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相模鉄道
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3.歴史
3.4.その後の発展
戦中から戦後にかけては、厚木飛行場への輸送が行われた関係で路線基盤の増強などが進んだ。1942年(昭和17年)6月から現在の東急東横線からの配電で横浜 - 西谷間が600 V電化されたのを皮切りに、1943年(昭和18年)8月から現在の小田急小田原線からの配電で海老名 - 相模大塚間が1,500 V電化され、1944年(昭和19年)9月には二俣川駅を境に電圧が異なるものの、本線の全線電化が完成している。なお、1946年(昭和21年)12月に現在の京急本線からの配電に変更して全線が1,500 V化され、厚木貨物線(現:厚木線)の電化も1949年(昭和24年)11月に行われた。全線の複線化も飛行場への対策としてすでに敷地を確保してあったため進捗が早く、1951年(昭和26年)11月から西横浜 - 上星川間の複線化を皮切りに翌1952年(昭和27年)12月までに数度に分けて希望ヶ丘駅までが複線化された。横浜方向も当時の国鉄から西横浜 - 横浜間の貨物線部分の譲渡を受けるなどして1957年(昭和32年)1月に複線化されている。その名残りで相鉄下り線(二俣川方面)の架線柱はJR線と共用になっているところがある。その後も1960年(昭和35年)11月までには数度に分けて大和駅までが複線化され、1964年(昭和39年)11月には相模大塚駅までが複線化されたが、この部分は1961年(昭和36年)1月に墜落した米軍機が線路を横切って不通となる事故を起こされたため(この付近では1959年〈昭和34年〉と1962年〈昭和37年〉にも墜落事故が起きている)、その対策を兼ねて線路を掘り下げ、防護トンネルを通過する形にしている。1966年(昭和41年)4月には大塚本町駅(当時、現在のかしわ台駅東口)まで複線化し、1967年(昭和42年)4月にはかしわ台工機所(車両基地)の完成とともにここまで複線化され、1973年(昭和48年)9月には相模国分(信号場)まで複線化し、本線の全線複線化が完成したのは海老名駅の移転後となる翌1974年(昭和49年)3月となった。

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出典:Wikipedia
2020/02/16 16:03
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