長崎市への原子爆弾投下
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1.原爆投下時
1.2.長崎上空
長崎に向かう途中、トラブルが発生した。グレート・アーティストの居場所について声をかけられた航法士が、インターホンのボタンを押したつもりが誤って無線の送信ボタンを押してしまったのである。直後、「チャック! どこにいる?」という、未だ屋久島上空で旋回しているホプキンズからの返事が返ってきた。結果的に無線封止を破ってしまったボックスカーは、なぜか急旋回してグレート・アーティストとニアミス。危うく空中衝突をするところであった。
長崎天候観測機ラッギン・ドラゴンは「長崎上空好天。しかし徐々に雲量増加しつつあり」と報告していたが、それからかなりの時間が経過しておりその間に長崎市上空も厚い雲に覆い隠された。
ボックスカーは小倉を離れて約20分後、長崎県上空へ侵入、午前10時50分頃、ボックスカーが長崎上空に接近した際には、高度1800mから2400mの間が、80〜90%の積雲で覆われていた[12]
補助的にAN/APQ-7“イーグル”レーダーを用い、北西方向から照準点である長崎市街中心部上空へ接近を試みた。スウィーニーは目視爆撃が不可能な場合は太平洋に原爆を投棄せねばならなかったが、兵器担当のアッシュワース海軍中佐が「レーダー爆撃でやるぞ」とスウィーニーに促した[13]。命令違反のレーダー爆撃を行おうとした瞬間、本来の投下予定地点より北寄りの地点であったが、雲の切れ間から一瞬だけ眼下に広がる長崎市街が覗いた。ビーハンは大声で叫んだ。
「街が見える!」「Tally ho![14] 雲の切れ間に第2目標発見!」
スウィーニーは直ちに自動操縦に切り替えてビーハンに操縦を渡した。工業地帯を臨機目標として、午前10時58分、高度9,000mから「ファットマン」を手動投下した。ファットマンは放物線を描きながら落下、約4分後の午前11時2分、市街中心部から北へ約3kmもそれた松山町171番地の別荘テニスコート上空503m±10m[15]で炸裂した[16]
「ボックスカー」は爆弾を投下直後、衝撃波を避けるため北東に向けて155度の旋回と急降下を行った。爆弾投下後から爆発までの間には後方の「グレート・アーティスト」から爆発の圧力、気温などを計測する3個のラジオゾンデ落下傘をつけて投下された[17]。これらのラジオゾンデは、原爆の爆発後、長崎市の東側に流れ、正午頃に戸石村(爆心地から11.6km)、田結村(同12.5km)、江の浦村(同13.3km)に落下した[18][20]
「ボックスカー」と「グレート・アーティスト」はしばらく長崎市上空を旋回し被害状況を確認し、テニアン基地に攻撃報告を送信した。
長崎を090158Zに有視界で爆撃した。戦闘機の迎撃も、対空砲火もなし。結果は「技術的には成功」といえるが、他の要素のため、次の行動に移る前に、会議が必要である。外見上の効果は広島と同じ。投下後の機内の故障により、沖縄に向かう必要あり。燃料は沖縄までしかない。 ??長崎市編『ナガサキは語りつぐ』岩波書店 1995年 91頁)[21]
この時の原爆爆発の様子は16mmのカラーフィルムに3分50秒の映像として記録された。この映像には爆発時の火の玉からキノコ雲までがはっきりと写っている[22]
長崎のキノコ雲については、爆心地から約10km離れた香焼町で炸裂から約15分後に住民が撮影した写真が残されている他、遠くの県からも見えたとの証言もある。約100km離れた熊本県熊本市でも「ピカッと閃光が走り、空気がぶるぶるっと震え、遠くにキノコ雲が上がるのが見えた」との証言がある[23]。また遠く200km離れた大分県中津市でも「あの日長崎方面から立ち上がるキノコ煙が見え、何事かと不安になり恐ろしかった」と当時を語る証言もある。
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[4]前ページ
(1.1.テニアンから小倉上空)
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(1.3.帰還)

12. 『私はヒロシマ、ナガサキに原爆を投下した』242頁
13. レーダーモニター要員のビーザー中尉の回想でもアッシュウォース中佐がレーダー爆撃の命令を出す責任を取ったとしている。一方、スウィーニー少佐の回想ではレーダー(照準)で投下しようと提案したのはスウィーニーであり、アッシュウォース中佐は「わからんな」「精度に自信が持てるか?」と応え、スウィーニーがそれに対し「全責任を負う」と言ったとしている[3]
14. 軍事用語で「攻撃目標視認」の意。「I have insight」と同義。
15. 1976年にアメリカ・オークリッジ国立研究所のジョージ・D・カーの推定による数値。
16. 当初の投下目標は市街地の中心を流れる中島川にかかる常盤橋だった。実際の爆心地一帯は、予定通り当初の目標上空で爆発した場合、被害地域の最北端と試算された場所であった。
17. 広島原爆投下時と同じく、この落下傘をつけたラジオゾンデを目撃した市民は多く、このことから戦後しばらくの間、原爆は落下傘をつけて投下されたものと考えられていた。
18. ラジオゾンデは諫早市で回収されたとする資料があるが、これは落下後に同市の海軍士官宿舎に送られたためである。
20. これらのラジオゾンデには8月6日の広島原爆投下作戦にも同行した物理学者ルイ・アルヴァレらから、旧友である当時東京帝国大学教授であった物理学者嵯峨根遼吉に宛てた手紙が入れられており、原爆の威力について理解できるはずの嵯峨根から日本政府に降伏を働きかけるようにとの勧めが書かれていた。しかし、この手紙が嵯峨根博士に渡ったのは終戦後の9月になってからであった[4]
21. (原文)"Bombed Nagasaki 090158Z visually with no fighter opposition and no flak. Results 'technically successful' but other factors involved make conference necessary before taking further steps. Visible effects about equal to Hiroshima. Trouble in airplane following delivery requires us to proceed to Okinawa. Fuel only to get to Okinawa."
22. 広島市への原子爆弾投下時の映像が現像失敗などでほとんど残っていない現在、これは実戦に於いてほぼ唯一の原爆投下の映像である。この映像は1980年(昭和55年)に日本へ提供され、今でもテレビなどで用いられている。
23. http://blogs.yahoo.co.jp/miamasavin/16333828.html

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出典:Wikipedia
2017/08/06 15:01
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