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大西洋横断電信ケーブル
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2.海底ケーブル網の発展とその後の展開
大西洋横断ケーブルを成し遂げた英国は、1870年、ロンドンからインドへ到る海底電信ケーブルを敷設、1902年には太平洋横断電信ケーブルを敷設した。こうして英国は当時の植民地を結ぶ大きなケーブル網 (All Red Line) を完成させた。このことによって英国は情報伝達面において圧倒的な力を得た。

大西洋においては、最初に敷設した2本のケーブルはどちらも1870年代に不通になったが、アングロアメリカン・テレグラフ社によって新たに数本のケーブルがヴァレンティア - ニューファンドランド間に敷設され、さらに他の会社でも敷設が行われるなど[24]、本数を増やしていった。また、1874年にはブラジルのペルナンブーコからマデイラ諸島(ポルトガル)を経由しカルカヴェロス(ポルトガル、リスボン近郊)へと至る南大西洋線も敷設した[25]

一方、他国も大西洋横断電信ケーブルを引くようになった。フランスは1869年、フランスのブレストからアメリカのケープコッドまでのケーブルを敷設した。これは英国以外の国によって敷設された最初のケーブルであった(ただしこのケーブルを保有していた会社は1873年に英国企業に買収される)[26]。さらに1879年にはブレストからサンピエールを経由してケープコッドへ至るケーブルを敷設し、その後もフランス - アメリカ間のケーブルの敷設を行った[27][28]

ドイツは1882年、エムデンからヴァレンティアまでのケーブルを敷設したが、ヴァレンティアからの大西洋区間は英国のアングロアメリカン・テレグラフ社のケーブルを使用していた[29]。しかし、1900年にボルクムからアゾレス諸島を経由してニューヨークへ至るケーブルを敷設し、1904年から1905年にかけて同じ経路でもう1本ケーブルを増設した[30]

このように各国でケーブルの増設は続き、1901年には北大西洋上に15本のケーブルが敷かれていた[31]。しかし、これらのケーブルは途中で英国のケーブルを経由しなければならなかったので、通信内容は英国に筒抜けであった[32]。そのため英国の優位はしばらく続いた。

20世紀に入ると、英国のケーブルへの依存から脱却する動きがフランスやドイツなどで強まり、さらに無線通信が実用化されたことで英国の優位性は弱まっていった。そして1956年の大西洋横断電話ケーブル (TAT) の敷設によって、電信ケーブル自体の重要性も薄らいだ。1988年には大西洋横断光ケーブルも施設されている。しかし、19世紀後半から20世紀前半において大西洋横断電信ケーブルは多くの分野に影響を与え、この時代における世界の一体化に大きな役割を果たした[33]

[4]前ページ
(1.8.5度目の敷設工事(1866年))
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(3.大西洋横断電信ケーブルの影響)
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出典:Wikipedia
2019/08/16 15:32
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2020/02/22 更新
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