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大日本帝国憲法
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2.大日本帝国憲法の問題点
2.1.内閣と総理大臣についての規定の欠落
大日本帝国憲法には、「内閣」「内閣総理大臣」の規定がない。これは、伊藤博文がグナイストの指導を受け入れ、プロイセン憲法(ビスマルク憲法、1871年)を下敷きにして新憲法を作ったからに他ならない。グナイストは伊藤に対して、「イギリスのような責任内閣制度を採用すべきではない。なぜなら、いつでも大臣の首を切れるような首相を作ると国王の権力が低下するからである。あくまでも行政権は国王や皇帝の権利であって、それを首相に譲ってはいけない」と助言した。この意見を採用した結果、戦前の日本は憲法上「内閣も首相も存在しない国」になったが、のちにこの欠陥に気づいた軍部が「陸海軍は天皇に直属する」という規定を盾に政府を無視して暴走するという災いをもたらすことになった。

こうした欠陥が「統帥権干犯問題」の本質である。昭和に入るまでは明治維新の功労者である元勲がいたためそのような問題が起きなかったが、元勲が相次いで死去するとこの問題が起きてきた。そしてさらに悪いことに、大日本帝国憲法を「不磨の大典」として条文の改正を不可能にする考え方があったことである。これによって昭和の悲劇が決定的になったと言える[3]

ビスマルク憲法のほうは大日本帝国憲法成立後の改正によって大臣解任権が議会に与えられたが、日本においては現在も事実上の大臣解任権を持つ議会(国会)[注釈 6]や、独立の大臣等罷免審査の機関(憲法裁判所)が存在しない。

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(1.7.日本国憲法への移行)
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(2.2.議員資格審査の秘密性)
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出典:Wikipedia
2020/01/23 11:00
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