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村田和人
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1.来歴・人物
1.2.デビュー後 - MOONレーベル時代
『終わらない夏』のプロモーション終了後、スケジュールの空いていた村田に山下のツアーにコーラスとして参加する話が舞い込む。山下によってリハーサルでかなりしごかれたが、現場での多くの音楽的経験を積んでいった。ツアーで村田が一番参ったのは、他の女性コーラス陣と合わせての「踊り」だったという。1983年、山下のプロデュースでシングル&アルバムを制作。マクセルからの依頼で「一本の音楽」というコピーを使用するという条件で制作された先行シングル「一本の音楽」がスマッシュヒット。CMの露出が多かったこともあり、6月に発売されたセカンドアルバム『ひとかけらの夏』は売れ行きも上々、ライブもコンサートホールで行う事ができるようになった。数多くライブ活動を行う中で、山本圭右、阿部薫、小板橋博司、小室哲哉のバンドメンバーでサウンドを確立していった。翌1984年にTMネットワークでデビューする小室を除くメンバーでサードアルバム『MY CREW』を製作。本来このサードアルバムで再び山下がプロデュースを行う予定だったが、村田サイドがこのバンドメンバーでのレコーディングを選択。セカンドアルバムでの経験を生かした、村田のセルフプロデュース作となった。全国主要5都市を含む全国ツアーも行われた。

しかし、翌1985年は再登板の予定だった山下が諸事情(自身の音楽制作へのコンピュータ導入による試行錯誤など)により制作に着手できず、村田も収録予定だった楽曲を他のアーティストに提供する等、ちぐはぐな活動となってしまい、結局アルバムの製作は流れてしまった。アサヒのワインクーラーのCM用に「SEASIDE SONGS」を作曲。

1986年に新しいディレクターの手引きで渡米し、ロニー・フォスターの元で『showdown』を製作。LA滞在中のホテルでカレーを料理中にルーで喉を痛め、ヴォーカル録音は日本に帰国後に行う。「Seaside Songs」は日本のミュージシャンでレコーディングされているので、おそらく日本レコーディングだが、コーラスはロニー・フォスターが参加している。また他にも山下達郎がコーラス参加しているなど、どこまでが日本、LAで録音されたものかは未定。LAのスタジオミュージシャンを起用した本作は、これまでの村田にはないアーバンでスタイリッシュなテイストを盛り込んだ意欲作となった。1987年、企画盤「Back to Frisco」に山本圭右、西司、平松絵理とユニット名Honey & B-boysとして参加。1987年に再渡米、 LAでベーシックトラックを製作し、日本でダビング及びヴォーカルを録音する形で製作された『Boy's Life』はこれまでの村田の音楽活動の集大成というべき作品となった。

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出典:Wikipedia
2020/03/29 17:32
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