全日本女子プロレス
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5.解散後
最終興行でも正式な「解散宣言」はなく、その後、渉外担当の松永正嗣(松永俊国の子息)が中心となって新たな興行主を探して全日本女子の継続を模索していたが多額の負債がネックとなり断念。譲渡先には最終興行をプロモートしたファースト・オン・ステージも挙がっていた。なお最終興行となった後楽園ホール大会後もかなくぼ総合体育館大会が4月27日に予定されていた。

2005年8月17日に社長の松永国松が東京都品川区内のビルで飛び降り自殺をしていたことが判明。女子プロレス関係者に衝撃を与える最悪の事態となった。松永高司は全日本女子解散後に東京都千代田区神田で飲食店を経営して柴田恵陽との共著で2008年に著書「女子プロレス終わらない夢 全日本女子プロレス元会長松永高司」を出版。2009年7月11日に帰らぬ人となった。

全日本女子解散後も多額の負債を返済できず全日本女子の借金の保証人となっていた悪徳レフェリーの阿部四郎は松永家に対する売掛金の回収難も相まって2008年に自宅を差し押さえられている。

全日本女子解散時の所属選手7人はフリーとして選手活動を継続。そのうち高橋奈苗Hikaru前村早紀が自主興行「ドリームキャッチャー」を開催。2005年9月に業務停止になったメジャー女子プロレスAtoZ所属選手と共にKOプロダクションと契約するも2006年1月に契約解消。その後、2004年まで全日本女子に所属して我闘姑娘に移籍していた夏樹☆ヘッドも合流して10月1日よりファースト・オン・ステージの下でプロレスリングSUNを設立したが高橋は後に退団してHikaruと前村もSUN解散と同時に引退。フリーとして活動を継続していた前川久美子は2006年に藤井巳幸は2009年に、それぞれ引退。ミゼットレスラーJWP女子プロレスNEO女子プロレス、AtoZなどを転戦して現在は単発興行に参戦している。

全日本女子が管理していた王座は解散と同時に封印されたがWWWA世界シングル王座のみ前川久美子が高橋奈苗とのタイトルマッチを希望していたため管理権を引き継ぐ形で引き続き保持していた(前川久美子は最終興行でWWWA世界シングル王座防衛戦を行って引退する予定だったが高橋奈苗が怪我で離脱していたため、先延ばしになった)。そして、全日本女子解散から約1年が経過しようとした2006年3月26日に後楽園ホール大会での自身にとって最初で最後の自主興行(主催は当時、アパッチプロレス軍の親会社だったキャッシュボックス)で最後のタイトルマッチが行われて勝利した高橋奈苗が最後のWWWA世界シングル王者となり元会長の松永高司にWWWA世界シングル王座を返還して封印された。この引退興行は全日本女子最終興行同様に全日本女子OGを集めてスタッフも元全日本女子で構成されるなど事実上の全日本女子最終興行とも言える興行となった。

2006年7月には旧全日本女子専属プロモーターの1つだった田島企画によるニュー全日本女子プロレスが設立されて不定期で興行を開催している。当初、松永高司は「ニュー全日本女子は全日本女子と一切関係がない」の見解を示していたが後に田島企画は松永家から許可をもらい「全日本女子プロレス」の名称を復活させた。ただし所属選手を持たないプロモーション企業であり参戦選手もJWP所属選手を中心に旧全日本女子所属歴が全く無い選手が多い。

また、2006年にお台場で開催された「レッスルエキスポ2006」の女子プロレスでは「女子プロレスがお台場に帰ってきた」と題して開催された。

全日本女子解散まで後援に当たっていたデイリースポーツは、その後、全日本女子に代わり現存する最古の女子プロレス団体となったJWPの主要大会の後援として女子プロレスに関わり続けている。また、2011年には全日本女子で開催された「タッグリーグ・ザ・ベスト」がJWPで「JWPタッグリーグ・ザ・ベスト」として復活している。

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出典:Wikipedia
2019/11/15 00:00
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