大航海時代
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3.大航海時代の変遷
3.6.ヨーロッパ北部諸国による探検
ポルトガルやスペインに遅れて絶対王権を安定させ、ようやく航海や探検の後押しをする用意が整ったイギリスフランス、スペインからの独立を果たしたオランダといった後発諸国も盛んに海外進出し、次第に先行していたポルトガルとスペインを凌駕していった。こうした後発海運国はトルデシリャス条約によって新領土獲得から排除されることを拒み、独自に航海の経験も積んでいたため、新しい技術や地図を使い北の大海に乗り出していった。後発海運国は、ポルトガルやスペインが広大な領土を獲得したにもかかわらず急速に没落していった経験から学んで、慎重かつ綿密な植民地経営を行った。

後発海運国の最初の探検は、イタリア人ジョン・カボット(ジョヴァンニ・カボート)を雇ったイギリスによる北米探検(1497年)であり、イギリス・フランス・オランダによる一連の北米探検のはじまりとなった。スペインは、より多くの天然資源の見つかる中央アメリカおよび南アメリカの探検に人的資源を集中させていたため、北アメリカの探検に注いだ努力は限られていた。1525年には、フランスによって派遣されたイタリア人ジョバンニ・ダ・ヴェラッツァーノが現在のアメリカ合衆国東海岸を探検しており、記録に残る最初に北米東海岸を探検したヨーロッパ人となった。フランス人ジャック・カルティエ1534年にカナダへの最初の航海を行った。南米航路では、1522年のマゼラン艦隊の世界初の世界一周フィリピンが発見され、1580年のフランシス・ドレークの2番目の世界一周ではホーン岬ドレーク海峡が発見された。

カボット、ヴェラッツァーノ、カルティエらの航海は、北アメリカを迂回して豊かな中国やインドに至る最短の大圏航路北西航路)を探すことが目的だった。この航路は19世紀まで見つかることはなかったが、北西航路探索の過程で北アメリカ大陸の海岸部が明らかとなってゆき、北アメリカ自体に可能性を見出したヨーロッパ人たちは17世紀に東海岸に植民地を築き始めた。イギリスやオランダは、スカンジナビアやロシア、シベリアの北を迂回して中国に至る北東航路の探検も行い、ロシア・ツァーリ国との北海交易を始めたり、捕鯨の拠点となる北極海の島を多く発見したりしたが、やはり氷の海に阻まれアジアへの航路を見つけることはできなかった。ロシアではセミョン・イワノヴィチ・デジニョフが1648年にシベリア東部への探検隊を率い、ユーラシア最東端となる岬(後にデジニョフ岬と命名された)を発見した。

イギリスやオランダやフランスはアフリカやインド洋にも航海して独自の交易地や植民地を確立し、この方面に独占的に勢力を築いていたポルトガルの地位を脅かした。ポルトガルの最も利益の大きい拠点であるゴアマカオを、新興諸国の拠点(香港バタヴィアなど)が包囲し、オランダがインドネシアを勢力圏として香料諸島からポルトガル勢力を駆逐すると、次第にポルトガルやスペインがアジア貿易市場に占めていたシェアは小さくなっていった。

新興諸国は、残る未知の地域(北アメリカ西海岸や太平洋の島々など、トルデシリャス条約でスペインに与えられた地域)もスペインより先に探検した。1606年にはウィレム・ヤンツ(Willem Jansz)が、1642年にはアベル・タスマン(Abel Tasman)などオランダの探検家がオーストラリアを探検している。

こうして17世紀中ごろまでに一部の不毛地帯を除いた全ての地域にヨーロッパ人が到達して大航海時代は終焉を迎える。世界中の富が集中するようになった英国をはじめとしたヨーロッパ各国は、いち早く近代化を達成し世界に覇を唱えた。

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(3.5.ポルトガル・スペイン間の条約締結)
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(4.原典)
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出典:Wikipedia
2019/09/20 15:00
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