森田一義アワー 笑っていいとも!
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5.番組の歴史
5.7.1990年代
1990年1月4日・5日、『笑っていいとも!新春号』のタイトルでハワイから生放送を行う。海外からの生放送は初めて[43][44]
1990年3月30日、テレビ岩手での放送が終了。岩手県ではその後1年間、未ネット状態になる。
1990年4月4日、曜日対抗企画「爆笑オールスター・タモリンピック」がスタート。
1990年7月9日、放送2000回達成。達成を記念し、オープニングにて全曜日のレギュラー陣が扮装して登場した。
1990年7月23日、タモリがプライベートでヨットの柱に額をぶつけ怪我を負った事故を受け、額の一部にガーゼをつけて登場した。タモリは、事故直前である7月20日まで、いいともに出演している。
1990年10月1日、テレビ長崎での放送が時差ネットから同時ネットに変更。セットを変更(2回目)。
1990年11月28日、タモリが、サングラスを再び茶色系サングラスに変更する[48]
1991年4月1日、岩手めんこいテレビの開局により岩手県にて1年ぶりにネット再開。
1993年3月31日、テレビ朝日系列へのネットチェンジにより山形テレビでの放送が終了。山形県ではその後4年間未ネット状態になる。
1993年5月20日、テレフォンショッキング(テレフォンゲスト:鈴木杏樹)実施中にゲストの鈴木が「おとといから緊張してました」とあまりの緊張から口走ってしまう。放送当日の同年5月20日は木曜日であり前日水曜日はいいともが放送されていたため本来は おととい ではなく きのう と発言するはずであり、タモリは一瞬慌てて「そんなことない!」とフォローしていた。
1993年10月1日、大分県での放送が大分放送での時差ネットからテレビ大分での同時ネットに変更。同時にFNS全局ネット化達成。出演者の名前テロップが手書き調から丸ゴシック体(JTCウィンR)に変更。「爆笑オールスター・タモリンピック」が終了。曜日対抗企画は一旦廃止され、「今日の反省会」(1993年9月 - 1994年3月)、「いいとも!一言人生相談」(1994年3月 - 9月)、「勝手にハッピーバースデー!!」(1994年10月 - 1995年9月)など違う企画にコーナーが変更されながら曜日横断企画が行われた。
1994年5月30日 - 6月3日、1週間通し企画として、各曜日日替わりコーナー3000回突入記念と冠したスペシャル企画を連日に渡り放送。当時のレギュラー陣による記念歌「We Are The いいとも!」(「We Are The World」の替え歌)を制作し全員で歌う。6月2日放送分の放送回数3000回当日には番組内で、タモリ金像除幕式が行われた。
1994年10月3日、セットを変更(3回目)。
1995年10月2日、プロデューサーに荒井昭博が就任し、番組が大幅にリニューアルされる。出演者の名前テロップが丸ゴシック体から、デザインも一新されて青地に明朝体(JTCウィンM)に変更。同時に勝手にハッピーバースデー!!に代わる新コーナー「曜日対抗!いいとも選手権」がスタート。セットを変更(5回目)。
1996年3月6日、タモリが、再び他の出演番組と同じ黒色系サングラスに変更する[49]
1996年9月13日、敬老の日の直前ということで番組観覧者全員が老人であった。
1996年10月25日、テレフォンショッキング(テレフォンゲスト:和田アキ子)実施中に関東地方で震度3(当時の階級による)の地震が発生し、観客がそれを指摘しタモリ・ゲストの和田両者とも一瞬、「え?マジ?」と驚いたがタモリが「和田さんが動いたんだよ」とネタにし、その後和田が「私が出るときなんで地震だよ!」と(もちろんネタとして)笑顔で指摘し騒然な空気となっていたスタジオアルタの会場が一気に和やかな空気になり爆笑と拍手が湧き上がっていた。
1996年9月27日、高知放送での放送が終了。高知県ではその後、半年間未ネット状態になる。この日をもって番組エンディング終了後CMをはさんだ後の提供クレジット・翌日または来週月曜日の次回予告が廃止。提供クレジットは全て番組エンディング前となる。
1996年9月30日、番組のロゴ・出演者の名前以外にも画面に固定テロップが表示される(表記は「CMの後はテレフォンショッキング」など)。
1997年4月1日、さくらんぼテレビジョンの開局により山形県にて4年ぶりに、また、高知さんさんテレビの開局により高知県にて半年ぶりにネット再開。
1997年11月10日、同年3月10日の移転後初めてお台場FCGビルから生放送を実施。当日はV5スタジオからの放送で、タイガー・ウッズが生出演した。以降、FCGビルはFNSの日や春秋の祭典等の特番、スタジオアルタが工事などで使えない際に使用した。
1998年10月、テレフォンショッキングのコーナーでは、スクロールで簡単にテレフォンゲストのプロフィールを表示するようになる。
1999年1月、セットを変更(5回目)。このセットから、番組開始当初の初代セットから毎回総合デザインを担当していた山本修身が担当を外れる。
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出典:Wikipedia
2019/11/12 08:01
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