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新居大島
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概要
新居大島(にいおおしま)は、愛媛県新居浜市の北東約1.5キロメートルの沖にある周囲約9,8キロメートルの有人島である。島の住所は愛媛県新居浜市大島で、郵便番号は792-0891。村上水軍(伊予水軍)の統領であった村上義弘生誕の地とも伝えられる[1]2013年3月31日現在の住民基本台帳に基づく人口は280人[2]2017年6月現在では207人。その半数が70歳以上[3]

社会[編集]

2014年1月現在、268人が住み、車えび養殖とみかん・島特産の白いもの栽培が主な産業。高齢化率が高く、また離島であるために過疎化が進み、後継者不足が懸念されている。

これに対し、1997年頃より、地元有志により、福祉ボランティアを手始めに活性化の取組みが始まった。2000年にはNPOに衣替えし、地域通貨を活用した地域福祉の取組みを行った。ただ、この取組みは、なにかを介在させなくとも自然な形で助け合い的な活動は行われていたことや、仕組みになじみが薄いこともあって、立ち消えになってしまう。また、愛媛県工業技術センターの開発した微生物を活用した生活雑配水の浄化の取組みを行ってきた。白いもの活用については、2003年より取組み、特区制度を活用し、白いも畑のオーナー制、白いもを用いた芋焼酎の製造に着手するなど、活性化の糸口をつかみかけてはいたが現在すでに低迷している。

交通[編集]

島と市本土(黒島港)の間には市営の渡海船(フェリーボート)がほぼ1時間に1往復、所要時間約15分で運航されている。愛媛県の将来構想の一例として架橋の可能性が取り上げられているが、現状では非現実的であり今後の地元の取り組みにかかっている。島内には公共交通機関はないが、島内を一周する道路がある。北部は鬱蒼とした林に覆われ、断崖が多く、海辺の道路であるにもかかわらず見通しの悪いところが多い。北西部には、小型の別荘廃墟が点在する。

歴史[編集]

中世に瀬戸内海を支配した村上水軍の始祖である村上義弘の生誕地とされ、島南部には当時築城された大島城の跡が残されており、本丸跡、二の丸上跡、船かくし、トンコロ場、防塞跡、桟橋跡など伊予水軍の遺跡が今なお残る。当時は垣生島、久貢島、黒島、大島の4つの島を総称して大黒島と呼ばれていた[1]。また2つの寺が狭い可住地に近接していることから海上交通・流通の拠点として栄えていたことがうかがえる。その寺のひとつの願行寺には、幼子を想う亡母の「幽霊の片袖」が伝説と共に残されている。

沿革[編集]

旧高旧領取調帳」の記載によると、明治初年時点では新居郡大島浦が存在。西条藩領。
明治4年7月14日1871年8月29日) - 廃藩置県により西条県の管轄となる。
明治4年11月15日(1871年12月26日) - 第1次府県統合により松山県の管轄となる。
明治5年2月9日1872年3月17日) - 石鉄県の管轄となる。
明治6年(1873年2月20日 - 愛媛県の管轄となる。
明治22年(1889年12月15日 - 町村制の施行により、大島浦が単独で自治体を形成して大島村となる。
昭和28年(1953年5月3日 - 新居浜市に編入。同市大字大島となる。

とうどおくり[編集]

島では、毎年成人の日に左儀帳という行事が行われる。正月の3日に、少年らが集めた門松、笹、注連縄を組み合わせて、高さ12mの「とうど」さんを各地区に1基ずつの計4基と子ども用1基を作る。それを成人の日の午前6時頃に東の地区から順番に点火してゆく行事で、東予地方の漁村でも行われているが、昔の作法で行われるのは大島だけになっている[1]

その他[編集]

大島八幡神社秋季大祭
正立山正覚院願行寺
陽向山多門院吉祥寺
大島診療所

脚注[編集]

出典:Wikipedia
2020/03/02 15:00
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2020/03/28 更新
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