中野信治
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2.F1時代
2.1.1997年
中野は1996年の日本GP後にリジェのテストに参加し、セッティングや英語力の試験を受けた結果、チェーザレ・フィオリオ監督に認められて1997年のドライバー契約を結んだ。中野はカート時代より無限の支援を受けており、リジェは無限ホンダエンジンを搭載するチームだった。日本人ドライバーとしては中嶋悟ロータスホンダ)に次ぐ良い条件でのF1デビューとなった。

しかし、シーズン開幕前にチームがF1チャンピオンのフランス人ドライバーのアラン・プロスト率いる「プロスト・グランプリ」に移行すると、すでに1998年からプジョーエンジンを搭載することが決まっていたため、中野の立場は微妙なものになった。

チームの力はエースドライバーのオリビエ・パニスに集中し、中野はテストの機会やセッティングの権限を与えられなかった。チームミーティングはフランス語で行われ、パニスは「シンジにも彼が走りやすい環境を作ってやってほしい」と同情したほどだった。負傷欠場したパニスの代役として出場したヤルノ・トゥルーリの活躍の陰にも隠れてしまったが、後半戦はテストも行えるようになり、ハンガリーGPではフェラーリエディ・アーバインとの激しいバトルを制して6位入賞した。(他にカナダGPでも6位)

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出典:Wikipedia
2019/05/25 11:30
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