中央自動車道
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3.歴史
3.1.構想から着工まで
敗戦後の日本を復興するために、東京 - 神戸間を結ぶ高速道路を建設するという構想は、静岡出身の実業家である田中清一よって最初に起案された。この田中構想は「本州の中央山地部を縦貫する高速道路をまず最初に建設する」というもので、現在の中央自動車道西宮線に相当するものであった。この田中構想は瀬戸山三男青木一男ら当時の有力国会議員らの支持を受けて、1953年昭和28年)に、「国土開発中央自動車道事業法案」が議員立法されるまでに至った[12]
法令で中央道が定められたのは1957年(昭和32年)4月16日の国土開発縦貫自動車道建設法が最初である。これはその3年後の1960年(昭和35年)に公布された東海道幹線自動車国道建設法よりも先であり、予定路線が定められたのは同日の国土開発縦貫自動車道中央自動車道の予定路線を定める法律である。この法律の予定路線の中央道は、起点が東京都、終点が吹田市という中央自動車道西宮線の前身ともいえるが、その主たる経過地は「神奈川県津久井郡相模湖町(現相模原市緑区)附近、富士吉田市附近、静岡県安倍郡井川村(現静岡市葵区)附近、飯田市附近、中津川市附近、小牧市附近、大垣市附近、大津市附近、京都市附近」とされており、相模湖町 - 飯田市は現在のルートとは大きく異なり赤石山脈(南アルプス)を貫通するものであった。
1957年(昭和32年)に、日本初の高速自動車国道となる名神高速道路(小牧 - 神戸間)が着工されたものの、小牧から東京まで延伸する区間を、開発優先の中央道とするか、経済効率優先の東名高速とするかについては政治を巻き込む大きな問題となり、依然として決まらなかった[13]。当時の建設省事務局内では東海道案を支持しており、1960年(昭和35年)に、東海道幹線自動車国道建設法案が議員立法される動きが出たため、中央道派と東名高速派が激しく対立し、両者の妥協によって東海道幹線自動車国道建設法と中央道予定路線法が同年成立したことで、両路線同時着工することとなった。 しかし、山地部の工事費が莫大であることから、山廻りのルートが本当に実現できるのかということになり、翌年度の予算編成で経済企画庁が同時着工に難色を示した[13]1962年(昭和37年)、比較的工事の難易度が低い富士吉田までの基本計画が3月31日、富士吉田線の整備計画が5月7日に定められた。同年、建設省は中央道本体の東京 - 富士吉田間に施行命令を出したが、それ以降の区間は保留され、東名高速に対しては次々と全線に渡り施工命令が出された[13]
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(2.2.富士吉田線 E68)
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(3.2.建設予定ルートの変更)

14. 武部健一 2015, p. 183.
15. 武部健一 2015, pp. 199-200「東海道か中央道か」

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出典:Wikipedia
2018/01/02 12:00
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