水する様子は、国内外で大きく報道された。
岩沼市は市域の48%が浸水し200人弱が、亘理町でも町域の48%が浸水し300人弱が犠牲となった。仙台市や名取市同様に中心市街地は内陸部にあったが、沿岸部の集落が壊滅した。亘理町では元女子サッカー選手の佐藤恵利子[161] も犠牲となった。
山元町では町域の38%が浸水した。養護老人ホーム「梅香園」と併設するケアハウスで82人が犠牲に、常磐山元自動車学校の送迎バス5台が津波に飲まれ、教習生と教官の39人が犠牲になる[162] など700人弱が犠牲となった。
この他に、七ヶ浜町でも甚大な被害を受けた。
一方、松島町塩竈市は周辺の自治体と比較しても被害が軽微であった。これは浦戸諸島とその奥にある松島湾内の島嶼群が津波の威力を緩和、分散したためと推測される[163]。ただし、あくまでも周囲に比べれば軽微だったというだけであり、家屋の浸水や犠牲者が発生したことに変わりはない。

秋田県[編集]


秋田県の被害は、負傷者11名、建物の一部損壊3棟であった。東北六県で唯一死者がいない県となった。

山形県[編集]


山形県の被害は、死者2名、負傷者29名、建物の全壊が37棟、半壊が80棟であった。

福島県[編集]


福島県は、沖合の全域が震源域となり、宮城県や茨城県と共に激震であった。
津波の被害としては、浸水面積は112km2と岩手県を上回っている。しかし、福島県の沿岸部は湾や入り江がなく、遠浅の地形のために漁港に適さず、港を中心とした市街地形成が成り立ちにくい県であった(日本の漁港一覧によると、岩手県111か所と宮城県114か所に対して、福島県10か所)。沿岸市町村の中心市街地は、海岸線より数km内陸にあったため、浸水域人口は7万人弱、浸水域の人口密度は600人/km2と、ともに3県で最も少なく、犠牲者数も比例して少なく済んだといえる(ただし、浸水域の人口が宮城県の1?5で、犠牲者が1?6であるため、犠牲率で見るとほぼ同じである)。
福島県沿岸は、仙台市以南から千葉県まで続く遠浅で単調な海岸線であり、過去に津波の伝承すら皆無だったために、住民の意識が低い中で津波に襲われた。広大な震源域の中に存在した3か所の大きな断層破壊の1つが茨城県北部近海であり、県南部のいわき市に最も早く津波が到達して北上し、宮城県沖で発生して南下してきた津波の動きと複雑に交わったとみられる。福島第一原子力発電所付近(大熊町)で15m、隣接する富岡町付近で20mと、周囲に比べても地形に特段の違いがないにも関わらず極端に高い津波高を観測していることから、この付近では南北方向からの津波が増幅しあったと推測される。
漁港がある自治体で100人以上の犠牲者があり、相馬市で約450人、南相馬市で650人以上、いわき市で350人以上、浪江町で200人弱、新地町で100人以上が犠牲になるなど、甚大な被害を受けた。
この他に、双葉郡の双葉町大熊町富岡町楢葉町広野町の沿岸も大きな被害が出たが、沿岸集落がごく小規模かほとんどなかったため、それぞれ数十人の犠牲者であった。
双葉郡は漁港が未発達で産業に乏しかった過去から、積極的に東京電力の電力供給地となり、福島第一原子力発電所福島第二原子力発電所広野火力発電所と日本有数の電力供給源になっていた。そこを津波が襲来し、日本がかつて経験したことのない全電源喪失による福島第一原子力発電所事故の発生へとつながっていく。
大熊町では、双葉病院に入院中の認知症患者と、隣接する老人介護施設の高齢者のうち227人が一時取り残された。原子炉が水素爆発して20 - 30km圏内の住民10万人以上が各地の避難所へ避難する混乱の中、132人は医師・看護師を同乗させないまま観光用バスに乗せられ、13時間かけて200km移動した。残りの95人は5日後に自衛隊によって救助されたが、最終的に50人が衰弱死した。
このように、福島県では強制的な避難によって避難所を転々とする中で高齢者が犠牲になる事例が多く、震災関連死の認定者数も最も多い。
また、放射性物質の拡散は双葉郡に留まらず福島県の広範囲に広がった。12日20時には25キロ北の南相馬市で20μSV/h、15日4時には40キロ南のいわき市で24μSV/hの最大値を計測した。晴れていたため風と共に通り過ぎる一時的な上昇であり、時間と共に低減していった。放射性物質の放出は3月15日にピークを迎え、9時には正門付近で11,930μSv/hを計測した。15日午後には南東からの風に乗り、北西方面へと流れた。40km離れた飯舘村では16時に23μSV/hと急上昇し18時半には45μSV/h、伊達市を経由し、60km離れた福島市でも17時に22μSV/hと急上昇し19時半には24μSV/hを計測した。南東の風が長時間続き、高濃度の放射性物質が流れ込んでいる所に、不運なことに17時頃から県内各地で雨(雪)が降り始めたため、放射性物質は地面に落ちて土壌に沈着した。このため、北西方面に伸びるように深刻な土壌汚染を引き起こした。
飯舘村や伊達郡川俣町の一部は1か月後、伊達市の一部地域は3か月後に避難指定を受けたが、その指定から外れた福島市や伊達市などの中通り北部を中心に母子避難や妊婦避難など数万人単位の自主避難者が発生する事になった。
地震の揺れ自体でも、福島県は被害が大きく、犠牲者数も最も多かった。内陸の中通り地方でも被害が目立ち、白河市では六反山が大規模に崩落し13人が犠牲に、須賀川市では藤沼ダムの高さ18m、長さ133mの堤が一気に決壊し、約150万tの水が、樹木を巻き込んだ高さ2-3mの鉄砲水となって1キロ以上離れた滝地区を襲い、8人が犠牲[164] になった。地震によるダムの決壊は日本初であり、世界的にも1999年の台湾921大地震で決壊した石岡ダムなどについで稀有である。また、郡山市では市役所の一部が倒壊し1人犠牲になるなどした。
この白河市から郡山市にかけての中通り中南部は他県の内陸市町村に比べて家屋損壊も際立っており、矢吹町では総戸数の30%の家屋が全半壊、鏡石町では総戸数の23%の家屋が全半壊、郡山市では2万戸が全半壊、これらは共に津波被害のない内陸市町村としては最大級であった。
また1か月後の4月11日には、いわき市南部の井戸沢断層付近を震源とする内陸直下型地震(福島県浜通り地震)が発生(震度6弱)した。この地震により、井戸沢断層と塩ノ平断層、また市内中部の湯ノ岳断層が同時多発的に数十kmに渡ってそれぞれずれ動き、市内至る所で断層(最大落差2m)の出現や土砂崩れ、地割れが相次ぎ4人が犠牲となった。

茨城県[編集]


茨城県は、沖合が震源域となり、そのうえ関東平野の弱い地盤も重なって、宮城県や福島県と共に広範囲で激震を観測した。
地震の揺れ自体による被害としては、震度6以上の揺れを観測した市町村は29市町村であり、これは宮城県26市町村、福島県33市町村と並んで多かった。NEXCO東日本の各インターチェンジに設置された震度計で震度6強相当以上を観測したのも、宮城県6地点と福島県6地点に次いで茨城県3地点であり、その中でも最大震度を観測したのは水戸南ICであった。
そのため、揺れによる家屋損壊も福島県と宮城県に次いで大きく、犠牲者数も福島県に次ぐ多さであった。
東海村常陸那珂火力発電所の煙突200m付近で作業員9人が作業中だったが、鋼鉄製の床板とともに転落した4人が犠牲に、行方市では鹿行大橋が崩落し1人が犠牲になるなどした。
津波の被害としては、浸水面積は23km2であり、福島県と接する北茨城市で犠牲者が出た。また、高萩市日立市ひたちなか市大洗町神栖市などで市街地が浸水した。
液状化現象の被害も広範囲であり、特に霞ヶ浦・北浦南岸から利根川下流一帯の潮来市、神栖市、鹿嶋市稲敷市などで被害が大きく、1万戸弱が被害を受けた。
小美玉市与沢にある茨城空港空港ターミナルビルでは、設置した吊り天井が崩落する被害が発生した。

千葉県[編集]


津波の被害としては、浸水面積は17km2であり、旭市で14人の犠牲者(行方不明者2人)が出た(2015年3月11日現在)。また、銚子市山武市など北東の沿岸部が浸水、山武市で1人の犠牲者を出した。
液状化現象による被害としては、東京湾岸の埋め立て地で液状化現象が相次ぎ、特に市域の大部分が埋め立て地であった浦安市では深刻な被害が発生した。 また千葉市でも美浜区を中心に1,906戸が液状化した[165]
我孫子市布佐(ふさ)東部地区[166]液状化では119棟の家屋が全壊扱いとなった。我孫子市は2012年1月時点での倒壊恐れのある約50棟に解体を要請したが、修理して住み続ける人もいた[167][168]
香取市佐原にある伊能忠敬旧宅でも震度6の地震動により被害が生じ[169]、歴史的建造物が並ぶ小野川の護岸が一部崩れ、「正文堂書店」のほとんどの屋根瓦が落ちるなど、利根川河川敷など香取市内で大きく液状化被害があった[170]。「大原幽学遺跡旧宅」(旭市、国史跡)で敷地の地割れや地盤沈下、佐倉市旧堀田邸は漆喰に亀裂が入り、市川市法華経寺では法華堂の天蓋の飾りの一部が落ちた[171]
また、市原市にあるコスモ石油千葉製油所では大規模なコンビナート火災が発生した。

東京都[編集]


東京都では、千代田区にある九段会館の天井仕上げ材の一部が崩落して2人が犠牲に、江東区の金属加工工場では化学薬品トリクロロエチレンを含んだガスが充満し、吸い込んだ従業員2人が犠牲に、町田市にあるコストコ多摩境の駐車場のスロープが崩落して2人が犠牲になるなど計6人が死亡した。津波による死者はいなかった。また港区台場の国土交通省青海総合庁舎で火災が発生した。

栃木県[編集]


栃木県では、芳賀町にある本田技術研究所が崩れて男性1人が犠牲に、那須烏山市神長地区で夫婦が山崩れに巻き込まれて2人が犠牲に、日光市で女性が屋根から落ちて脳出血を起こして1人犠牲になるなど計4人が死亡した[172][173]
真岡市反町では数か所で地震の影響による液状化現象が発生し、割れ目からが噴出した。液状化が起こった地域はかつて旧河川あるいは河岸だった場所であり、農地の下には砂の層で広がっているからであるという。
宇都宮市では板戸地区で国道408号線沿いにある地山が土砂崩れを起こし道路が封鎖されるなどの被害が出ている。
那須塩原市国道400号線では地震の影響で落石が発生し通行止めになる被害が出た。
栃木市岩舟町では霊山岩船山の西側の峰がV字に崩れ、さらに別の部分でも山肌が崩れたりしたが、人や家屋に被害はなかった。
那珂川町では県内の主要道のひとつである栃木県道52号矢板那珂川線にある新那珂橋が地震の影響で橋脚10基のうち4基の頭部に亀裂が見つかりうち2カ所は沓が破断、上部工も破損しているなどの大きな被害[174] を受け、撤去されることとなった[175][176]
真岡市の井頭公園一万人プールが震災の影響でウォータースライダーを支える支柱や配管などが壊れ営業が中止になり、2013年には完全復旧した[177]
歴史的遺産の被害としては益子町地蔵院の歴代宇都宮氏の墓所にある戦国大名下野宇都宮氏17代当主宇都宮成綱、18代当主宇都宮忠綱の五輪塔が被害を受けた[178] 他、さくら市では観光スポットである喜連川城城跡にあるお丸山公園が地震の影響により敷地内に700メートルに渡る大規模な亀裂が生じたほか、公園内の各種施設が損壊するなどの被害を受け、立ち入り禁止となってしまった。現在は土地部分の復旧はしているが喜連川スカイタワーなどの施設はまだ復旧の目処が立っていない[179]。日光市にある日光田母沢御用邸記念公園では石積みが破損するなどの被害が出ている。

その他の県の被害[編集]


神奈川県川崎市では、手抜き工事によりミューザ川崎シンフォニーホール(大ホール)の天井板が大規模に崩落し、ミューザ川崎シンフォニーホールは2年以上の長期間の休館を余儀なくされた。
群馬県では地震の影響で1人が死亡し、国道354号線の五料橋において4cmの段差が発生した[180]

日本国外[編集]


アメリカ合衆国カリフォルニア州クレセントシティでは5人が太平洋を渡った津波にさらわれ、うち1人が犠牲になった[181][182]
インドネシアパプア州でも、津波により1人が犠牲になり、5人が行方不明となった[183]
太平洋の広い範囲に津波が到達したため、日本国外でも建造物の被害が発生した。ハワイ諸島ではハワイ島西岸に津波が押し寄せ、浸水などにより3軒のホテルが営業不能となるなど、数千万ドルに上る被害が発生した[184]。カリフォルニア州のクレセントシティやサンタクルーズでは港湾が損壊し、停泊していた船舶の損害と合わせて1,400万ドルの被害が出た[185]チリでは数十の住宅が損壊し、200人近くが住家を失った[186]。インドネシアでは、パプア州にあるヨテーファ湾沿岸の複数の村で、住宅が損壊する被害が出た[187]アメリカオレゴン州などに流れ着いた漂流物への付着により、それまで現地では確認されていなかったワカメマコンブ海苔などの海藻が漂着し、成長していることが確認されている。これらは漁業や環境に危害を与える心配がある[188]
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[4]前ページ
(3.10.宗教)
[6]次ページ
(4.1.人口変化)

149. 平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)(第132報) (PDF) 消防庁
150. “東日本大震災:不明の大槌町長、遺体で発見 岩手”. 毎日新聞. (2011年3月20日). オリジナルの2011年3月21日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110321024932/http://mainichi.jp/select/today/news/20110320k0000e040022000c.html 2011年3月20日閲覧。 
151. “松尾雄治氏が釜石SWにエール…ラグビー”. スポーツ報知. (2011年3月24日). オリジナルの2012年7月9日時点によるアーカイブ。. https://archive.is/20120709102731/http://hochi.yomiuri.co.jp/sports/ballsports/news/20110323-OHT1T00281.htm 2011年3月26日閲覧。 
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155. “【東日本大震災】「死にものぐるいで上に行け」 津波で74人死亡・不明 宮城・大川小の「あの時」”. 産経新聞. (2011年4月15日). オリジナルの2011年4月17日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110417073938/http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110414/dst11041419270052-n1.htm 2011年9月10日閲覧。 
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157. “手作り避難所、70人救った 10年かけ岩山に 東松島”. 朝日新聞. (2011年3月31日). http://www.asahi.com/special/10005/TKY201103290226.html 2014年1月16日閲覧。 
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163. “「松島が守ってくれた」対岸の町、死者1人”. 読売新聞. (2011年3月23日). オリジナルの2012年9月19日時点によるアーカイブ。. https://archive.is/20120919115715/http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110323-OYT1T00077.htm 2011年4月26日閲覧。 
164. “3・11にダム決壊、濁流で7人死亡していた”. 読売新聞. (2011年5月30日). オリジナルの2013年5月1日時点によるアーカイブ。. https://archive.is/20130501112452/http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110530-OYT1T00139.htm 2011年5月30日閲覧。 
165. 【震災5年】復旧・復興の現在地(2)千葉市、大半が液状化対策めど立たず 産経2016年3月5日
166. 利根川沿いの埋め立て地を持つ。
167. 7戸が曳家(ひきや)で秋田市に移築され、高齢認知症者向けのグループホームになる。
168. 「液状化被害の民家 秋田で再生」『読売新聞』2013年2月25日朝刊38面
169. 鉄筋コンクリート作りの伊能忠敬記念館が平成10年に完成し、2,345点の国宝資料を保存しているため、資料は無事であった。
170. 東日本大震災における香取市内の被災状況写真 Archived 2014年9月17日, at the Wayback Machine.
171. 「伊能忠敬旧宅も…佐原の伝統的町並み、被害深刻」2011年3月23日『読売新聞』
172. 栃木県内における被害報告 土木学会関東支部栃木地区 (PDF)
173. 第3章 東日本大震災からの復旧・復興 栃木県 (PDF)
174. “新那珂橋の延命化困難 県 地元説明経て方針決定へ”. 日刊建設新聞. http://www.jcpress.co.jp/wp01/?p=4969 
175. “栃木県の新那珂橋 地震被害で築80年を前に苦渋の決断”. 日経アーキテクチュア. https://kenplatz.nikkeibp.co.jp/pdf/NCR/13/060200493/ 
176. 新那珂橋撤去工事について 栃木県烏山土木事務所 (PDF)
177. “一万人プール完全復活 7月に3季ぶり 栃木・真岡”. 朝日新聞デジタル. オリジナルの2016年4月15日時点によるアーカイブ。. https://archive.is/20160415044409/http://www.asahi.com/area/tochigi/articles/TKY201306020198.html 
178. 市村高男 『中世宇都宮氏の世界 下野・豊前・伊予の時空を翔る』 彩流社2013年、248 - 249頁。
179. “避難やっと終わる さくら市喜連川地区 亀裂、豪雨で土砂崩れ”. 47NEWS. http://www.47news.jp/photo/598064.php 
180. 第2節 群馬県内の地震による被害の状況 群馬県 (PDF)
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出典:Wikipedia
2017/12/04 18:02
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