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曹洞宗
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2.中国における曹洞宗
洞山良价から5代下った大陽警玄(943年 - 1027年)には弟子がいなかったため、師資の面授を経ずに付法相承する「代付」によって投子義青(1032年 - 1083年)へと嗣法がなされることで、北宋末における再興が成された[3]

次代の芙蓉道楷(1043年 - 1118年)の弟子の代になると、宋の南遷による南宋の成立に伴い、河北に留まる鹿門自覚(? - 1117年)の系統と、江南に下る丹霞子淳(? - 1119年)の系統に分かれた。

丹霞子淳の門下には、宏智正覚(1091 - 1157年)と真歇清了(1089年 - 1151年)がおり、宏智正覚は「黙照禅」を提唱し、「看話禅」を提唱する臨済宗大慧宗杲(1089年 - 1163年)と対立したことや、多くの弟子を持ち「宏智派」を形成したことで知られ、他方の真歇清了の門下では3代下った天童如浄(1163年 - 1228年)から道元が日本へと曹洞宗を伝えた。宏智正覚の高弟であった自得慧暉(1097 - 1183年)の系統が、「宏智派」ではその後唯一、初に至るまで、中国曹洞宗の法脈を保ち支えていくことになった。この「宏智派」の宗風は、東明慧日(1272 - 1340年)や東陵永?(1285 - 1365年)によって日本にも伝えられ、鎌倉京都五山禅林にも大きな影響を与えた[3]

他方、河北に留まった鹿門自覚の系統は、普照一辨(青州希辨、1081年 - 1149年?)、大明僧宝(1114年 - 1173年)、王山覚体(1121年 - 1174年)、雪巌慧満(1136年 - 1206年)を経て、代に万松行秀(1167年 - 1246年)が登場することで隆盛した。彼の弟子には、雪庭福裕(? - 1274年)、耶律楚材(1190年 - 1244年)、林泉従倫(? - ?年)などがいる。雪庭福裕は代に皇帝クビライ(1215年 - 1294年)に認められ、「国師」に指名されると共に嵩山少林寺を任され中興の祖となった。現在の中国でも、嵩山少林寺(曹洞正宗)が華北地方の拠点として有名である。

以上の主な法嗣をまとめると、以下のようになる。

洞山良价 - 雲居道膺 - 同安道丕 - 同安観志 - 梁山縁観 - 大陽警玄 - 投子義青 - 芙蓉道楷
鹿門自覚 - 普照一辨(青州希辨) - 大明僧宝 - 王山覚体 - 雪巌慧満 - 万松行秀 - 雪庭福裕・・・
丹霞子淳
宏智正覚(宏智派) - 自得慧暉・・・(東明慧日・東陵永?)・・・
真歇清了 - 天童宗? - 雪竇智鑑 - 天童如浄(- 道元)・・・
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出典:Wikipedia
2020/02/12 01:00
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