新東名高速道路
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3.歴史
3.2.提言と四全総
1982年(昭和57年)1月、第26回国土開発幹線自動車道建設審議会(国幹審)が開催され、ここで交通量の増加に悩む東名、名神の一部区間の路線増強が決定した[67]。東名では大井松田 - 御殿場間の増強が決定され、一部拡幅のほかは基本別線で建設されることになった[68]。だが、一部専門家には混雑区間に的を絞った部分改良では問題の根本的解決にはなり得ないと不安視する意見もあった[50]。つまり、混雑区間が渋滞解消されたとしても、日本坂トンネル事故のようなどこで発生するかわからない大事故で東名が長期間不通になろうものなら収拾がつかなくなるなるというのである[50]

1982年(昭和57年)3月には道路審議会が建設大臣に建議という形で、21世紀を目指した道路づくりの提言を行なった。1980年から下準備を開始して、この度ようやくまとめたものだが、その内の一つが東名、名神の部分的拡幅を行なうと同時に、長期的には第二東名、第二名神の建設を促す内容であった[69]。ここでも部分改良だけでは問題は解決しないとしているが、理由は東海道地域における交通は今後とも増えると見込まれることや、東名、名神が全国高速道路網のかなめの位置にあることから、各地方が3大都市圏と交流し、あるいは地方相互に交流する場合に東名、名神を使わざるを得ない訳で、そこへ東名、名神の混雑があっては地域間の交流も妨げることにもなりかねない[70]。また、交通量増加によって道路への負荷もかかることで維持補修の必要も増し、これに対して大規模な交通規制を敷くことは渋滞を招来することになって流通の停滞、追突事故の増大など悪循環となる[58]。休憩施設も大幅な不足をきたしており、この現状を鑑みると、一部施設の改良や道路拡幅と並行しながら別線建設も検討する必要があると報告している[58]。この提言が直ちに第二東名、第二名神建設に結びつくことはなかったが、その翌年からは第四次全国総合開発計画(四全総)の策定作業が国土庁によって開始されており[71]、これと絡んで少しずつではあるが第二東名の計画が具体化していくことになった。

四全総が計画されていた頃、政治的にもっぱら問題となっていたのは、日米間における貿易摩擦と予想以上の円高により発生した不況であった。この対策としては、円高に弱い業態(造船、鉄鋼、石炭)をある程度あきらめて、産業構造の調整を図ることとされた[73]。また、これらの対外的な問題から、外需依存では立ちゆかなくなってきたことで、国内経済に依存する内需依存型経済を指向する必要が生じていた[74]。こうした背景の下、国内経済を刺激するためには東京一極集中ではなく、地方経済の独立化と活性化が必要となるが、その実現のためには高速道路が必要であるとの要望が多く寄せられるに至った[74]。つまり、大都市圏と地方を結ぶよりは、地方同士を結ぶ交流ネットワークが必要とされ、これを踏まえて四全総では地域間の移動に1時間以内で到達できるような高速道路ネットワーク形成が目標として掲げられるに至った[74]。またこれとは別に、既定の高速道路の内、混雑が著しい区間の解消を目指すとしたが、これが東名、名神の代替路線建設を指すことは明らかであった[75]。こうして諸々の案件を加えて、当初は7600 kmで計画された全国高速道路網は、今回計画分の6220 kmを足して約14000 kmに拡充されることになった[76]。ただし、6220 kmには採算性が悪い路線も含まれることから、これを全て日本道路公団(以下、公団)が引き受けると内部補助に問題が生じる。このため、一般国道自動車専用道路2300 kmと国土開発幹線自動車道3920 kmに分けて公団引受け分は後者とすることになり、1987年9月の臨時国会で国幹道法の法律改正を目指すことになった[76]。なお、四全総は1987年6月に内閣によって承認され、第二東名、第二名神は高規格幹線道路14000 kmの枢要部を形成する路線として位置づけられた[77][78]

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(3.1.東名の限界)
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(3.3.国幹道法改正以後)
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出典:Wikipedia
2019/01/15 01:30
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