新実智光
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2.出家後
2.2.事件への関わり
1989年、麻原の指示により男性信者殺害事件に関与。男性信者を羽交い絞めにした末にロープで絞殺する手筈であったが男性信者の抵抗に遭い、慌てた末に男性信者の首の骨を折って殺害してしまう。続いて坂本堤弁護士一家殺害事件の実行役に指名され、坂本家に侵入し、坂本の妻(当時29歳)らを絞殺。

当初男性信者殺害事件では犯行後、茫然自失に陥り、後悔の念をあげたりしていた。坂本弁護士一家殺害事件の際にも精神的に不安定になり、山に死体を埋めにいった時には、新潟の海岸でひとり呆然としていたり[14]、「もう死体と一緒にひとりで長時間いるのはごめんです。なんか気が変になってきそうや」と言ったという[15]。だが中川智正端本悟とそれぞれ5日間独房に監禁されたり、麻原から与えられた「悪業によって地獄に至っても本望だ」などという詞章を数万回唱えるなどして洗脳され[16][17]、その後、数年間教団の信者の指導、監督、スパイ、拷問などを担当、苦しませるのを楽しんでいるような雰囲気すら持つようになっていった[18]

1990年真理党の敗北により麻原は大規模テロを指示。新実もボツリヌス菌テロ計画に関与し、北海道で土壌を採取したり、実験用マウスを購入するなどして協力。浄水場付近に散布していた際に警察に検挙されたこともあった[16]

1990年4月石垣島セミナー取材中の江川紹子を、女性幹部の指示により数百人の信者が取り囲む。更に棒を持った新実が江川に付きまとい、体を押したり、「夜道に気をつけろ」「月夜の晩ばかりではないぞ」と古風な脅し文句を投げつけた。[19]

1990年7月8日、26歳のときにマハー・ムドラーの成就を認定され、正悟師となる。

1992年9月教団のロシア進出に伴い、オウム真理教モスクワ支部の初代支部長を務めながら頻繁に日本との間を往復する[20]

1993年池田大作サリン襲撃未遂事件では第2次攻撃で防毒マスクを外したせいでサリンを大量に吸引し重体に陥り村井秀夫遠藤誠一から人工呼吸を受けオウム真理教附属医院に搬送され、治療の結果一命を取り留めた。

1994年1月30日薬剤師リンチ殺人事件に関与。被害者の薬剤師男性の処罰について「帰すと被害者の会やマスコミに話したりするのでポアしかない」と殺害を支持した[21]

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出典:Wikipedia
2018/11/15 19:30
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