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相模鉄道
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3.歴史
3.3.東急からの独立と買収危機
1947年(昭和22年)6月に東急から派遣されていた川又貞次郎(元・小田原急行鉄道常務)ら役職員は、経営民主化を理由に過度経済力集中排除法を盾に東急が保有する相鉄の株式(発行済み株式の約70%、約8万株)を取得して東急から独立。厚木線(東急委託時代に神中線から改名)を新たな経営基盤として戦後の再スタートを切ることとなった。ただし、独立後もしばらくは、相鉄の筆頭株主は東急であった。

その後1952年(昭和27年)に、米国のスタンダード・オイル社から横浜駅西口の土地24688m2を買収。これを開発し付加価値をつけて売り出すことで、相鉄の経営基盤を安定的なものとした。後にこの地に横浜高島屋相鉄ジョイナスといった系列のデパートが建つことになる。不動産事業のみではなく、高度経済成長の時代であり、鉄道事業も順調に進んでいった。しかし、その2年前の1950年(昭和26年)頃に東急グループが小田急電鉄を通じて再買収の動きを起こした[注 10]。東急は鉄道よりも、むしろこの横浜駅西口の土地が目当てであった。相鉄の経営の立ち直りが見えてきた矢先に買収を仕掛けてきた東急の行動には相模鉄道の川又社長・穴水清彦専務も憤慨し[注 11]、経営陣は既存株主に対して売却しないように働きかけた。1951年(昭和26年)9月6日の臨時株主総会にて、株式の第三者割り当てによる敵対的買収の阻止を目的とした資本金の倍増案[注 12]が僅差で可決され、買収は阻止された。なお三井銀行社長の佐藤喜一郎(横浜市出身)が「我が町の鉄道会社を守れ」と積極的に川又側の後ろ盾になり、同行を通じて防戦資金を融資した。これが縁で現在も相鉄のメインバンクは三井住友銀行であり、筆頭株主も小田急電鉄になっている。後にこの一件が引き金となって東急の多摩田園都市開発に対抗し、いずみ野線沿線開発を行った一方、東急は相鉄沿線で二俣川東急ニュータウンや東急白根ニュータウンといった大規模開発を行うなどの競争が見られた。臨時株主総会で買収計画が失敗した後も買収計画を諦めず、筆頭株主の地位を盾に相鉄の経営に口を挟みつづけたことから、相模鉄道は1951年(昭和26年)7月26日に公正取引委員会に審査を申し立てた。9月12日に「小田急電鉄が相模鉄道の経営に干渉する行為は、はなはだしく競争を制限する行為であるため、小田急が所有する相鉄の株式をただちに放出しなければならない。」という趣旨の裁定が下された。また10月には事態収拾のために国鉄総裁の長崎惣之助が仲裁に乗り出し、長崎と相模鉄道社長の川又貞次郎・小田急電鉄社長の安藤楢六の3者の間で、3カ条の覚書[注 13]が交わされ、手打ちとなった[15]

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(3.2.相模鉄道による神中鉄道の吸収合併)
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(3.4.その後の発展)
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出典:Wikipedia
2020/02/16 16:03
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