東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件
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2.事件
第一の事件
1988年8月22日 - 当時4歳の女児Aが誘拐・殺害される。殺害後しばらくたち、死後硬直で固くなった遺体にわいせつ行為を行う様子をビデオ撮影している。動機について簡易鑑定の問診記録では、鑑定人に「どうして写真だけでは済まなくなったか」を聞かれた際は、第一次鑑定では「よくわかんない」、最後の被告人質問では「急に子供の頃が懐かしくなった」と、証言が曖昧であった。
第二の事件
1988年10月3日 - 当時7歳の小学1年生の女児Bが誘拐・殺害される。こちらはすぐさまわいせつ行為をしたが、この時点ではまだわずかに息があった模様で足がピクピク動いていたという犯人の証言がある。動機について供述調書では「何ともいえぬスリルがあった」、第一次鑑定では「よく覚えていない」「一番印象が無い」と述べ、やはり不明瞭。
第三の事件
1988年12月9日 - 当時4歳の女児Cが誘拐・殺害される。Cは失禁した。焦ったのか犯人は被害者を山林に投げ捨てた。12月15日、Cの全裸死体発見。12月20日、C宅に葉書が届く。この遺体の発見後、テレビで被害者の父親が「死んでいても見つかってよかった」と発言するのを見た犯人が他の被害者の遺体も送ることを計画するが、Bの遺体を発見できなかった。この際、山道に脱輪してたまたま通った車に助けを求め、「紺のラングレー」「ナンバープレートが3桁」という目撃情報が浮上する。
犯行声明と告白文
1989年2月6日 - A宅に紙片と骨片などの入った段ボール箱が置かれる。2月10日には「今田勇子」名でA事件に関する第1の書簡『犯行声明』が朝日新聞東京本社に郵送される。2月11日には同内容の犯行声明がA宅に届く。Aを入間川に沈めて殺したなど、事実と異なるいきさつが書かれていた。3月11日、「今田勇子」名での第2の書簡『告白文』が朝日新聞東京本社とB宅に届く[3]。両書簡とも極端に角張った利き手と反対の手で書かれたとも思える筆跡が特徴であり、筆跡鑑定が行われた。
第四の事件
1989年6月6日 - 当時5歳の女児Dが誘拐・殺害される。Dの両手を焼いて食べたと宮崎は罪状認否で述べるが、検察は自己の異常性を強調するため虚偽の事実を述べたものだと論告で主張した。判決では検察側の主張を認め、宮崎の主張する食人行為は虚偽の疑いが濃厚だとされた[4]6月11日、Dのバラバラ殺人遺体発見。
現行犯逮捕
1989年7月23日 - 東京都八王子市で幼い姉妹を狙った猥褻事件を起こす。妹の全裸写真を撮影中に姉の知らせを受けた父親に取り押さえられ、現行犯逮捕。父親は「D事件の犯人もまだ捕まっていないのに」と取り押さえた宮アを責めたが、後日それが連続殺人事件の犯人だと知って愕然としたと当時のマスコミの取材を受けている。
1989年8月9日 - Dの殺害を自供。
1989年8月10日 - Dの頭部発見。犯人のマスコミ報道が始まる。
1989年8月11日 - Dの誘拐殺人死体遺棄の容疑で再逮捕
1989年8月13日 - A・Cの誘拐殺人を自供。
1989年9月1日 - 警察庁広域重要指定117号に指定。
1989年9月2日 - 検察起訴に踏み切る。
1989年9月5日 - Bの殺害を自供。
1989年9月6日 - 五日市町でBの遺骨発見。
1989年9月13日 - Aの遺骨発見。
幼女を殺すたび、自宅に藁人形を置いて部屋を暗くし、頭に鉢巻きをして蝋燭を数本付け、黒っぽい服を身に付け手を上げ下げし、祖父復活の儀式を執り行ったと宮崎は裁判で主張した。
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(1.概要)
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(3.動機)

3. 今田勇子とは、「『勇子・今田』=“Yuuko Imada”→“Yuuka Imada”=『誘拐魔だ』のアナグラム」という説や、「今だから言う」などという説が、当時の犯罪分析専門家などのコメントとして報道された。
4. 佐木隆三『宮崎勤裁判 (下)』朝日新聞社、1997年、pp.354-356

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出典:Wikipedia
2017/12/07 23:01
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