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東京工業大学
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2.沿革
2.2.年表
1881年明治14年)5月:東京職工学校設立[7]
予科および本科を設置、本科に化学工芸科と機械工芸科を設置
1890年3月:東京工業学校と改称
化学工芸部(染織工科、陶器玻璃工科、応用化学科)、機械工芸部(機械科、電気工業科)に改組
1894年6月:工業教員養成所(1902年附設工業教員養成所へ移行)を設置
1896年5月:規制改正を実施
染織工科(色染分科、機織分科)、窯業科、応用化学科、機械科、電気科(電気機械分科、電気化学分科)に改組
入学資格を中学校(旧制)卒業程度とし、実質的な高等教育機関であることを明確にする
1901年5月:東京高等工業学校[8]と改称
前後して、工業図案科 (1900-1914[9])、建築科 (1902.12[10]-) を新設
1919年大正8年)1月:蔵前工業会臨時総会で大学昇格を決議、2月に日本工業倶楽部も建議書を政府に提出
1923年3月:大学昇格が正式決定するも、9月に関東大震災に罹災、実現延期を余儀なくされる
1924年4月:校舎を大岡山へ移転(現在の大岡山キャンパス)
1929年昭和4年)4月:東京工業大学(旧制)へ昇格
染料化学、紡織学、窯業学、応用化学、電気化学、機械工学、電気工学、建築学の8学科を設置
数学、物理学、物理化学、分析化学の4教室を設置
高等工業レベルの特設予科を設置(1932年附属予備部と改称)、高等工業在学生は、附属工学専門部および附属工業教員養成所に移行(いずれも1931年廃止)
1942年5月:附属高等工業教員養成所を設置
この間、化学工学 (1940-)、金属工学 (1941-) の2学科を新設
また、無機化学 (1930-)、有機化学 (1930-)、工業経済 (1935-) 等の教室を新設
1945年8月:太平洋戦争終結
戦時下には、航空機工学科 (1939-1945)、燃料工学科 (1941-1945) を設置
また、附属工業専門部を設置(1944-, 1948廃止)
1946年2月:和田小六学長の下『東京工業大学刷新要綱』を策定し先駆的な大学改革を実施[11]
細分化した教員組織を、理学系、応用化学系、応用物理系、建築系、経営系に再編し、セクショナリズムを是正
学科制からコース別学習課程に改め、修学の自由度を向上
教養科目の充実と「クサビ型」カリキュラム[12]の形成
1949年5月:新制大学へ移行
工学部を設置
附属予備部および附属高等工業教員養成所を吸収
1953年4月:大学院工学研究科を設置
1955年7月:工学部を理工学部に改称
数学、物理学、化学、化学工学、機械工学、電気工学、金属工学、繊維工学、建築学、経営工学の10学科を設置
1956年4月:大学院工学研究科を理工学研究科と改称、原子核工学専攻新設
1967年6月:理工学部を理学部と工学部に分割
この間、理学系で応用物理学科 (1961-, 1998年改組解消)、材料・化学工学系で4学科、機械系3学科、電気電子系2学科、および土木工学科 (1964-)、社会工学科 (1966-) を新設
この後、理学部に情報科学科 (1970-)、地球惑星科学科 (1992-)、工学部に情報工学科 (1974-) 等を設置
また一時、工業教員養成所 (1961-69) を設置
1975年4月:大学院総合理工学研究科を設置、9月長津田キャンパス(現在のすずかけ台キャンパス)開設
1990年平成2年)6月:生命理工学部を設置
理学部生命理学科 (1986-)、生体機構学科 (1988-)、工学部生物工学科 (1986-)、生体分子工学科 (1988-) を振替
1992年4月:大学院生命理工学研究科を設置
1994年4月:大学院情報理工学研究科を設置
1996年4月:大学院社会理工学研究科を設置
2004年4月:国立大学法人法の規定により国立大学法人となる
2005年4月:大学院イノベーションマネジメント研究科を設置
2009年5月 :大学マネジメントセンター設置
2016年4月:日本の大学で初めて学部と大学院を統一し、「学院」を創設
2018年3月:指定国立大学法人に指定[13][14]
[4]前ページ
(2.1.略歴)
[6]次ページ
(3.1.所在地)
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出典:Wikipedia
2020/02/07 11:30
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