人力車
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3.歴史
3.1.人力車の発明
1848年頃にアメリカ合衆国鍛冶職人アルバート・トルマン(Albert Tolman)によって宣教師の乗り物としてウースターで作られたという説、1869年頃に来日アメリカ人宣教師ジョナサン・ゴーブル(またはジョナサン・スコビー(Jonathan Scobie))が病弱の妻の為に考案して横浜で使っていたという説もあるが、記録上では日本の和泉要助、高山幸助、鈴木徳次郎の3名が発明者として明治政府から認定されている[11]。3名は東京で見た馬車から着想を得て1868年(明治2年)に人力車を完成させ、翌年1869年(明治3年)に日本橋で開業したとされる。
ただし、1899年2月10日の第13回帝国議会(衆議院)では「人力車発明人ニ年金給与ノ建議案」が提出されていたが和泉らが発明者かどうかで議論となっていた。これは「何を人力車とするか」の争点もあったが当時、多くの山師達も含めた自称者が多かったためでもある。前後するが1895年3月にも、都新聞論説において、発明人に対する議論があがっている。

様々な文献からの発明者と、それに対する意見を述べた文献、資料、事実を、次に記す。

(各種出願)和泉要助、他2名
(都新聞投書)広瀬某
明治事物起源では、発明者を詐称した山師であろうと考えられている。
(都新聞投書)高山幸、鈴木徳(=油屋徳右衛門)
日本工業文化史では、松兵衛の小車を改良したものであると考えられている。
(工業志料)幸助(車工)、田中古朴による共同発明
横浜沿革誌では、これを、引用している。
斉藤著人力車では、幸助=高山幸助であり高山は、田中とともに車体改良をしたと考えられている。
(愛知新聞(1872年11月31号))東京八町堀 八百屋の音吉
斉藤著人力車では、音吉=鈴木徳次郎の可能性を指摘した上で、「ニ三有志ト議シ」が和泉、高山である可能性を指摘している。
(日本工業文化史)名古屋の与助
(官設歴史編纂所(東大史料編纂所の前身)から東京府知事への質問状(1878年))小林要吉
小林が発明したとされるが相違ないかどうかの質問に対して、東京府勧業課は、1869年に和泉要助ら3名が発明。1873年12月に大蔵省に出願されたが専売特許を与えておらず、また小林が発明したという話は聞いたことが無いと回答。
第13回帝国議会速記録(1899年2月10日)西田虎次郎
京橋区内の酒井善次郎他五名からの請願書によれば、和泉らではなく西田こそが真の発明者であるとされた。
建議案提出者は、発明者が和泉。補助者が高山、鈴木。実地製作者が西田であるとした。建議案においても「……及び工人西田虎次郎ノ発明ニ係リ」と記されている。
1900年3月20日の賞勲局からの下賜では、西田は、外されている。
1877年の内国勧業博覧会に出品された人力車にも「工人・西田虎次郎」とある。
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出典:Wikipedia
2019/12/17 01:00
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