森けい二
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1.棋歴
晩学で知られる。将棋を覚えたのが16歳の頃と遅かったが、近所の将棋クラブでひたすら将棋を指し続け、僅か半年でアマ三段の実力にまで上達する[2]。森は「この期間は夜の11時まで夕食もとらずに将棋を指し続けた」と語っている。戦前はいざ知らず、森以降の世代で、これほどの「晩学」で名人位挑戦、タイトル保持まで進んだ棋士は他にいない。
奨励会入りを志したのも、短期間で将棋道場の中では最強となってしまって「もっと強い人と指したい」という思いを抱いたからであり、道場の師範である大友昇が森の奨励会受験に際して「絶対にプロになれない」と止めにかかったのに対し、森は「プロになる気なんて全然ない」といってどうにか受験にこぎつけた。4級としての入会試験は2勝4敗で不合格の成績だったが、記録係要員として5級で奨励会入りとなった[2]
1978年、第36期名人戦中原誠に挑戦したが、「中原は強くない、負ける人はみんな勝手に転んでいるんだ」、「名人になったら土佐に帰る、指してほしい者は土佐に来ればいい」などと強気な発言をした。第1局の朝には突然剃髪して対局場に登場し、関係者を驚かせた(これに中原は動揺したのか第1局に敗北。全体では2勝4敗で中原の防衛)。しかも、この名人戦の模様がNHK特集という形で取り上げられていたため、森の坊主姿が関係者だけでなく、日本全国の視聴者にも知れ渡ることとなった(ただし、NHK特集が放映したのは第三局であり「剃髪姿」ではなかった)。ただ、森自身はのちに「相手を驚かそうとしたのではなく、自らの心を引き締めるために剃髪になったのだ」と語っている。
1982年棋聖のタイトルを獲得する直前に小池重明と指し込み三番勝負(角落ち、香落ち、平手)を行い、3連敗してしまった。当時の日本将棋連盟会長大山康晴はこれに怒り、森に高額の罰金を課したといわれる。
1988年、第29期王位戦に王位の谷川浩司の挑戦者として登場した際マスコミに、「身体で覚えた将棋を教えてやる」と発言し谷川を挑発。下馬評では当時名人だった谷川が有利との見方が大勢だったが、3-3で迎えた第七局、十八番のひねり飛車で谷川を破り、王位を獲得した。次期谷川がリターンマッチを挑む際「あれだけやられたのにまだ懲りないのですか」と再度挑発し話題となる(対局は1勝4敗と防衛失敗)
久々のタイトル戦登場となった1995年の第43期王座戦では羽生善治に挑戦したが、優勢な将棋を終盤で逆転負けする展開が続き、3連敗で敗退した。その際に、「魔術師が逆に魔術(羽生マジック)にやられた」とのコメントを残している。なお、2017年現在、昭和20年代以前に生まれた棋士がタイトル戦に登場したのはこれが最後である。
2006年3月、満59歳11か月にして順位戦B級1組に昇級。大きな話題を集めたが、1期で12戦全敗で降級してしまった。
2017年3月2日、第75期C級2組順位戦最終戦で島本亮に敗れて3勝7敗に終わり、降級点の累積が3個目となり、規定により同年度の最終対局をもっての引退が確定。3月末時点で第30期竜王戦・6組昇級者決定戦を残していたが、5月10日の対局で金沢孝史に敗れて全対局を終え、引退した[3]
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(3.人物)
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出典:Wikipedia
2018/08/16 16:00
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